パブリック・リレーションズ

2005.12.02

パブリック・リレーションズの巨星たち2.PRを体系化した先駆者 エドワード・バーネイズ(1891-1995)、「ゲッベルス 〜プロパガンダの恐ろしさ」

こんにちは、井之上喬です。
月日の経つのは早いものでもう師走になりました。皆さん如何お過ごしですか?

今日は、再びエドワード・バーネイズのお話しに戻ります。バーネイズの影響を受けたナチス・ドイツの宣伝担当相ヨゼフ・ゲッべルスと、彼がナチスのキャンペーンで導入した「プロパガンダ」についてお話したいと思います。

プロパガンダの現代的な意味は、情報流通が一方向で、情報発信者が自己を正当化し他人の意見に影響を及ぼすための活動であり、公共の利益と必ずしも結びつかず、時には自己利益との混同も見られます。多くの場合、発信者側に好ましい世論形成にマイナスとなる事実は隠蔽されたり、歪められて発信され、倫理観を欠いたコミュニケーション活動で、パブリック・リレーションズとは対極にあるものです。

しかし、本来は崇高な目的をもった活動を意味するものでした。プロパガンダという言葉の成立は1622年、当時のローマ法王グレゴリー15世により’Congregatio de propaganda fide’ が世界中で行われていた伝道活動の監督役として設置されたことに由来します。そこには虚偽や欺瞞などの悪いイメージは一切なく、むしろ教会活動などをとおして信仰や教義、主義などを普及させる良いイメージをもつ言葉でした。

プロパガンダに対する悪いイメージが確立されてしまったのは、その後約300年を経た第一次世界大戦以降のことです。大戦後のアメリカでは戦勝国になったものの多くの兵士の命が奪われました。このため参戦への正当性を巡って、アメリカ政府(CPI)により戦時中展開された「参戦に大義名分をもたせるための世論形成活動」に対する批判が噴出しました。当時の批評家やジャーナリストたちが、政府や大企業にとって望ましい世論形成を強引におこなう活動としての「プロパガンダ」を記事の中に用いだしたのです。

また20年代のビジネス界では、バーネイズやカール・ボイヤーなどCPIのメンバーが戦争キャンペーンで培った世論形成手法を用いてパブリック・リレーションズ実務家として企業への貢献をおこなっていました。戦後の好景気でますます巨大化する企業への懸念が叫ばれた時代とも重なって、これら批評家やジャーナリストによる「プロパガンダ」批判となったのです。

その一方で、プロパガンダに対するイメージ回復への試みも行われました。そのひとつに、バーネイズによる『プロパガンダ』の執筆があります。28年に出版されたこの本の中でバーネイズは、パブリック・リレーションズを新しいプロパガンダとして位置づけ、世論形成の手法を紛争解決や民主主義運営をスムーズなものにするための手法として用いることで、社会の向上や平和の維持を可能とすることができると説きました。

しかし皮肉にも彼の世論形成のための構築理論はナチスの宣伝担当相ヨゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbeles, 1897-1945)に悪用されることになってしまいます。ゲッベルスはバーネイズの著書『世論の覚醒化』(‘Crystallizing Public Opinion‘  23年出版)に書かれていた世論を味方につけるための理論を実践し、プロパガンダを展開して世論を扇動したといわれています。

20年に結成された国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の党首にアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889-1945)が就任したのは翌年の21年。28年に初めて国会に進出し、12議席を獲得後わずか5年で230議席にまで伸ばし、ドイツ第一党を獲得しました。その達成の裏にはゲッベルス主導による選挙戦術があったといわれています。

ゲッベルスは1897年ラインラント地方にある中都市リートでカトリックの中流家庭に生まれました。ハイデルベルク大学に進みロマン派文学を専攻。卒業後ジャーナリストを目指しますが挫折し、失業状態にあった25年にナチ党に入党。ヒトラーは彼の弁舌の才能を高く評価し、26年にはベルリン・ブランデンベルグ大管区指導者に抜擢。それ以降ゲッベルスは選挙活動を任せられるようになりました。

彼の戦術は理性ではなく大衆の感情に訴えかけるもので、わかり易いスローガンを強烈にしかも繰り返すことで人々の脳裏に焼き付けて人心を捉えました。また、明確な攻撃対象を設定してネガティブ・キャンペーンを展開し「同じ敵を持つ者の間に仲間意識が生まれる」と民衆のなかにナショナリズムを醸成していきました。

たとえば、ヒトラーの弁舌の巧みさを利用して演説で人びとを魅了し、ラジオでは政見放送を活発に行い、街を埋め尽くすほどのビラやポスターを配布するなど、視覚や聴覚に訴えるキャンペーンをあらゆるメディアを動員して徹底的に行ったのです。

こうして33年ドイツの第一党に躍進すると、「わが民族の精神的、意思的な一致」を実現するための「国民革命」と称し、ナチスの基準に政治制度や国民生活を均一化させる運動を断行しました。政治組織を改変し党の組織をあらゆる生活の場に浸透させ、労働・教育・余暇などすべてをナチズムによって支配することで、瞬く間に独裁国家を作り上げ「ユダヤ人排斥運動」を展開していったのです。

独裁国家となってからは「嘘も百回繰り返せば真実になる」として党に有利な情報のみを一方的に発信する徹底した情報統制と、ゲシュタポ(ナチスの国家秘密警察)による厳格な世論統制を行い、システムの構築と集団心理を巧みに操るハードとソフトの両面から世論をコントロールしていきました。

ヒトラー自決の翌日となる45年5月1日、ゲッベルスは6人の子供を毒殺し、妻のマグダと共に拳銃で自らの命を絶ちヒトラーの後を追ったといわれています。ヒトラーに忠誠を尽くし続けた彼にとっては当然の帰結であったといえるかもしれません。

ゲッべルスの死後、彼の机の引き出しからバーネイズの著書『世論の覚醒化』が発見されたと知り、バーネイズは、「知る由もなく、どうしようもないことだ」とコメントしています。バーネイズがオーストリアから移住したユダヤ系移民であったことを考えると、運命の悲劇としかいいようがありません。

ホロコーストで失われたユダヤ人の命は600万人以上にのぼるといわれています。社会向上に利用すれば戦争回避にも役立てることができる技法を、自己利益のため主義・主張を正当化し一方的に民衆に押し付ける道具として悪用した結果の惨劇でした。

第二次大戦後もアメリカではパブリック・リレーションズは進化し、世界の平和と安全を守るため、政府による民主主義の普及に貢献してきましたが、最近のイラク戦争の報道を見る限りでは、本来のパブリック・リレーションズからプロパガンダ的な方向に向かっているところが垣間見え、とても残念です。

「戦時中と平和時における世論説得の手法は、ただその意図や目的が違うだけであり、両者の技法そのものは同じである」とのバーネイズの言葉どおり、パブリック・リレーションズは絶大な力を発揮することが可能であり、ひとたび使い方を誤ると恐ろしい結果を招いてしまう可能性をはらんでいます。まさに「デモクレスの剣」といえます。

ですからパブリック・リレーションズの実務家は、いつでもプロパガンディストになり得ることを心に銘じ、確固たる倫理観に基づいた双方向のコミュニケーションを実践し、職責を果たしていかなければなりません。

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