パブリック・リレーションズ

2007.01.19

PRの巨星たち 6.選挙PRコンサルタントのパイオニア〜ウィトカー&バクスター その2

こんにちは。井之上喬です。
皆さん、いかがお過ごしですか。

今日は、先週に引き続き「パブリック・リレーションズの巨星たち 6. その2」と題し、米国における初の選挙PRコンサルタントとして1940年-1950年代に活躍した、クレム・ウィトカーとウィトカーの公私にわたるパートナーとなったレオーヌ・バクスターのお話をします。

全米が注目したキャンペーン

34年のカリフォルニア州知事選でのPRキャンペーンに勝利した後、カリフォルニアを拠点に活躍してきたウィトカー、バクスターの二人に全米の注目を浴びるチャンスが巡ってきます。49年、当時の米大統領トルーマンにより提唱された公営医療制度に反対する、全米医師会(AMA)からのカウンセリング要請に対する応諾がその始まりでした。

AMAは、彼らのアドバイスに基づき速やかに全米教育委員会を設置し、同年、ディレクターにウィトカー、ジェネラル・マネジャーにはバクスターが就任しました。二人は全米14万人の会員に運動の必要性を訴え、シカゴでのAMA総会では一人25ドルの寄付を呼びかけ、全米キャンペーンをスタートさせたのでした。

スローガンは「ボランティア精神はアメリカの精神」。世界の頂点を極める米国医療にとって、公営医療は質の低下や医療情報流出の危険性を高めると訴え、専門医師のボランティア医療への参加が医療費削減につながると主張。「民間による医療の重要性」に対する理解と協力を広く求めたのです。

キャンペーンでは、全米各地の医療関連協会を通じて、各種事業団体や財団法人などと接触し8000ものエンドースメント(賛同)を獲得。そして、これらの事実をストーリー仕立てにして世論の高い支持を市民にアピールするなど、全米のあらゆるメディアを通じて継続的にメッセージを発信。講演会やイベントなどのスピーチ原稿作成からそのスタッフ配置に至るまで包括的かつきめ細かいキャンペーン運営を行いました。

52年、トルーマン大統領は公益医療制度の実現に向けて大きな妨害行為があるとして、委員会を設置し6大都市で公聴会を開催します。しかし結果は、公益医療制度を支持するものではありませんでした。委員会は「医療サービスを受ける権利は基本的人権であるとして、地域医療の更なる充実を求める」としながらも、「公益医療制度に対する明確な必要性は認められなかった」と報告。このときウィトカーとバクスター陣営の勝利が確定したのです。

3年半にわたるキャンペーンの総コストは約470万ドル。そのうちウィトカーとバクスターの契約フィーは40万ドルでした。知事選にかかる総コストが約50万ドルといわれていた当時、彼らの行ったキャンペーンが如何に巨大なものであったかが覗えます。

新しいキャンペーン手法

各方面から政治キャンペーンの依頼が殺到するなかで、二人は新しいキャンペーン手法を積極的に導入します。50年代のテレビ時代、米国の一般家庭に普及したテレビを通したイメージ戦略をいち早く採用し、徹底したわかりやすいスローガンと明確なメッセージを発信。資金投下は、キャンペーン開始直後と有権者の関心が飛躍的に高まる最後の3週間に戦略的に集中して行い、普段は政治に無関心な有権者の心をつかむことに成功します。54年のカリフォルニア州知事選挙で共和党候補グッドウィン・ナイトを勝利に導いたのもこの手法でした。

ウィトカーとバクスターが手掛ける政治キャンペーンは、必ず勝利するといわれるほど高い勝率(90%)を記録しました。55年に掲載されたタイム誌のインタビューでは、「これまで70のキャンペーンを勝利に導いたが、もし対立勢力のコンサルタントを担当していたら結果はどうなっていたか?」との質問に、バクスターは「私たちの担当する候補者が勝利していたでしょうね」と答えています。彼女の自信に満ちた発言は、ウィトカーとバクスターの考え出した手法へのゆるぎない確信の表れともいえます。

彼らの独自性は、政策立案、スピーチ原稿の作成、全体のイメージ管理を含めた情報管理から資金調達や投入資金の配分などの資金管理まで、選挙に関するあらゆる側面を包括的にアドバイスしたことにあります。そして、綿密な調査と計画を基に戦略的に徹底したキャンペーンを展開し確実に勝利を重ねていったのです。

59年、新しくウィトカー & バクスター・インターナショナルを設立。彼らは主に選挙や政治問題に関するカウンセリングを行っていましたが、PG&Eやスタンダードオイルなどの企業もクライアントに名を連ねていました。政界でのクライアントは、アール・ワレンやドワイト・アイゼンハワーなど、主に共和党候補者を担当していました。

ウィトカーとバクスターの手法は、選挙キャンペーンの質を変えたと賞賛される一方で、見栄えの良いスローガンばかりで実質を伴わない候補者が当選するトレンドを作ってしまい、政治を空虚にしたと批判されてもいます。これは、2001年5月から昨年9月まで5年にわたり政権維持を果たした、小泉政権に対する日本のメディアの批判とも似通っていると見ることもできます。
私の会社(井之上パブリックリレーションズ)は04年4月に行われた衆院埼玉8区補欠選挙に携わりました。それは、同区選出の自民党衆議院議員の選挙違反による不戦敗を避けるため、自民党本部初の全国公募で選ばれた無名の新人候補をたてた選挙PRキャンペーンでした。

事前調査に基づいて、有権者各層に対するきめの細かい政策提案をベースに、イメージ戦略を重視した包括的で多様なPRプログラムを展開しました。親しみやすいパーソナリティを前面に出したことにより地元の人の支持を得て、劣勢をはね返し予想外の差で民主党候補に勝利する結果となりました。戦略的にキャンペーンを実施し無党派層を取り込むことに成功した点で、ウィトカーとバクスターの手法と多くの共通点があります。

1961年11月3日、若い頃から喘息を患っていたウィトカーは、呼吸器疾患のため62歳でこの世を去りました。タイム誌は彼の死を報じた記事のなかで「パブリック・リレーションズを選挙キャンペーンに持ち込んだ実務家」と記しました。

PRコンサルタントによるメディアと世論調査を重視した選挙キャンペーンが主流となるのは、ニクソン(共和党)とハンフリー(民主党)の両候補が第37代米国大統領の座をかけて戦った60年代後半といわれています。ウィトカーとバクスターの「わかりやすいスローガンを最適なメディアを通して戦略的に発信する」というコンセプトは選挙キャンペーンの原則として現在にもしっかりと受け継がれています。

*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:**:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’
好評発売中の『パブリック・リレーションズ』
(井之上喬著:日本評論社)第2刷が発刊されました!
*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,

書籍

注目のキーワード
                 
カテゴリ
最新記事
アーカイブ

ページ上部へ