パブリック・リレーションズ

2009.07.06

『体系パブリック・リレーションズ』を紐解く 14〜PRの歴史的発展 その4

こんにちは井之上喬です。
皆さんいかがお過ごしですか?

今週は、『体系パブリック・リレーションズ』Effective Public Relations (EPR)第9版の邦訳:ピアソン・エデュケーション)をご紹介します。EPRは米国で半世紀以上のロングセラーを記録するパブリック・リレーションズ(PR)のバイブル的な本で、日本語翻訳メンバーには私も加わり昨秋発売されました。
20世紀初頭に米国で登場・体系化されたとされるパブリック・リレーションズ。今回は、第4章「パブリック・リレーションズの歴史的発展」(井上邦夫訳)の4回目として、第一次世界大戦期とパブリック・リレーションズが急成長を遂げた1920年代におけるエポック・メイキングな事象を紹介していきます。この時期は優れた人材を輩出し、それまでの防衛的なパブリック・リレーションズから戦略的な手法が開発された時期でもあります。

多くの人材を輩出した「クリール委員会」

「パブリック・リレーションズの当時の実務は、最初は防衛手段として誕生したが、第一次世界大戦がそれに大きな攻撃力を与えた。」と同書で記されているように、一次大戦を迎えてパブリック・リレーションズの実務には戦費調達のための活動が中心となり、強力な説得型プロパガンダ的手法が用いられるようになりました。

世論の重要性を知り尽くしていたウッドロー・ウィルソン大統領は、コミッティ・オン・パブリック・インフォメーション(Committee on Public Information:CPI)、いわゆる「クリール委員会」を設置。このCPI設置は、戦争行動を支持する世論形成とウィルソンの平和目的を支持する世論結集の任務を負ったもので、この時期を象徴する出来事でした。

本書では、ウィルソン大統領が委員長に任命したジョージ・クリールについて「クリールとCPIは、世論を結集する上で、かつてないほど強いパブリシティの力を実証した。例えば、全国に素早く届く国営ラジオやテレビがなかったため、国内のおよそ3000郡をカバーする7万5000人の市民団体指導者から成るネットワーク“Four Minute men”を創設。

これらのボランティアは、ワシントンから電報で通知を受けると、学校や教会、他の集会所へ情報を伝えるため、四方八方へと走った。戦争終結時までに、およそ80万通の4分間メッセージが配達された」と当時の人的走力に頼った情報ネットワークについて紹介しています。

またクリールは、優秀で才能あるジャーナリストや学者、プレス・エージェント、編集者、アーティスト、世論に影響を与えるオピニオン・リーダーなど驚くほどの人材を集めたといいます。こうした人材が合衆国政府のPRカウンセラーとなり、戦時体制の原動力になった考えを米国の内外に伝える役割を果たしたのです。

20年代の急成長を支えた巨星たち

本書は、「PRの専門職は、戦時下の発達に勢いを得て瞬く間に広がった。政府やビジネス、教育、教会、社会福祉事業の分野に登場し、大戦の余波の中で急速に成長した労働運動や社会運動にも登場した。1920年に、酒類販売反対同盟が全国的な禁止令を勝ち取って勝利を収め、婦人参政権運動でも成功を収めたことが、パブリック・リレーションズの新たな力を発見する新鮮な証拠となった」と急成長期の時代背景を紹介しています。

この時期には前述したクリール委員会の活動を通じて多くのPR実務家が輩出され、戦後20年代のパブリック・リレーションズの黄金期を築く底力になりました。

PRを体系化した先駆者で雑誌『ライフ』から「20世紀の最も重要な100人のアメリカ人」にも選出されたエドワード・バーネイズと情熱的な戦略家のカール・バイアーについては、このブログの「パブリック・リレーションズの巨星たち」の(2)(3)で紹介していますのでそちらを参照してください。
バーネイズとバイアーに続く3人目はジョン・ヒル。本書は「米国内経済が活況を呈し、メディアが急速に成長したにも関わらず、1926年にマンハッタンの電話帳に記載されていたPR会社は6社だけだった。クリーブランドのジャーナリスト、ジョン・ヒルは1933年、ドン・ノウルトンとパートナーシップを組み、その後すぐにニューヨークへ移動してヒルアンドノウルトン(H&K)を設立した」と、世界有数のPR会社であるH&Kの誕生を伝えています。

4人目はアーサー・ペイジ。このブログでも紹介したことがありますが、今日のパブリック・リレーションズの実務を形成した先駆者の中では、彼が頂点に立つといわれています。ペイジは雑誌や定期刊行物のライター兼編集者を務めた後、AT&T社の副社長に就任。そして数々発表したニュース・リリースのうち、もっとも著名で私たちとも関係のあるものは、1945年8月6日に公表された「広島への原爆投下」でした。これは、ハリー・S・トルーマン大統領の依頼により作成されました。

本書では、この時期にパブリック・リレーションズという新しい職業分野で活躍する2人の女性を紹介しています。一人は1922年にバーネイズと結婚したフライシュマンで「エドワード・L・バーネイズ、パブリック・リレーションズ・カウンセル」事務所を立ち上げています。フライシュマンは初期の男女同権論者であり、結婚後も旧姓のまま通した最初の女性。社会的に別姓が認められるずっと前のことです。

もう一人の女性はアリス・L・ビーマン。主に教育分野で活躍し、その後、ビーマンは1974年設立の全米教育振興支援評議会(Council for the Advancement and Support of Education:CASE)の初代委員長に就任します。

このようにパブリック・リレーションズの実務は、戦時の教訓とアメリカの変革を推進力にして、1929年の株式市場大暴落まで急速な発展を遂げます。次回は5回目としてルーズベルト時代と第二次世界大戦期を紹介します。

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