パブリック・リレーションズ

2009.08.17

『体系パブリック・リレーションズ』を紐解く 16〜PRの歴史的発展 その6

こんにちは井之上喬です。
皆さんいかがお過ごしですか?

今週は、『体系パブリック・リレーションズ』Effective Public Relations (EPR)第9版の邦訳:ピアソン・エデュケーション)をご紹介します。EPRは米国で半世紀以上のロングセラーを記録するパブリック・リレーションズ(PR)のバイブル的な本で、日本語翻訳メンバーには私も加わり昨秋発売されました。

20世紀初頭に米国で登場・体系化されたとされるパブリック・リレーションズ。今回は、第4章「パブリック・リレーションズの歴史的発展」(井上邦夫訳)の6回目として第二次世界大戦期後の急成長期(1946-1964)におけるエポック・メイキングな事象を紹介していきます。

PRの急成長期を象徴する6つの事項

第二次世界大戦は、戦争を遂行するための軍需生産や民間からの支援を喚起するためのコミュニケーションの新しい技術やチャンネルなどパブリック・リレーションズ業界に多くの新たな機会をもたらせました。戦争はまた、7万5000人の実務家を育成したと本書で述べられています。戦後の米国は、戦時から平和時の経済へ、また工業社会からサービス産業中心の脱工業社会への転換と大きく変容を遂げはじめたのです。
本書では1946年-64年のパブリック・リレーションズの急成長期を象徴する出来事として次の6つの事項をあげています。

  1. 産業界や各種機関、社会的団体、政府部門、事業者団体におけるPRプログラム数が確実な成長を遂げた。既存のプログラムはさらに充実し、パブリシティの範囲を超えるようになった。
  2. 特にニューヨークをはじめワシントン、シカゴ、ロサンゼルスなどのコミュニケーション中心地で、独立系コンサルティング会社の数が安定化した。
  3. 実務とその理念、問題、技法などを扱う書籍や記事、定期刊行物の数が飛躍的に増加した。
  4. 実務家のための新しい組織体が誕生し、既存のPR協会の再編成や合併も行われた。これらの組織の多くはさらに成長し現在に至っている。
  5. 実務家の養成コースとして特に設計された大学の科目やプログラムの数が増大した。パブリック・リレーションズの学術面での養成により、就職市場で若い卒業生の大量採用を促した。
  6. 実務と基準の国際化が1955年の国際パブリック・リレーションズ協会(IPRA)の設立につながった。

前述したように米国が平和時の経済へ、またサービス産業中心の脱工業社会へ移行する中で、パブリック・リレーションズは米国のビジネスや産業界に大きな需要を生み出していった様子が上記6つの事項によく表れています。

また本書では、「全国の公立学校や大学でも、戦後のベビーブームと第二次世界大戦から帰還した膨大な数の軍人が大学に殺到したため、新たに大きな需要がもたらされた。(学校)経営者らはパブリック・リレーションズのコンサルティングの必要性を認識した。各学校区は、追加の学校を建設するため、次々と債券の発行を推進しなければならず、全国の高等教育機関も、高等教育と研究の拡大需要を満たすため、教員増と建物の増設を目指して資金の奪い合いを繰り広げる必要があった。」と記しています。

米国PR協会で演説した初の外国人実務家

本書では珍しく戦後ヨーロッパにおけるパブリック・リレーションズの動向を「ティム・トラバース・ヒーリイ。欧州では、一部の人が『欧州のエドワード・バーネイズ』と呼ぶリーダーが現れた。彼は第二次世界大戦の英国の将校で、1947年にパブリック・リレーションズ会社、トラバース・ヒーリイ・リミテッド社を設立した。」と伝えています。
また、本書では、ヒーリイの輝かしい実績のいくつかについて「彼は主要な国際企業とコンサルティング契約を結び、世界中で講演を行い、英国PR研究所と

前述のIPRA(国際PR協会)の2つの団体を共同で創立した。彼は英国の最高栄誉賞の中の2つ、英国王立人文科学協会フェローと大英勲章第四位(OBE)を授与された。後者は、爵位に次いで第2位(一位と二位はナイトの爵位)であり、英国女王陛下からパブリック・リレーションズの専門的サービスに対して授与された。」

また「彼は、米国PR協会の会議で演説した米国人以外の初の実務家であり(1957年、フィラデルフィア)、アーサー・W・ペイジ・ソサエティの殿堂に入った唯一の外国人である。ヒーリイの実務家としての長いキャリアの中では、エアバス、GM、ロッキード、ヒルトンホテル、ナショナル・ウェストミンスター銀行、AT&T、ジョンソン&ジョンソンなども、クライアントとして担当した。」と紹介しています。

私は、国際PR協会の本部理事・役員をしていた時、特にセミナーや世界大会などで、ヒーリイとよく雑談したことがあります。とてもエネルギッシュな人で、白ひげを顎にたくわえた、ユーモアのある、音楽が大好きな好々爺。メンバーの多くから「ティム」と呼ばれ親しまれていました。
つい先日、私たちは64回目の終戦記念日を迎えました。日本のパブリック・リレーションズ(PR)の歴史は浅く、その起源は、1945年の敗戦による連合国総司令部(GHQ)の日本民主化政策の一環として導入されました。パブリック・リレーションズの登場から半世紀。米国でパブリック・リレーションズの花が大きく開花したこの時期に、日本へその種子がもたらされたのです。

 

*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:**:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’
『「説明責任」とは何か』 井之上喬著 <お知らせ>
『「説明責任」とは何か』(PHP研究所、税込735円)
好評発売中!
いまや日本中で連日連夜、謝罪が繰り広げられている。「説明責任を果たしていない」と詰め寄られる企業不祥事の記者会見。「説明責任は果たせたと思う」と大臣をかばう総理のコメント。
だが国民はけっして納得していない。いまなぜ、どのように《説明責任》を果たすことが求められているのか? パブリック・リレーションズ(PR)の第一人者が、「倫理」「双方向」「自己修正」の三つの原則から、日本における《説明責任》の実態を解説し、問題点を指摘する。情報開示に不可欠なリスク管理にポイントをおいた待望の書き下ろし。
*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,.

書籍

注目のキーワード
                 
カテゴリ
最新記事
アーカイブ
Links

ページ上部へ