時事問題
2006.01.27
地震大国日本における耐震強度偽装問題が日本社会に提示するもの
こんにちは、井之上喬です。早いもので1月も最後の週になりました。
今週は、ライブドアの堀江前社長の逮捕劇から始まり、今朝のニュースのトップを飾った「東横イン」の偽装建築問題など、不祥事のニュースでメディアが埋め尽くされた週となりました。
どうしてこのような不祥事が際限なく噴出するのでしょうか。私にはこの状況が、例えていうならば、人間(とくにバックボーンのない)が内的変化を起こすときに見せる混乱や錯乱が、構造転換をはかる日本社会にも起きているように見えてなりません。
今日は、パブリック・リレーションズの視点で耐震強度偽装問題について考察し、「何が日本に欠けているのか?そして混沌とした日本社会に秩序をもたらす処方箋はあるのか?」皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
1995年1月17日、震度7の地震により6,434人もの尊い命を奪った阪神大震災の悲劇の教訓もむなしく日本を震撼させているこの偽装事件は、昨年11月に国土交通省が耐震強度偽装問題を公表したことで発覚しました。偽装工作は、建築物の構造設計専門家である姉歯秀次元一級建築士が、地震時の圧力を低く入力するなどの方法で構造計算書を偽造した98年にさかのぼります。
偽装隠蔽ルートは設計・施工から販売にいたるまで整えられており、民間の確認検査機関や地方自治体の安易なチェックシステムにより建築確認が出されていたようです。この結果、各地で耐震強度不足のマンション、ホテルが建設・販売されました。今年1月20日までに確認されている偽装物件は18都府県にわたり計95棟とされ、中には震度5弱で倒壊しかねないものもあるとされています。
この事件をとおして、近年日本で続出する様々な不祥事に共通する根本的問題点が浮かび上がってきます。それは、倫理観の不在、自己修正能力の欠如、相手視点の欠落からくる危機管理に対する甘さです。パブリック・リレーションズの生命ともいえるこれらの要素が日本社会で希薄なために、同じ過ちが繰り返されているのではないでしょうか。
本来、建築設計や建設・施工の仕事は、利用者の安全・生命を守る専門家として、自覚と責任を持って従事すべき職業です。しかも日本は世界有数の地震大国。耐震強度不足の建物は人の命を奪うことに直結しかねません。それを認識しながら目先の利益を優先し、問題さえ発覚しなければ不正も良しとする彼らの行動には、倫理観の片鱗も見ることができません。
問題発覚後も、関係者の情報開示に対する消極的な姿勢や度重なるその場しのぎの発言など、彼らはどの程度この問題の重大性を認識しているのでしょうか。また発覚後の関係者による一連の行動は、責任の所在を明らかにして問題解決に向き合うために必要な自己修正能力の欠落をも露呈させています。
それを象徴するのが1月17日に衆院で行われた証人喚問でした。建築主ヒューザーの小嶋進社長は「刑事訴追の恐れがある」として問題の核心部分について証言拒否を繰り返しました。証言した答弁でも問題をはぐらかすなど、自身の保身に終始し、自分の過ちを認めて全貌解明に協力する姿勢は見受けられません。
ひるがえって、この問題は行政側の危機管理の甘さをも露呈しています。このことは行政が国民(相手)の視点に立って行われていないことに起因していると考えています。パブリック・リレーションズの視点で考えると、情報発信者は同時に受容者にもなり、行政従事者は消費者や顧客でもあることが理解できます。相手の視点を持つことにより、節穴だらけの管理体制は容易に排除され、真の国民の求める安心して暮らせる住環境の実現が可能となるのです。
パブリック・リレーションズの視点で見るまでもなく、住宅のような専門的知識が要求される買い物の場合には、顧客が商品の欠陥、それも目に見えない構造的な欠陥を見いだすことは極めて困難といえます。他の自動車(事故を誘発する)や電気製品(感電や火災を誘発)と同様に、欠陥が原因での事故が災害をもたらす場合の製造者責任は極めて重大とみるのが自然です。
補償問題に関して、小嶋社長個人や会社の被害者への補償能力がほとんど期待できないなか、自治体、政府、検査機関が今後どのように対応すべきか国民が注視しています。
現在、耐震偽装や危険な建物の建設・販売に対する罰則は、建築基準法第99条に示される50万円以下の罰金のみです。罰則規定の甘さへの批判が強まり、国土交通省は1月14日、罰金の強化と最大「3年以下」を軸にした懲役刑導入の検討を発表しました。しかし地震大国日本において、住居は住人の生命を預かるものと考えれば、この種の違反には「殺人未遂罪」と、より厳しい罰則が適用されてもおかしくありません。抑止力として機能させるには、より厳しい罰が必要です。
この事件の真相はいまだ明らかになっていません。閉鎖に追い込まれたホテル。すでに解体工事が始まっている建物。そして倒壊の恐怖におびえながら将来の展望も見えず暮らす人々。まったく気の毒としか言いようがありません。被害者のためにも、そして今後同様の事件が繰り返されないためにも、国や行政は徹底的に真相を究明して責任の所在を明らかにし、早急に対応策を講じなければなりません。
先にも述べたとおり、今回の不祥事もパブリック・リレーションズの概念がことごとく欠落していたため起きてしまった事件であったといえます。パブリック・リレーションズの手法が日本社会に根付いていれば、業界活性化への試みが逆に手抜きの温床にならずに済んだのではないかと考えると非常に残念です。
再生後の日本の進むべき方向を明確なものとするには、社会において核となるバックボーンが不可欠となります。そのバックボーンとは倫理観にほかなりません。そして、どのような変化にもリアルタイムで対応できるパブリック・リレーションズこそ一連の不祥事の処方箋といえます。パブリック・リレーションズを日本社会に導入することにより、希望のある未来へ確実に近づけるのではないかと確信しています。