こんにちは井之上喬です。
皆さんいかがお過ごしですか?
今週は、『体系パブリック・リレーションズ』( Effective Public Relations (EPR)第9版の邦訳:ピアソン・エデュケーション)をご紹介します。EPRは米国で半世紀以上のロングセラーを記録するパブリック・リレーションズ(PR)のバイブル的な本で私も日本語版の翻訳メンバーに加わり昨年9月に発売されました。
20世紀初頭に米国で登場・体系化されたとされるパブリック・リレーションズ。今回は、第4章の「パブリック・リレーションズの歴史的発展」(井上邦夫訳)の中から1回目はブリック・リレーションズの起源から18世紀のアメリカ合衆国の独立までを紹介します。
本章の冒頭には「パブリック・リレーションズの進化の過程を学習すると、その機能、長所、短所を洞察する力が増す。残念ながら、多くの実務家は自分のミッションであるパブリック・リレーションズの歴史的意義を把握していないため、社会における位置や意義を十分に理解していない。そればかりか、パブリック・リレーションズの歴史と発展がどのようにつながっているかも理解していない。」と実務家の歴史認識の浅さが指摘され、「公表されている歴史は、目新しさや数人の多彩な個性を強調し、複雑でドラマチックな物語をあまりにも単純化し過ぎているきらいがある。しかし、パブリック・リレーションズの歴史的背景を理解することは、今日の専門的実務に不可欠なことである。」と語られています。
論語に収められた孔子の「温故知新」を想起しますが、歴史を知ることで新しい何かが見えてくるはずです。このテーマについて今後数回に分けて紐解いていきます。
紀元前1800年の農業公報
本書では「見識や行動に影響を及ぼすような伝達手法は、最も古い文明にまでその起源を遡ることができる。考古学者はイラクで、紀元前1800年当時の農民に対して、作付け方法、灌漑方法、野ネズミの撃退法、作物の収穫方法を伝える農業公報を発見した。パブリック・リレーションズの初歩的な要素も、古代インドの王のスパイに関する記述に見られる。スパイの仕事には、諜報活動の他にも、王に民衆の意見を常に知らせること、王が民衆の間で擁護されること、王政に好意的な噂を流すことなども含まれていた。」とその起源を紹介。
また、ギリシャの理論家は、世論という用語こそ特に用いなかったものの、民意の重要性について記述していたといいます。ローマ時代の政治用語と中世期の著述に見られる特定のフレーズや考えは、現代の世論の概念と関連をもち、ローマ人はvox populi, vox Dei「民の声は神の声」という表現を新しく創りだしたと本書で述べています。
英国においても、パブリック・リレーションズの手法は何世紀も前から使われており、歴代王は大法官を「王の良心の番人」として側に仕えさせたとしています。このことから王でさえ、政府と民衆の間の対話や調整を促進するため、第三者の必要性を認識していたことが察せられます。それは、教会、商人、職人についても同様だったようです。プロパガンダという用語は17世紀にカトリック教会が「信条を布教するための宣教院」を設立したときに生まれたと述べられています。
米国では逆境と変化の中で誕生
本書によると米国におけるパブリック・リレーションズの始まりは、愛国者の草の根運動派と商業に携わる有産階級のトーリー党の間で権力をかけて戦った独立戦争が発端であると記されています。ハミルトン率いる商人の有産階級派とジェファーソン率いる入植者と農民部隊の間の紛争、ジャクソン率いる農耕辺境開拓者とニコラス・ビドル率いる金融勢力の間の紛争、そして流血激しい南北戦争においても市民の支持を得るための取り組みは見られたと記され、米国におけるパブリック・リレーションズは、まさに逆境と変化の中で誕生したとしています。
また本書は、米国においてパブリシティを利用した、募金活動、社会運動の推進、新規事業の促進、土地の販売、芸能界のスターづくりは、国の歴史よりも古いとしています。米国人のプロモーションに対する才能は、初めて東海岸へ入植した17世紀まで遡ることができるようです。この大陸での、おそらく最初の組織的な募金活動の取り組みは、1641年に創立間もないハーバード大学がスポンサーとなり、3人の伝道者を英国へ「募金行脚」に派遣したものであるといいます。彼らは英国に到着すると、今日では当然必要とされる募金活動用の説明書を準備していなかったことに気づき、ハーバード大へ知らせることになります。この要請に応えて、『ニューイングランドの最初の果実』が生まれたのです。これは大半がマサチューセッツ州で執筆されたものが1643年にロンドンで印刷され、その後、続々と作成されるパブリック・リレーションズのパンフレットや説明書の最初の例となったのです。
アメリカ合衆国建国の父の一人としても知られ、政治家、著作家、政治哲学者のサミュエル・アダムス(Samuel Adams、1722 – 1803年)は本書で、「多くの人間は理性よりも感覚によって導かれる」という仮定のもとで、常にまず世論を喚起し、誘導したとされます。彼はこの方法を直観的に知っていた人で、同志とともに行ったその行為は、「…ペンを使い、演壇や説教台、舞台イベント、シンボル、情報、そして政治組織を利用した。」と記述されています。
こうして仲間の独立論者とともに、これらプロパガンダ推進派は、世論を動かす革新的手法をいくつも開発し、実践していきます。彼らは行動を実行に移すための組織として「自由の子」(Sons of Liberty)を 1766年にボストンで組織。1775年にはキャンペーン情報を流すための組織として「通信委員会」(Committees of Correspondence)を設置。視認性に優れ感情を喚起するシンボルマークや覚えやすい端的なスローガンを使用したことなどが本書で紹介されています。
多くの人の認識以上に、現代のパブリック・リレーションズ(PR)の実務パターンに当時の手法が受け継がれていることに驚かされます。
「…パブリック・リレーションズの歴史的背景を理解することは、今日の専門的実務に不可欠なこと…」と著者の言葉を冒頭に記しましたが、皆さんはどのような感想をもたれたでしょうか。