交遊録
2011.05.09
「音楽長屋」の仲間と全員集合 〜楽しかった学生時代
こんにちは、井之上喬です。
東北大震災が起きる2週間前、母校早稲田大学の軽音楽グループで活動をしていた当時の仲間たちと40数年振りに再会しました。
集まった場所は、現役時代モダンジャズ・グループでアルトサックス・プレイヤーとして名を馳せた幸田稔君が新宿で経営する、ジャズのライブハウス「J」。
昭和43年卒業生を中心に企画されたこの同窓会には、当時早稲田で活躍した軽音楽バンドのメンバー約70名が集まりました。同窓会の名前は早稲田大学「音楽長屋同窓会」。
これらの軽音楽バンドとは、早稲田大学軽音楽連盟の公認の5バンド、つまりオルケスタ・デ・タンゴワセダ、ニューオルリンズ・ジャズクラブ、モダンジャズ研究会、ハイソサエティ・オーケストラ、そして私が所属していたナレオ・ハワイアンズ(現在は“ザ・ナレオ”)。
これら5つのバンドの練習場所が「音楽長屋」。青春時代のすべてがそこにありました。
音楽長屋の5つのバンド
この企画は、ニューオルリンズ・ジャズクラブでピアノをやっていた同期の平井昌美君の発案で実現したもので、彼の呼びかけに同じ長屋仲間で他の4バンドのOBも賛同。43年卒業OBを中心に開催されたのでした。
音楽長屋は、文学部キャンパス(現在の戸山キャンパス)にある記念会堂の裏手にあり、昭和26年に大学が購入した木造平屋の建物。1999年に現在の「学生会館」が建設されるまで、当時大学に公認されていた5つの音楽サークルが練習所としてこの長屋を使っていました。
当時すでに古かった長屋は、なだらかな傾斜地を切り込んで南北に細長く建ち、石段を7?8歩上った入り口からまっ直ぐ廊下があり、その右側に小ぶりの練習場が2部屋、突き当たりに大部屋が1部屋ありました。入り口から、ニューオリ(以下俗称)とタンゴ、次にダンモとナレオ、奥の大部屋にはビッグバンドのハイソ。
各バンドのメンバーは授業の合間を見てはこの練習所に集まり好きなだけ練習。なかには授業に出ずこの部室と家の往復で留年した仲間も。当時の学生ミュージシャンにとってはまさに聖地でした。
演奏旅行や当時流行のダンス・パーティなどで、一緒にステージにのった仲間たち。
毎年地方の演奏旅行は、春夏合わせて40-50会場。それに大学のクラブ(サークル)の資金稼ぎのためのダンス・パーティへの出演などあわせて年に100回以上演奏活動をしていたことになります。
学生バンドがもてはやされていたこの時代は、NHKや民放のテレビやラジオに出演することもしばしば。
鈴木チンさんと一緒にセッション
当日ハイソの同期、幹事の市浦君が準備した「音楽長屋Slide Show」を全員で楽しみ往時を懐かしみます。
せっかく集まったのだからと、それぞれのバンドが数曲ずつ演奏。最初のナレオの飛び入り若手グループの演奏に続き、ニューオルリンズ・ジャズクラブの演奏。
続いてわれわれナレオの演奏。演奏曲目は、ジャズボーカル・グループのフォー・フレッシュマンの“Day by Day”。続いて、インヴィテーションの“Kiss Me Love”。
ナレオの演奏中に興が入りすぎたのか、飲み過ぎでステージの目の前で他のグループメンバーの一人が突如倒れ救急車で運ばれるハプニングも。しかし演奏は中止されることなく進みます。
ハイソサエティ・オーケストラに続いて、最後はモダンジャズ・グループの演奏。懐かしい面々による演奏で気分は高まっていきます。
フィナーレとして、各グループから自由参加でジャムセッション。さながら“早稲田大学音楽長屋軽音楽オールスターズ”。最初の曲の“A列車で行こう(Take A Train)”に続き、締めくくりは”All of Me”を演奏。
最後の曲ではナレオの先輩でいま癌と戦っている、三田義昭さん(40年:スチールギター)のボーカルから始まり、クラリネットでは同期でニューオリの重松英俊君、トランペットは同じくニューオリ東条一幸君、ピアノのニューオリ平井昌美君、トロンボーンはハイソ市浦靖君、そして私のビブラフォンとそれぞれアドリブ演奏。
この時のステージには同期でベース奏者として日本ジャズ界の第一人者、鈴木良雄君(チンさん)も登場。彼との競演の機会を得ました。
チンさんは、日本にいたころは渡辺貞夫や菊池雅章のグループに参加。その後NYに渡り、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズにメンバーとして加わり、ソニー・ロリンズやチェット・ベーカー たちとも共演するなど、10数年にわたる演奏活動を終え現在日本で活躍中。
学生時代部室も同じで、当時ダンモでピアノを弾いていました。こんなことでもないと彼と一緒に演奏することはできません。至福のひと時でした。
当日は、「J」の取締役宣伝部長で後輩のタモリこと森田一義君(ダンモ:MC/トランペット)が仕事の関係で参加できず、TVでは披露することのない、取って置きのギャグを楽しめなくて残念。
この集まりには、ナレオの同期で司会をやっていた、松倉悦郎君(元フジTVアナで現在僧侶)が姫路から、ハイソの先輩の中嶋正弘さん(41年卒:トロンボーン、元シャープ&フラッツ)が岩手県の一関から、その他、三重、長野、静岡などからも仲間が駆けつけてくれました。
職業もマスコミ業界、レコード業界、メーカー、ミュージシャン、商社マン、銀行マン、建築家、政治家、大学教師などと多彩。
私が若くしてPR会社を始め、パブリック・リレーションズの世界に飛び込むことができたのも、こんな素晴らしい仲間たちに支えられていたからかもしれません。
この会の実現に幹事として尽力してくれた、発案者の平井君と他のメンバー、タンゴの松永邦久君、ダンモの幸田稔君、ハイソの市浦靖君、ナレオの三浦孝之君に感謝します。次回また元気に会えることを楽しみに。