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2015.08.13

戦後70周年特集〜今こそ倫理観が求められている

8月15日は終戦記念日。今年は戦後70周年を迎えます。

1941年12月8日未明(ハワイ時間7日)の日本軍による真珠湾攻撃に始まり、45年8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下、そして14日のポツダム宣言受諾を経て、70年前の8月15日に戦争は終結しました。

その節目となる今年、政府は、「国民の命と平和な暮らしは守り抜いていく」として、新たな安全保障関連法案が7月15日午後、衆院特別委員会で採決が行われ、自民・公明両党の賛成多数で可決されました。

この法案の与党による強硬採決をめぐり、反対を叫ぶ野党議員に浜田靖一委員長が囲まれている映像は全国に流れました。

関連法案は、武力攻撃事態法改正案、周辺事態法改正案(重要影響事態法案に名称変更)、国連平和維持活動(PKO)協力法改正案などの改正案10本を束ねた一括法案「平和安全法制整備法案」と、国会の事前承認があれば、いつでも自衛隊を紛争地に派遣することを可能にする「国際平和支援法案」の二本立てとなっています。

安全保障関連の法律を安保法制といいます。安全保障問題は昔から議論されていましたが、なぜ今なのでしょうか?

政府は日本を取り巻く安全保障環境が激変したことを挙げています。北朝鮮の核・弾道ミサイル開発や経済成長を遂げる中国の軍拡、また尖閣諸島をめぐる日中の緊張、中国の領土拡張を狙う野心など。

一方、相対的に国力を弱める米国のアジア太平洋地域でのプレゼンスの低下に対し、日本は、自国の役割を拡大することで東アジアを中心とした平和構築を呼びかけています。

あの戦争は何だったのか?

ここで70年の節目に明確にしておくべきことは、太平洋戦争(第2次世界大戦)はなぜ起こったのか、あの戦争は侵略戦争だったのか、あるいは帝国主義を標榜する欧米列強の来襲に対抗した防衛のための戦争だったのか、まず日本国民が歴史を通して知っておくことが重要だと思うのです。

「侵略の定義がはっきりしていない」と一部の学者が異論を唱えていることを捉え、侵略の事実をあいまいにすることは、日本軍が相手国への進攻によりアジア・太平洋地域で2,000万人ともいわれる尊い犠牲者をだした国々の国民に対して、あまりにも誠実さを欠くことにならないでしょうか?

日本自体も、310万人(首相官邸Web)の日本の軍人・軍属・民間人の命が失われましたが、戦争に導いた首謀者への自からの責任追及を行うことなく、戦勝国による極東国際軍事裁判の結果に異論を唱えることだけでは、戦争に巻き込まれた国の人々に対して、また日本国民にも無責任といえないでしょうか?

明治維新以来敗戦まで、 日本は欧米列強によるアジア諸国の植民地化に対抗するために富国強兵策をとり続けてきました。 人種差別的な白人国家との対峙は日本国民として理解できなくはありませんが、問題はその過程で起きた軍部の独走を国家として止めることができなかったことです。

フランス領インドシナ連邦(仏印:インドシナのベトナム・カンボジア・ラオスにまたがるフランスの植民地支配地域)、オランダの植民地であった蘭印(現在のインドネシア)、インド、ビルマ(現ミャンマー)などを欧米列強から解放するという高邁な理想のもとで、アジアに進出し、一部を解放したものの、結局は台湾などの一部の国や地域を除いて、日本軍主導の統治は、破綻をきたし現地の強い反発にあいます。

中国大陸での日本軍の侵攻は、侵略戦争以外の何物でもないことは、柳条湖事件(1931年9月18日に関東軍の謀略によって起こったとされ、満州事変の発端となる鉄道爆破事件)や盧溝橋事件(1937年7月7日に起こった日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件)などの日本軍の行為をみても明白です。

今月7日の読売新聞と産経新聞の朝刊には中曽根康弘元首相による寄稿が載せられ、その中でアジアとの戦争は「侵略戦争だった」と中曽根さんは明確に述べています。

いずれにせよ、相手の領土を戦場にして戦うことは、正当化できるものはありません。

私は戦前の満州国大連市で生まれたこともあり、中国人と仕事の関係に入る際には今でも、必ず日本の過去の行為について詫びることにしています。そうすることでより良い関係が築け、相手の心の癒しになればと考えるからです。

