アカデミック活動
2006.09.22
米国9・11の5周年の日に ジェームズ・グルーニッグと初会合〜PRで世界平和が実現できる日を夢見て
こんにちは、井之上喬です。
皆さん、いかがお過ごしですか。
論文のフィールド・サーベイを行うため渡米した私は、ボストンを後にしてワシントンDCに入りました。ワシントンはペンタゴン(国防総省)が攻撃され、ニューヨークと並んで2001年の米国同時多発テロの被害にあった都市。街全体には心なしか緊張感が漂っていました。この地で奇しくも9月11日、パブリック・リレーションズの4つのモデルを提唱するジェームス・グルーニッグ(Dr. James E. Grunig)に会いました。
今回は、学者としてまた研究者としてパブリック・リレーションズに情熱を傾ける、グルーニッグ博士との10時間にわたる会合についてのお話をお届けします。
グルーニッグの4つのモデルの提唱者
ジェームズ・グルーニッグは、現在メリーランド大学の名誉教授。2000年にエフェクティブ・パブリックリレーションズ( Effective Public Relations )の著者の一人、スコット・カトリップが他界した後、文字どおりアメリカを代表するPRリサーチャー。私の本にも「グルーニッグのPRの4つのモデル」として紹介している人です。
1968年、彼は米国の偉大なPRの学者といわれた、スコット・カトリップを師に仰ぎ、ウィスコンシン大学でマス・コミュニケーションの博士号(Ph.D.)を取得。84年にトッド・ハントと共著の Managing Public Relations で、PRが発展してきたコミュニケーションの特性を4つに分類しモデルとして提唱しています。
彼の研究室は郊外にあるメリーランド大学にあり、ワシントンDCから車で30分程。同大学は今年で創設150周年。緑の中で広大な敷地を持つ大学キャンパスは、落ち着いて勉学に励む環境が整っています。ここでPRを専攻する学生数は約150人。他を専攻している学生とPRコースを取っている学生で合わせると1000人程度だそうです。
朝9時過ぎに彼のオフィスを訪ねると、大きな体で両手をあげて迎えてくれました。前の週にボストン大学のオットー・ラービンジャー教授を訪問した際もそうでしたが、会っていきなりパブリック・リレーションズについてのさまざまな話。時間が瞬く間に過ぎてしまいました。もうランチタイム。窓越しに6万人収容の、巨大なフットボール場が見える教職員専用の洒落たレストランでも、日米のPR事情や大学での教育のあり方などについて話がはずみました。
グルーニッグさんによると、現在、米国でのパブリック・リレーションズの状況は二極分化しているようです。
つまり、マーケティングにフォーカスしたマーケティングPRと、コーポレートにフォーカスしたコーポレートPRです。前者は企業の業績を支えるマーケティングへの圧力が強まる中でのPRへの期待とニーズの高まりからきており、後者は、効果的なM&AやIR、CSR実現のために不可欠な企業のレピュテーション高揚を目的としてCEOにフォーカスしたPR活動に主軸をおいているようです。
彼の著書を読んでも感じることですが、ニーズの高まるマーケティングPRとは距離を置き、「組織体が長期的に繁栄するためにはマネジメント機能全体にパブリック・リレーションズが必須」とコーポレートPRの重要性を強く主張しています。
彼との様々な話の中で感じた、最近の米国におけるパブリック・リレーションズの問題点は、「PR=民衆の意見を操作しようとする悪」と誤解され、メディアから批判される傾向にあるということです。パブリック・リレーションズに対してこのような誤解が生じているのは、ウォーターゲート事件や最近では湾岸戦争やイラク戦争など、政府のパブリック・リレーションズにおける対応の不手際なども拍車をかけているようです。
パブリック・リレーションズがプロパガンダと、時に誤解されるようになったのは米国の第一次世界大戦参戦時、政府が国民の戦意高揚にパブリック・リレーションズの手法を用いてプロパガンダ的な活動を展開したことに起因しています。
重要なことは一方的に相手に情報、しかも時々誤った情報を流し込む手法はプロパガンダそのものであってパブリック・リレーションズではないということです。このことをパブリック・リレーションズの実務家は心にしっかりと刻み込まねばなりません。このような場合、私たちは「それはあくまでプロパガンダ、パブリック・リレーションズではない」ことを主張しなければなりません。それを支えるのは倫理観です。
グルーニッグさんと一致したことは、我々PRの実務家はいつでもその危険な落とし穴に落ちる可能性があるということです。
パブリック・リレーションズは、個人や組織体が最短距離で目的を達成する、「倫理観」に支えられた「双方向性コミュニケーション」と「自己修正」をベースとしたリレーションズ活動であり、鍵括弧で示した3つの要素が揃って初めてパブリック・リレーションズと呼ぶことができるといえます。
私はこれを「自己修正モデル」と名づけていますが、この定義に関してグルーニッグは、この理論はシンプルに言いえており、とても面白いとその概念に興味をもってくれました。また私のPRに対する考え方である、「パブリック・リレーションズは個人であれ組織体であれ、全ての状況に適用できる手法でなければならない」にも大きくうなずいて理解を示してくれました。そして次回チャンスがあれば、彼の授業で講義をするよう依頼を受けました。
夫婦で、おしどり学者
あっという間にその日も終わり、夕食には、奥様で彼の学者仲間でもあるラリッサさんも交えてワシントンに戻り、日本食をご一緒しました。グルーニッグの教え子であったラリッサさんもまたメリーランド大学でPh.D.としてパブリック・リレーションズを教授。多くの著書を残し講演も多数。彼らはご夫婦でイランや中国、台湾、東欧など世界中で精力的に講演を行なっています。
グルーニッグは、落ち着いてとてもゆっくりと話します。パブリック・リレーションズへの愛情や情熱が感じられ、PRに対する考え方も私と近く、様々なことをシェアすることができました。彼はコミュニケーションを双方向性だけで片付けることなく、その構造を、パブリックとの関係において、非対称性(アンバランスな)と対称性(バランスの取れた)の双方向コミュニケーションときめ細かい区分けをして解説する緻密さも持ち合わせている学者でした。
彼らとのミーティングを終え、次の目的地カルフォルニアのサンディエゴに出発する日の朝、空港へ向かう途中の陽光のなか、車窓の左手にペンタゴンが見えてきました。
5年前の2001年9月11日に米国で起きた同時多発テロのちょうど2日前の日曜の朝、ワシントンDCにいた私は同じように空港へ向かっていました。多くの緑と水辺に囲まれ、のどかに佇むペンタゴンは二日後に攻撃されるのが嘘のように、穏やかで平和な雰囲気をかもしだしていました。
あれから5年、9月11日にワシントンDCでグルーニッグさんとお会いしたのも何かの縁かもしれません。
私は、平和への想いを胸に抱きながらワシントンDCを後にして、いよいよ最終目的地、サンディエゴに向けて旅立ちました。
次回はスコット・カトリップ、アラン・センター亡き後、名著、Effective Public Relationsの著者グレン・ブルーム博士をサンディエゴ大学へ訪ねます。ご期待ください。