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2016.05.05

四方洋さんの死を悼んで〜人間味と慈愛に溢れたジャーナリストの帰天

こんにちは、井之上 喬です。

毎日新聞(2016年4月30日)の訃報で「四方洋さん80歳(しかた・ひろし=元サンデー毎日編集長)4月29日、特発性間質性肺炎のため死去」と報じられました。

つい2週間前の日曜日には、元気な姿をみせ、近くのお店でランチをご一緒しただけに、突然の知らせに心の整理がつきませんでした。

連休で東京を離れていた私は急ぎ5月2日、聖イグナチオ教会(千代田区麹町)で執り行われたお通夜に出席させていただきました。

四方洋さんとの初めての出会いは、四方さんがサンデー毎日編集長時代。私がパブリック・リレーションズ(PR)の仕事に邁進し始めた頃でした。

当時日本楽器製造(現在のヤマハ)の取締役広報部長の佐野雄志さんが急逝された際の遺稿集編集責任者として私のオフィスを訪ねてこられたのが最初でした。

以来今日まで40年に及ぶお付き合いになります。暫くお付き合いが途絶えたこともありましたが、偶然、奥様を通じてご近所同志であることが判明してから再び交流が深まっていったのでした。

厳しく、優しいジャーナリスト

四方さんは、私が尊敬するジャーナリストの一人ということだけでなく、公私ともにお世話になった方です。

とりわけこの何年か一緒に仕事をする機会が多くなっていました。ご自身が蕎麦専門誌の編集長(季刊誌「蕎麦春秋」)だったこともあり蕎麦通で、休みの日には近くの行きつけのお蕎麦屋さんを二人で梯子しながら、時事問題を論じたり、危機管理やメディア対応などで意見交換したものでした。

こうした折に、四方さんのジャーナリストとしての厳しい視点とともに、人間性溢れる温かさや優しさを感じたものです。

四方洋さんは、京都府綾部市の出身で京都大学を卒業後、毎日新聞社に入社。社会部副部長、サンデー毎日編集長、学生新聞本部長などを歴任し、平成元年に退社。その後、東邦大学薬学部(人間科学)教授、高速道路調査会参与、町田市民病院事業管理者を経て、『蕎麦春秋』編集長。

著書に『土着権力』(講談社)、『離婚の構図』(毎日新聞社)、『いのちの開拓者』(共同通信)などがありますが、ジャーナリストとして、教育者として、また著者としての幅広い人生経験が、豊かな人間性の源泉になったのでしょうか。

写真:左から、在りし日の四方洋さん、北村憲雄さん、岡崎幸治さん、筆者、山根公高さん(昨年7月20日、「ナレオ・パーティ」にて)

 

写真:昨年7月、当社 設立45周年パーティーで祝辞を述べる四方さん

 「レッスン、オネ」のエピソード

四方さんの郷里は、京都綾部ですが、4年ほど前に当時立ち上がったグローバルビジネス学会の最初の全国大会に興味を示し出席いただいた際、私に話したことが今でも鮮明に心に残っています。

当日の朝、大会会場の早稲田大学国際会議場に向かう車の中で、「グローバルビジネス学会は英語と深い関係があるのに、私は英語が全くダメ」と終戦直後の新制高校一年生時の体験を語ってくれたのでした。

それは四方さんが当時通っていた高校が地理的事情で農業高校だったことからか、英語教師から受けたショッキングな体験でした。

新学期の最初の授業でその先生は英語の教科書を開き「レッスン、オネ」と第一声を発したのでした。その時、英語のたしなみがあるクラスメートから、「Lesson Oneの間違い」と教えてもらったと言います。

戦後の学制の混乱もあり、その教師の本職は漢文の先生だったにもかかわらず、急遽英語の授業に駆り出され、前述のように笑えない状況が作り出されたようです。

以来、この授業での体験がトラウマになり、社会に出ても英語に対する苦手意識がぬぐえなかったと言います。

そんな四方さんが、この学会には強い興味を示され、学会が注力する地方再生がこれからの日本にとって重要とし、昨年からグローバルビジネス学会の理事を引き受けてくださっていました。

四方さんは何年か前に大病を患ったことがきっかけで、カトリックの洗礼を受けたと言います。信仰を得たことで、これまで見えなかったものが見え、人生の味わいが大きく変わったと生前語っていました。

四方さん、これまで本当にありがとうございました。

四方洋さんの上に神の豊かな祝福がありますようお祈りいたします。

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