アカデミック活動

2006.12.16

Aflac、がん保険のパイオニア、大竹美喜さんを講師に迎えて 〜他者との関わり中で人生を拓いてきた天性のPRパーソン

こんにちは、井之上喬です。
皆さん、いかがお過ごしですか。

「アフラック、アフラック」と鳴くアヒルのコマーシャルを皆さんも一度はご覧になったことがあると思います。1974年、日本で初めて「がん保険」を取り扱い始めた米国系生命保険会社、アメリカンファミリー生命保険(Aflac)です。 現在では、日本における外資系生保では最大規模。総資産およそ5兆円、米国親会社の3倍の収益を誇るまで成長しました。

その立役者が、日本社創業者・最高顧問である大竹美喜さんです。「人間は関わりを持って生きている」といえますが、大竹さんはまさに他の人との関わりのなかで、自分の人生を切り開き、成功を収めたユニークな企業経営者でありPRパーソンといえます。今回は、その大竹さんを「パブリック・リレーションズ概論」に講師としてお迎えし、「アフラックとPR?ビジネスと社会的使命」についてお話いただきました。

大竹さんとの出会いは、10数年前、大竹さんがAFLACの会長をしておられたとき、たまたま同じ団体のメンバーとして紹介を受けご挨拶したことに始まります。大竹さんとはビジネスにおける考え方や姿勢に共感する部分が多く、以来親しくお付き合いさせていただいています。

求めれば必ず天職に巡り合える

授業の中で大竹さんは、「求めれば必ず天職に巡り合える」として、ご自身が32歳でAflacのがん保険とであうまでの軌跡を語ってくれました。

大竹さんは大学卒業後、農業技術者を目指して渡米。米国でキリスト教を受洗し、牧師として アフリカのコンゴでの布教を志しますが、コンゴ動乱で挫折。その後、政治家の秘書などいくつかの職業を経験した後、72年にAflacのがん保険と運命の出会いをします。

Aflacの創業は1955年。本社は米国ジョージア州、コロンバスにあります。フロリダ大学に学び大学を出た弁護士であったジョン・エイモス氏が弟のポール・エイモス氏と共に創業しました。2人は癌に苦しむ父親をみて、58年「がん保険」を開発・販売を開始。73年にはニューヨーク市場に上場しました。同社は世界での販売を目指し、大竹さんに日本支社創立への協力を要請してきたのでした。

しかし当時の日本では、外国生保会社に対する認可は皆無。「がんは不治の病」とする固定観念もあり、なかなか受け入れられず、認可取得までに2年半もかかったといいます。当時の大蔵省や厚生省と交渉を重ねる苦悩の日々。そんな大竹さんを支えたのは、この仕事が「自分の使命」であるとの使命感と好きでたまらない気持ちであったと話してくれました。

74年10月1日、同社は日本で念願の事業免許を取得。日本におけるがん保険が誕生しました。大竹さんは、それ以来さまざまなパブリック・リレーションズを通して、生命保険でも損害保険でもない「生きるための保険」として、癌とがん保険の認知活動を積極的に行った経緯を話してくれました。

その根底にあるのは、公共性と新たな価値の創造。ビジネスは利益追求だけでなく、愛と正義を追求すべきとして、良き企業市民として倫理観に沿った社会貢献に力を注ぐと共に、誰もやっていない未到の領域に常に挑戦していると語ってくれました。その内容は、「芸術・文化、社会的貢献、コーポレート・ガバナンス、コンプライアンス、社会的責任投資、環境、地域貢献」。その成果は現在同社が推し進めている「公益信託 アフラックがん遺児奨学基金」「アフラックペアレンツハウス」などのCSR活動や1985年、世界初の痴ほう介護保険の販売に見られます。

また、Aflacのスピリットを伝える愛の伝道師として、トップが自らPRパーソンとなり、自己修正をしながら目標を達成していくことが極めて重要であるとしました。トップの役割を、「企業理念の浸透」や「ビジョンを描き、ステークホルダーからの共感を呼ぶ」ようにすることとし、また、「社会的使命を果たし、リスクを請け負う」ことだと語りました。

様々なリレーションズの中でも、多くのターゲットに到達できるメデイアやメディアのトップと良好な関係性の構築・維持の重要性を述べ、そのためには、自ら話題づくりに努力すること、常に明確なメッセージを頭に描くこと、相手(双方向)の視点を持つことなどを挙げました。

自分との対話から信念や志が生まれる

Aflacの驚異的ともいえる成功は何処から来たのでしょうか。大竹さんはその要因を大竹流4つの経営哲学として簡潔に語ってくれました。
1. 卓越した何かを持つ
2.うわさに惑わされず、確実な情報をつかめる?真実を見極める目
3.失敗から学ぶ、失敗を恐れない
4.人を選ぶ〜企業は人なり

加えて、次世代のリーダーには「個の確立」が必須であると強調されました。それには、自分との対話の時間を持つこと。物事を掘り下げて考える方法を学ぶことであるとしました。自問自答を繰り返す中で、本当に大切なものを見極められるようになり、しっかりとした志が内側に育っていくと語り、「高い志を持って、一人ひとりが光る存在になって欲しい」と次世代を担う人への強い期待感を示しました。

講義の後の質疑応答も活発に行われ、真実を率直に語る大竹さんの講義に学生の皆さんも引き込まれてしまった様子でした。
大学卒業後の10年間、挫折を繰り返す中で彼を支えたものは、「必ず天職に出会えるとの思い」だけだったといいます。「32歳で天職に出会えたことは、遠回りに見えて、実は近道であった」、つまり「目標達成に向かって困難に遭遇しても諦めずに目標を実現していくことが結局は最短距離で目標を達成することになる」との言葉は、様々な人との関わりの中で自らを高め、夢を実現してきたひとりの人間の言葉として深く印象に残りました。

広島の山村に生まれ、雨の日も、風の日も、雪の日も、小学校を毎日往復4時間かけて歩き続けた大竹少年。その自問自答の人生は大輪の花を咲かせました。「自分のあるべき姿や夢を思い描き、常に目的意識を強く持ってその夢を実現していく」。大竹さんが講義のなかで幾度となく繰り返していたこの言葉は、PRパーソンはもとより、次世代を担うリーダーに最も必要とされる、人生に対する姿勢であるといえます。
大竹美喜さん、どうも有難うございました。

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