パブリック・リレーションズ
2007.11.16
PRパーソンの心得 16 説得力
こんにちは、井之上喬です。
皆さん、いかがお過ごしですか。
自分という存在が他者と関わるとき、意見の相違が生じ物事が前に進まなくなることはよくあることです。そんなとき必要となるのが、説得力。説得力を持ち合わせるかどうかで、事の成否は大きく分かれます。
相手を受け入れた「無私の心」
説得とは、ある事柄について、自分を介して相手に立場や意見の相違を乗り越えて歩み寄ってもらい、互いの納得の上で合意を得るプロセスです。
パブリック・リレーションズの実務家や組織に所属する広報(PR)担当者は、クライアントや所属する組織のトップと意見が分かれたときにはカウンセリングを通して、軌道修正を行ない正しい方向に導くための説得を試みなければなりません。また、パブリック(ステークホルダー)の動向に賛同できない場合、その動向を修正するようなメッセージを発信することでパブリックを説得しなければなりません。
説得力をもつ主張とは、一体どのようなものでしょうか。
まず、何を伝えたいかを明確にすること。そして、決断や行動の基準となる確固たる価値観に基づいた主張を展開すること。判断基準が明確であることが相手に伝わると、相手に安心感を与えます。説得には、言葉だけでなく、時には身振りや手振りを交えることも重要な要素となります。しかし、どのような説得でも相手を受け入れ、認める心がないと成功しません。
相手を動かすのは無私の心。組織体であれば、まず何がその組織にとって重要なのかを最優先にしなければなりません。自分の利益や目先の利益を考えず、時代や世論など取り巻く環境を考え、相手を考え、そして未来を予測した上でどんな選択肢が最良であるかを熟慮すること。 この真摯な姿勢が人の心を動かし、その主張が説得力を持つようになるのです。
また相手との隔たりが大きい場合には、説得に時間を要することもあります。その際は、潮目が変わるのを待ちながら忍耐強く説得を行なうこと。メッセージが相手に伝わるまで、相手との対話を繰り返し、じっくりと双方向のコミュニケーションを行なう努力を重ねることです。
隆盛/海舟 会談にみる説得力
西郷隆盛と勝海舟が成し遂げた江戸城無血開城。この偉業も、幕府陸軍総裁の勝と官軍参謀の西郷という相反する立場の人間が、無私の心で日本の将来を見据え、何が最良の結果をもたらすのか深く考え、真摯に向き合った2人の説得の成果です。
1868年1月、鳥羽伏見の戦いが始まり、3月初旬には官軍は江戸に到着。2人の話し合いの翌日3月15日には官軍による江戸城総攻撃が予定されていました。しかし2人は江戸を戦火にさらさないために総攻撃を中止すべく最後まで忍耐強く互いの説得を試みました。
最終的に勝は西郷に,官軍が将軍徳川慶喜を助命し徳川家に対し寛大な処置を行うならば、幕府側は抵抗せず江戸城を明け渡すと申し入れました。そこで西郷は勝の申し出を受け入れるよう朝廷を説得することを約束。この説得の末、江戸の町が火の海になることなく江戸城開城を実現させたのです。
元来日本人にとって相手を説得する能力はそれほど高くありません。その一つの要因として、島国でハイコンテクスト・カルチャーの日本では、欧米と異なり、コミュニケーション方法に言葉や身振りを交え相手を説得する必要性がなかったことが考えられます。
説得という行為には他者の心を動かす何かがなければなりません。だからこそ、真摯に向き合い無私の心で相手を説得することが前提条件となります。受容という双方が新しい境地にたどり着くことで、自らの存在をとおして他者と関わる意味も増すのではないかと思います。コミュニケーションの専門家でもあるPRパーソンの存在意義もまた、そこにあるのではないでしょうか。
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