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2019.12.01

フランシスコ教皇が来日で残したもの
~核廃絶と平和への強い想いを新たに

皆さんこんにちは井之上喬です。

いよいよ師走ですね。2020年が良い年になるように、しっかり準備をしたいものです。

このところ急に寒くなりましたが、体調には留意されてください。

38年振りのローマ教皇の来日

11月23日(土)から26日(火)の4日間、フランシスコ・ローマ教皇が日本を訪れました。ローマ教皇の来日は、1981年2月の故ヨハネ・パウロ2世以来38年振りで2回目です。

日本語では「ローマ法王」と表記されることが多いですが、これは大正時代、東京に現在のバチカン大使館の前身である「ローマ法王庁使節館」が設置された際に使われた表記が、今日まで続いてきたものです。今回の来日を機に、日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会は「ローマ教皇」の表記を推奨。日本政府もそれに合わせ、今後呼称を「法王」から「教皇」へ変更すると発表しました。

フランシスコ教皇は、82歳でアルゼンチン出身。2013年に教皇に選ばれましたが、リベラルで、貧しい人に積極的に寄り添おうとする姿勢は、世界中の信者から支持を得ています。ツイッターのフォロワーの数は、9か国の言語で4900万人を超すといわれています。

今回のフランシスコ教皇の来日を振り返ってみましょう。23日夕刻に東京に到着、24日には被爆地である長崎市、広島市を訪れました。25日は、午前中は都内で東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の被災者、海外からの移民や難民ら若者と交流し、天皇陛下との会談にも臨まれました。午後には、東京ドームでミサを行い、夕方に安倍首相と会談しました。最終日の26日は上智大学を訪問し、昼には帰国の途に就くというハードスケジュールでした。

教皇は、被爆地の長崎、広島から、戦争の悲惨さと核兵器の非人道性を強く非難し、核兵器のない世界の実現に向けて人類全体が取り組むことを呼びかけられました。

今回、原爆投下後に亡くなった小さな弟を背負い直立不動で立つ「焼き場に立つ少年」の写真が、多くのメディアで取り上げられました。教皇が長崎で、これを撮影した写真家の息子と会談したことに合わせたものです。この写真とともに、教皇のメッセージは、強く私たちの心に響いたのではないでしょうか。

米軍兵士ジョー・オダネルが撮影した写真が「トランクの中の日本」として日本で一般公開されたもの。写真2枚は筆者が2015年秋に京都のミュージアム会場で撮影。

日本は、教皇みずからが各国に批准をよびかけている核兵器禁止条約に参加していませんが、安倍首相は教皇との会談で何を感じたのでしょうか?

東京ドームのミサに参加して想う

東京滞在中の25日に、東京ドームで教皇による5万人のミサが執り行われました。

私もインターネットから申し込み、幸運にもアリーナのブロック最前列に席を得られました。

5万人の大歓声があがる中、教皇は純白のトヨタ水素自動車MIRAIのオープンカーに乗って入場し、会場を一巡。差し出された幼子一人ひとりに祝福を与える教皇の姿に、場内は深い感動の渦に巻き込まれました。

ヨハネ教皇の東京ドームでのミサ風景(2枚)。

日本全国から参加した方の中には、福島原発の被害者や車椅子の方、カトリックの洗礼を受けた袴田巌・元被告の姿も見られました。会場には時に大歓声が響き渡り、祈りの時には完璧なまでの静謐な空間が形成されていました。

約2時間のミサはあっという間に終わり、会場の多くの方が癒されました。

日本滞在中の教皇は、少し足が悪い様子でしたが、雨模様の天候の中、過密なスケジュールをものともせず、いつも訪問先で素敵な笑顔を絶やすことなく日本国民に優しく接してくださったのでした。

核のない、戦争のない、美しい地球を、次の時代にいかに残すべきか。世界で初めて核の被害にあった私たち日本人の心に、教皇から発せられた言葉は、その使命と責任意識を植え付けてくださいました。

パブリック・リレーションズ(PR)に関わる一人として、これらの実現に向けて改めて自らの心を引き締めた4日間でした。

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