沖縄戦で敗れ、国民を道連れにしてまで最後の本土決戦を敢行しょうとした日本軍の行動には、戦国時代の織田信長と戦い、小谷城に籠城し一族郎党討死した浅井長政と変わらない精神性を感じるのは私だけではないでしょう。

また、従軍慰安婦問題が取り沙汰されるたびに、政府は「証拠がない」と言っていますが、8月10日(月)読売新聞朝刊「戦後70年」のコラムに次の興味ある事実が紹介されています。

当時の内務省地方局戦時業務課の事務官だった奥野誠亮氏(元法務大臣、102歳)が各省の官房長を集め、終戦に向けた会議をひそかに開き、「証拠にされるような公文書は全部焼かせてしまおう」といった奥野氏自身による談話です。
これについて紙面では、「ポツダム宣言は『戦犯の処罰』を書いていて、戦犯問題が起きるから、戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ、となったんだ」と書かれています。

終戦時に政府内で多くの書類が焼却されていたことは、他の関連書物を読んでも明白です(堀栄三著「大本営参謀の情報戦記-情報亡き国家の悲劇、文春文庫」)。事実ではないことを証明することが難しい状況の中で、政府の主張は諸外国からみると滑稽にさえ思えます。

安倍首相にはこれらを頭に入れて戦後70年の節目にふさわしい「安倍談話」を14日には発表してもらいたいものです。詫びることなく、済まされることではありません。

政府の対応には倫理観が欠落していないだろか。

「国民の命と平和な暮らしを守る」ために安保法制を進めるのか、そうすることは、「逆に国民の命を危険にさらす」とする意見が真っ向から対立しています。

平時から有事まで「切れ目のない対応」を掲げる政府は、安全保障法制の見直しによって自衛隊の活動拡大を目指す結果、法律が定める「事態」がいくつもできることになってしまったようです。

皆さんは、「存立危機事態」「重要影響事態」「国際平和共同対処事態」。それぞれの事態が何を指すか、理解されているでしょうか?

以下は、2015.04.18朝刊の朝日新聞記事から抜粋・編集したものです。

1)「存立危機事態」

日本が直接武力攻撃を受けていなくても、日本と密接な関係にある他国が武力攻撃され、これによって日本の存立が脅かされるような明白な危険がある場合。

2)「重要影響事態法」

いまの周辺事態法は朝鮮半島有事の際に、自衛隊が米軍を後方支援することを念頭に作られているが、日本周辺という事実上の地理的制限があり、支援対象も米軍に限られていた。今回の改正で、地理的制限を名実ともになくし、支援対象も米軍以外に拡大し、法律名も「重要影響事態法」に変更。

3)「国際平和共同対処事態」

政府は、自衛隊を海外に派遣する場合は、期限や具体的な活動内容を定めた特別措置法をその都度つくってきているが、今回、恒久法「国際平和支援法」を設置することで、「国際平和共同対処事態」には、特措法をつくらなくても戦闘中の他国軍に後方支援ができるようになる。

これら安全保障上の3つの事態を理解させることは簡単なことではありません。「切れ目のない対応」は結果的に状況把握を複雑化させ、時の政権による閣議決定だけで恣意的に進められる危険性は排除できません。 何よりも国民の理解と納得が必要だと思うのです。

現に国会での論戦を聞いていても、明確化されているとは言い難く、質問に答える関係閣僚の中でさえ解釈がまちまちで統一されておらず、複雑すぎる内容に国民の理解を得るには未熟にすぎるのではないでしょうか。

現在の状況をパブリック・リレーションズ(PR)の視点で捉えると以下のことが言えます。

政権には、「国民の声をよく聴き、国民が納得し安心して生活できるようにする」といった環境が国民に保障できていないと言いうことです。つまりパブリック・リレーションズを構成する重要な要素の一つである「倫理観」が欠落していることになります。

現代の欧米先進国で捉えられている倫理観は、「最大多数のための最大幸福」を追求する「功利主義」と、そこから外れたマイノリティに配慮し対応する「義務論」が補完するものです。

安保法制における政府の対応を見ていると、法案設立に「反対」する国民が「賛成」を大きく上回り半数に迫る中で強行採決する構図が浮かび上がっていますが、議会制民主主義ですから、国会は選挙で選ばれた議員が立法の際に投票により決定されることでは間違っていません。

