パブリック・リレーションズ

2009.08.03

『体系パブリック・リレーションズ』を紐解く 15〜PRの歴史的発展 その5

こんにちは井之上喬です。
皆さんいかがお過ごしですか?

20世紀初頭に米国で登場・体系化されたとされるパブリック・リレーションズ(PR)。今週は、昨秋発売された『体系パブリック・リレーションズ』Effective Public Relations (EPR)第9版の邦訳:ピアソン・エデュケーション)をご紹介します。

今回は、第4章「パブリック・リレーションズの歴史的発展」(井上邦夫訳)の5回目として、ルーズベルト時代と第二次世界大戦期(1930?1945)におけるエポック・メイキングな事象を紹介していきます。1929年、アメリカに端を発した世界大恐慌により長期化する経済不況。こうした中で1933年発表されたフランクリン・D・ルーズベルト大統領のニューディール政策は経済復興に寄与したばかりでなく、多くの分野でパブリック・リレーションズの実務の発展を生みました。今回はこうした側面を中心にお話していきます。

PRの発展を促がした大恐慌時代

本書は、この時期(1930-1945)に多くの分野でパブリック・リレーションズが活用されていく様子を次のように述べています。「大恐慌とニューディール政策に伴って生じる様々な出来事に対し、あらゆる組織体は、パブリックに情報を知らせて支持を得る必要性を痛感した。ニューディール政策を実施する当局者たちも、革新的な改革を容易にするためには、パブリックからの支持が不可欠だということにやがて気づき、政府のパブリック・リレーションズはルーズベルト大統領の下で最大限に拡大した。」

この勢いは政府だけでなく「学校経営者たちも、パブリックが情報を知らされないことの危険性を思い知ることとなった。また、大恐慌により社会福祉の需要が高まり関連機関が著しく拡大し、こうした組織体の運営者たちも、パブリックのより良い理解が不可欠なことを実感した。軍部の指導者も、ナチやファシストの軍事力強化に懸念を強め、より強力な軍隊を持つことに支持を得る努力を始めた。財政難に悩む大学も、寄付を集めるため、ますますパブリック・リレーションズに頼るようになった」という。

また、ビジネス界のリーダーたちも大企業には批判的なルーズベルトの厳しい指弾と法律改正に対抗するため、パブリック・リレーションズの専門家を活用するようになったといいます。それは、一時的で防衛的な取り組みではなく、新たにパブリック・リレーションズ部門を創設して積極的で継続的な活動へと拡大していきます。

この時期、GM,イーストマン・コダック、フォード、USスチールなどがつぎつぎとPR部門を設置しています。
このように大恐慌とニューディール政策の社会的、経済的な大変動は、PRの発展に大きな刺激を与えたのです。

世論の科学的評価法が登場

本書では、この時期には世論をより正確かつ科学的に測定して評価するツールも導入されはじめたと伝えています。それは、1930年代半ばにはじまったローパーとギャラップの世論調査で、1936年の大統領選挙で幅広い信頼を得たことが普及に拍車をかけることになりました。先進的なパブリック・リレーションズの実務家は、この新しいツールを経営陣への助言やプログラムを提案する際に利用したといいます。世論調査は、新たなサンプリング手法を取り入れ、さらに信頼性と有用性を向上させていきます。ギャロップ社は今では世界的に著名なリサーチ会社へと成長。

1934年、フィラデルフィアで米国初のマイノリティー経営者ジョセフ・B・ベイカー(アフリカ系アメリカ人)によりPR会社が設立されたと本書に記されています。クライアント・リストには、クライスラー、ジレット、プロクター&ギャンブル、NBC、RCA、スコット製紙会社など一流の企業が名を連ねていました。

またこの時期には、政治キャンペーンの先駆的な専門家も輩出しています。1933年、クレム・ウイトカーとレオン・バクスター夫妻は、住民投票や小政党組織にフォーカスした政治キャンペーンを専門とする初のエージェンシーをサンフランシスコに設立しています。『タイム』誌は彼らの活動を「政治分野のパブリック・リレーションズにおける認知された原型」と呼び紹介しています。

第二次世界大戦の勃発は、さらに激しい環境の変化をもたらしました。本書では、陸軍省の「パブリック・リレーションズ局」のスタッフが3人から3000人(役人と民間人の合計)に膨れ上がり、同時に海軍省や空軍司令部も優秀なPR専門家の確保に乗り出したと記されています。彼らの仕事の大半は、パブリシティや検閲、戦争特派員に対する支援などで、こうしたプロセスを経て多くの人材がPR実務を身に付け、戦後にブームとなるパブリック・リレーションズの基盤を築くことになります。

1942年に真珠湾攻撃を受けた後、ルーズベルトは特別令を発布して諸外国の米国に対する歪曲した見方を修正していくためthe Office of War Information(OWI)を設置したことも特筆すべきことです。なぜならば、終戦後GHQにより日本に紹介された一連の民主化プログラムは、こうした米国での経験を取り入れたパブリック・リレーションズであったと考えられるからです。

このように米国のパブリック・リレーションズの発展は、数々の困難に直面するたびに成長を繰り返してきたといえます。政治や経済がこれまでにない苦境にある中で、日本のパブリック・リレーションズ(PR)は、今後大きく飛躍することが期待されています。

*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:**:’¨’:*:’¨’:*:’¨’:*:’
『「説明責任」とは何か』 井之上喬著 <お知らせ>
『「説明責任」とは何か』(PHP研究所、税込735円)
好評発売中!
いまや日本中で連日連夜、謝罪が繰り広げられている。「説明責任を果たしていない」と詰め寄られる企業不祥事の記者会見。「説明責任は果たせたと思う」と大臣をかばう総理のコメント。
だが国民はけっして納得していない。いまなぜ、どのように《説明責任》を果たすことが求められているのか? パブリック・リレーションズ(PR)の第一人者が、「倫理」「双方向」「自己修正」の三つの原則から、日本における《説明責任》の実態を解説し、問題点を指摘する。情報開示に不可欠なリスク管理にポイントをおいた待望の書き下ろし。
*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,.

書籍

注目のキーワード
                 
カテゴリ
最新記事
アーカイブ

ページ上部へ