パブリック・リレーションズ

2009.03.14

家族力大賞 ’08 〜地域社会で「つながり」を広げよう

『家族力大賞 ’08?地域社会で「つながり」を広げよう』

こんにちは、井之上喬です。
皆さん、いかがお過ごしですか。

先日、「家族力大賞 ’08」(エッセイ・コンテスト)の授賞式が京王プラザホテルで行われました。このコンテストは、東京都社会福祉協議会(古川貞二郎会長)が家族や地域社会との関係性を、よりよい社会実現のために強めるようとするために2007年度より開催。「家族力大賞」は前会長でAFLAC(アメリカンファミリー生命保険)最高顧問の大竹美喜さんが、崩壊する地域社会や家庭に力を与えたいとの強い思いが込められています。

第2回目の今年は、地域社会でどのように「つながり」を広げていくのかをテーマに、応募作品の中から15作品が入賞しました。前回と同じように、授賞式では選考委員会(委員長:金子郁容慶応義塾大学大学院教授)のメンバーの間で誰がどのエッセイを書いたのか、当日初めて体面する作者とその作品を結びつけることも楽しみ。今回は、選考委員の一人として関わった私の心に残った2作品を紹介したいと思います。

戦災を免れた京島での交流

最初の作品、「ヘンクツ顔はムスビの顔」(東京新聞賞)は29歳の青年後藤大輝さんが、東京大空襲の災禍を逃れた町、墨田区京島に仲間と三人で移り住みそこでの世代を超えた交流を描いた作品。後藤さんは映画作家で、他の二人はアーティストにミュージシャン。

2007年6月、京島で空家を安く借りられることを聞いた後藤さんは、商店街のはずれにある木造長屋に住む名乗りを上げます。入居の条件は、家と町の雰囲気を残し、自分たちの手でリフォームを行うこと。外観からは想像できないほど頑強な木の梁を持つ建物は、関東大震災後の築80年の家。木材の間からは昭和21年や昭和40年当時の新聞紙がでてきて繰り返される修復・改装の歴史を知ることになります。

トイレットペーパーが転がるほど傾いていた二階(和室)の壁を壊し、ドライバーや電動丸ノコを使い広いフローリングに仕上げます。冷房などない、トタン屋根の暑い夏の海パン姿での作業。やがて近所の人たちが立ち寄ってきます。職人の町といわれている京島の住民は人懐っこい。しかしこの町の抱える問題も見えてきます。それは高齢化、少子化。

「昨年の8月頃。僕たちが住む家を知り合いのおばあさんが訪ねてきた。ふとした会話の中からその話は出てきた」。あるとき後藤さんは町の人たちから頼みごとをされます。そして、東京で唯一の商店街による主催の文化祭へ参加し、映像を創ることになります。

彼が決めた映像の題目は「町の昔、あなたの昔」で、15人の老人へのインタビューをビデオ撮影し、昔の街の回想とそれぞれの人生の回顧を合わせる一方、「町の今」として京島の子供たち自身にカメラを持たせ、現在の街で見えるものを子供の視点で撮影させ、一本の映像作品として繋いでいくもの。引退した鳶の親方、91歳の現役のチンドン屋さん、金属工芸店の店主などが語る内容は、私たちにノスタルジーを感じさせてくれます。

後藤さんが、いかに京島に魅せられたかを見事に表現している個所がエッセイの最後に出てきます。

映像の発表会が終わった後、「急にガランとした会場を片付けて外に出ると、すっかり、日も暮れていた。京島の商店街は早くに閉まる。シャッターが既におりた通りを家に帰る途中で、尻をパチンと蹴られた。撮影に参加してくれた子供の中でも一番やんちゃな小僧が走って逃げいく。急に振り返って、僕の顔を、しっかりと見て。『ここ、オレの町!』と宣言すると、またパタパタと忙しく逃げていく。木枯らしが吹いて、すっかり冬だなと思って、それでも、なぜか全然寒さは感じなくて、ふと、この先、この街で老人になるのもいいかな、とそんな事を考えた。」

受賞会場で後藤さんに京島の現状を聞いたところ、空家が年々増えているそうです。後藤さんは京島とその周辺の町がさびれゆくのを憂い、仲間に呼びかけ、町おこしをやっているそうです。今では後藤さんを含め10人ほどのアーティストやダンサー、写真家、ITコンサルタントそして京島で知り合い結婚した画家とアーティストの若い夫婦。また役者やジャズ・ピアニストなど、この地に魅かれる若者が新しい住民として生活しています。