しかしながら、あまりにも多くの国民が今会期中での拙速な立法化に反対しているなか、倫理観が正しく機能しているとは言い難い状況にあることも事実です。また与党内でこの問題が双方向的に議論されている様子も見えません。そうした環境では自己修正が正しく機能することは残念ながらありえないのです。

「政治はきれいごとだけではやっていけない」という言葉をよく耳にしますが、日本の将来の形を根底から覆すかもしれない法案制定には、せめて倫理観が機能したなかで国民や議会少数派の意見をよく聞き議論してもらいたいものです。

そこでこの問題への国民の関心度合いをみるため、参考までに最近行われた安全保障関連法案をめぐる各報道機関の世論調査結果を紹介します。

6-7月の各調査結果をみると、質問の設定は微妙に異なるももの、法案への国民の支持は依然として広がっていないことが窺えるとしています(7/14朝日新聞)。

共同通信の6月20-21日の調査では、法案に「賛成」が27.8%、「反対」58.7%。毎日新聞は7月4-5日の調査で「賛成」29%、「反対」は58%。朝日新聞の7月11-12日の調査結果は「賛成」26%、「反対」56%)となり、共同、毎日と同様に「反対」が過半数示しました。

日本経済新聞・テレビ東京は6月26-28日の調査で、法案そのものの賛否は尋ねていないものの、今国会で成立させる方針について尋ねた結果、「賛成だ」25%、「反対だ」57%となっています。

また、安倍政権が法案を十分に説明しているかとの問いでは、多くの調査で政権に厳しい数字が並びます。

共同通信は「十分に説明しているとは思わない」が84.0%(6月20-21日調査)、日経新聞・テレビ東京が「不十分だ」81%(6月26-28日調査)、読売新聞も「十分に説明していると思いますか」と聞き、「そうは思わない」80%(7月3-5日調査)、毎日新聞も「不十分だ」81%(7月4-5日調査)と、軒並み8割を超える結果となっています。

こうした影響もあって、毎日新聞が8月9日夜に発表した世論調査では、安倍内閣の支持率は7月の調査から3ポイント減の32%となり、第2次安倍内閣発足以来、最低となったと記しています。

この支持率低下は、憲法に反した集団的自衛権を含む法案の閣議決定や強行採決など国民の声や相手の視点を無視した結果とも言え、説明責任を果たしていくことの大切さを教えています。

このように「法案への説明が不十分」とする声が8割を超える状況の中で、政府が参院での60日ルールを適用し衆院で強硬採決することになれば、憲政に大きな汚点を残すことになりかねません。

第2次大戦で自国はもとより、周辺国に甚大な被害を与えた日本は戦後「戦争放棄」を国是として驚異的な経済成長を果たし、「戦争しない国日本」の海外への人道的支援は相手国から絶大な信用と尊敬を勝ち得てきました。そうした世界での信頼が失われ、日本国民の安全のための法制が、違った形で海外支援を行う自国民を脅威に陥らせることにもなりかねません。

こちらが軍事増強すれば相手も増強し際限のない軍拡競争になるのは明らか。日本は外交力を高め、様々なリスク要因を軽減することで、不必要な軍事的拡大を排除することができるはずです。

戦後70年の節目に、様々なメディアで終戦特集が組まれていますが、戦争の悲惨さを改めて感じさせてくれます。戦争はあらゆるものを破壊します。核の時代に生きる私たちはひたすら争いのない世界の実現に向かって一人ひとりが努力する必要があると思うのです。

米国の歴史家ジョン・ダワー氏は朝日新聞のインタビュー(8/4朝刊)で、「(中略)世界中が知っている日本の本当のソフトパワーは、現憲法下で反軍事的な政策を守り続けてきたことです」とし、日本の反軍事の精神は、政府主導ではなく、国民の側から生まれ育ったものであると語っています。
パブリック・リレーションズ(PR)は,目的や目標達成のために、「倫理観」「双方向コミュニケーション」「自己修正」の3つの要素を統合する、リレーションシップ・マネジメントですが、複雑化する社会(グローバル社会)で基盤となるものです。

以前このブログで「ジャパン・モデル」について書きましたが、課題先進国日本は、ソフトパワーで世界貢献し、あらゆる国と友好関係を築いていくことが日本の安全保障にもなり得るものと確信しています。

発刊540号となる今回の井之上ブログは、戦後70周年特集として長文になってしまいました。最後まで通読いただき誠にありがとうございました。

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