パブリック・リレーションズ

2009.10.12

『体系パブリック・リレーションズ』を紐解く 18 〜PRの歴史的発展 その8

こんにちは、井之上喬です。
皆さんいかがお過ごしですか?

今週は、『体系パブリック・リレーションズ』Effective Public Relations (EPR)第9版の邦訳:ピアソン・エデュケーション)をご紹介します。EPRは米国で半世紀以上のロングセラーを記録するパブリック・リレーションズ(PR)のバイブル的な本で、日本語翻訳メンバーには私も加わり昨年9月20日に発売されました。早いものでもう1年が経ちました。

20世紀初頭に米国で登場・体系化されたとされるパブリック・リレーションズ。今回は、第4章「パブリック・リレーションズの歴史的発展」(井上邦夫訳)の8回目として抗議運動と市民パワーの時代(1965-1985)の後半におけるエポック・メイキングな事象を紹介していきます。今回は8回に及んだ「パブリック・リレーションズの歴史的発展」の最終回となります。

■キング牧師の有名な演説“I Have a Dream”

本書ではマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師(Martin Luther King, Jr.,1929?68年)が「抗議運動と市民パワーの時代」における象徴的存在として活躍していたことを紹介しています。そして、「キング牧師が国民的指導者へ昇りつめるきっかけとなったのは、1955年、アラバマ州モンゴメリーでバスに乗車中のローザ・パークスが、白人の乗客に席を譲らなかったことを理由に逮捕され、パークスのために立ち上がったときである。」

「キング牧師は、1963年8月28日、ワシントンD.C.のリンカーン・メモリアルでおよそ25万人の聴衆を前に、有名な演説“I Have a Dream”(私には夢がある)と呼びかけた。彼は、暗殺される前日の1968年4月4日には、テネシー州メンフィスで、予言的な演説『私は山の頂上に行ったことがある』と語りかけた。彼は公民権運動の殉教者であり象徴でもあった」と記しています。

公民権運動がもたらしたひとつの成果として1965年の投票権法(Voting Rights Act)と1968年の個人住宅の販売・賃借における人種差別撤廃を促す公正住宅法(Open Housing Law)の法制化が挙げられています。キング牧師と公民権運動は、あらゆる組織体の対内的・対外的なリレーションズ(関係性の構築)に影響を与え、変化と権限委譲の時代を特長づけたのです。
また、公民権運動の成功は、グロリア・スタイネム、ベラ・アブザグ、シャーリー・チゾムたちが先導する男女同権運動にも大きな影響を与え、女性がパブリック・リレーションズ分野や様々な職場へ進出するきっかけともなったと記しています。

大統領を失脚に追い込んだ市民行動

ベトナム戦争反対運動は公民権運動とともにこの時代を二分した大きな出来事であり「ジェネレーション・ギャップ」、「ヒッピー」、「セックス革命」といった言葉やライフスタイルを生みだしました。そして、その反戦運動はウォーターゲート事件とリチャード・ニクソン大統領(1969-74)弾劾へと発展したと本書に示されています。

学生たちが全国のキャンパスで反戦運動を繰り広げる中、1970年のカンボジア侵略に抗議するデモは最大の悲劇を招きました。この悲劇について本書は「オハイオ州のケント州立大学では国家警備隊が4人の学生を射殺し、ミシシッピ州のジャクソン州立カレッジのキャンパスでは州警察が2人の学生を殺害した」と述べ、「この7カ月後、連邦議会は、米国がベトナムに事実上の宣戦布告をした1964年のトンキン湾決議を破棄した。1973年1月27日、米国、北ベトナム、南ベトナム、ベトコン暫定革命政府の4者は、『ベトナムの平和復興』の合意書に署名した。しかし、市民の行動が公共政策を変更に追い込み、大統領を失脚させたように、市民パワーはもう後戻りすることはなかった。『パワー・トゥー・ザ・ピープル』が合言葉となり、同時にこの時代の本質をうまく捉えてもいた」と結んでいます。

1972年のウォーターゲート事件は、日本でも大きく報道されました。それは、当時野党だった民主党本部のあったウォーターゲート・ビル(ワシントンD.C.)に不審者が盗聴器を仕掛けようと侵入したことから始まりました。当初ホワイトハウスは、この侵入事件とは無関係であるとの立場をとっていましたが、次第に盗聴への関与が明らかになり、世論の反発によってアメリカ史上初めて現役大統領が任期中に辞任に追い込まれる事態へと発展していったのです。

パブリック・リレーションズの専門家が政権の側近に一人もいなかったにもかかわらず、民衆の意見を操作するための策略としてパブリック・リレーションズを利用したと非難を浴びることになりました。こうしたプロセスの中でパブリック・リレーションズが、「民衆の意見を操作しようとする悪」と誤解され、ダメージを被る結果となったのです。

このようにパブリック・リレーションズの歴史は必ずしも順風のなかで発展したものではありませんでした。この事件をきっかけに、実務家には自己の活動に対しより高い倫理感が要求されるようになりました。
奇しくもニクソン大統領が退陣に追い込まれた1974年は、日本でも金脈問題で田中角栄首相が引責辞任し、第2次田中内閣が倒れています。

抗議運動と市民パワーの時代から影響を受けたパブリック・リレーションズは、もはや米国内だけにとどまらず、技術革新とグローバル化を背景に私たちの生きる現代へと大きく進化を遂げていきます。

本書第4章「パブリック・リレーションズの歴史的発展」の最後尾では、「我々はこの時代に生き、この時代が、本書の全体を通じて述べるパブリック・リレーションズの概念や実務を規定する。その意味では、誰もがパブリック・リレーションズの歴史の一片を書き綴る役割を演じるのである」と結んでいます。

また、本章の冒頭には「パブリック・リレーションズの進化の過程を学習すると、その機能、長所、短所を洞察する力が増す。残念ながら、多くの実務家は自分のミッションであるパブリック・リレーションズの歴史的意義を把握していないため、社会における位置や意義を十分に理解していない。(中略)パブリック・リレーションズの歴史的背景を理解することは、今日の専門的実務に不可欠なことである」と語られています。
パブリック・リレーションズの歴史の一片を書き綴る役割を演じる可能性をもつ皆さんは、8回にわたった「パブリック・リレーションズの歴史的発展」からどのようなことを学ばれたでしょうか。

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