このエッセイには、新しい世代の若者が古い街に魅せられ周囲に溶け込んでいく、透明で爽やかな感じがかもし出されています。京島での出来事は、理想的な地域活性の形なのかもしれません。
授賞式の当日、後藤さんは参加者全員にその一部を見せてくれました。京島に住む人々のエネルギーあふれる映像は、観客を惹きつけるのに十分で、本篇への期待を膨らませてくれました。4月中旬、京島でこの90分映画が初上映されるそうです。どのような作品に仕上がったのか、今から心待ちにしています。

「しっかりと生きればいい」

「私は行き詰っていた」から始まる藤山恵子さんの「しっかりと生きればいい」(東京都社会福祉協議会会長賞)は、訪問先のおばあさんから生きることを教わったことを書き綴った作品。そこには、資格や経験もなく自分自身や家族ともうまくいかず、どうにもならない状態にあった時、目にとまった有償ボランティアの会員募集に応募し新しいかかわりを持とうとする作者の姿が見えてきます。年老いたおばあさんとの交流を抑制のきいた文章で描いています。

社会福祉協議会に行き、一通り説明を受けた後にボランティア登録した藤山さんは、80歳を超えたおばあさん(ヒサさん)を紹介されます。おばあさんは90歳になる寝たきりのおじいさんを自宅で介護しています。おばあさん自身も足が悪く、思うように動けない状態。でも、おじいさんのオムツ交換、食事の世話など日常のことはおばあさんが世話をしていたのです。

「こんにちわ」。藤山さんは、週に一度おばあさんの家を訪ねることになります。おじいさんの介護で手が回らなかった室内の掃除の担当です。1カ月が過ぎた頃おばあさんは、掃除をほどほどにさせ、藤山さんに布団を差し出し語りかけます。

「この間ね、おじいさんが言うのよ。同級生もほとんどいなくなり、オレ一人になってしまったなって。だから言ったの。人は、生きている間は、しっかり生きればいい。それだけでいいのよって。そうしたら、そうだな。オレはヒサ、お前がいて幸せだって。そう言ってくれたのよ。」藤山さんは、色々あったであろうおばあさんの人生に思いを馳せながらも、おばあさんの顔に満ちあふれる自信をみてとるのでした。

それから訪問しても掃除をすることなく、おばあさんは藤山さんを話し相手に求めます。夏になり、おじいさんの容態が変わり入院することになります。おばあさんは小さな手を握り締めて、涙を浮かべながら自分の不注意を責めます。

そしておじいさんが亡くなります。
「おじいさんがいなくなり、藤山さんにも来ていただくことも、なくなると思います。いままで、ありがとうございました」。藤山さんはおばあさんから頭を下げられます。戸が開いていたおじいさんの部屋には、見てくれる人がいない花の絵と、空になったベットが目に入り、藤原さんにはその部屋の様子が、おばあさんの心そのもののように感じます

「私が、ヒサさんの家に行くことはなくなった。しかし、どうしてもヒサさんのことが気になり、車を走らせた。いつものように『こんにちわ、藤山です』と、大きな声を出したが、応答はなかった」。ガラス越しに中の様子が見え、片付けられた部屋に、よく着ていたカーディガン。おばあさんのしっかりした暮らしぶりに藤山さんは安心します。しばらくしてまた訪問します。「こんにちわ」「はーい」ガラガラと玄関を開け「藤山です、こんにちわ」姿を見せたヒサさんは、藤山さんの手を握りしめ喜びます。

おばあさんは、藤山さんがプレゼントしたぬり絵や昔習った大正琴を披露するのでした。
藤山さんは、「私は、何に行き詰っていたのだろうか。『何があっても、その時はしっかりと生きればいい、それだけでいい』」おばあさんとの出会いは藤山さんの心にそのような言葉を刻みつけるのでした。
人は関わり合いの中で救われていくことが自然に言葉に表れた秀作。

この2作品以外に、5年前にお手玉の会をつくり普及に努めるご夫婦の話で、鈴木幸子さんの「お手玉で輪・和・笑(ワ・ワ・ワ)」や何十年も家族誌を出版し続けるある家族の話で、肥後智恵子さんの「家族誌『いけがみ』を出した」など、多くを紹介できないのが残念です。

ここですべての作品に共通するのは、困ったときにそこで立ち止まることなく、新しい関わりを求めて行動することの大切さです。物事に行き詰ったときに、行動すると新しいものが見えてきます。人は、新しい関わりの中で、新しい幸せを見つけ出すことができることを示しています。

パブリック・リレーションズ(PR)は「関わり」や「絆」をつくっていくことでもあるのです。
*上の写真の作品集『家族力大賞 ’08?地域社会で「つながり」を広げよう』には、15編の作品が紹介されています。東京都社会福祉協議会が発行元です。非売品ですが、50冊程度であればプレゼント可能だそうです。興味をお持ちの方は連絡してみてはいかがでしょうか。
Tel:03-5283-6894
Fax:03-5283-6997
e-mail: tomin-kigyou@tcsw.tvac.or.jp

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