パブリック・リレーションズ

2007.12.07

PRパーソンの心得18 きびしさ

こんにちは、井之上喬です。
今年もいよいよ師走を迎えましたが、皆さん、いかがお過ごしですか。

どんな分野で活躍している人でもスペシャリストといわれる人は、厳しい鍛錬の時期を経ているものです。その境地は、基礎となる理論や技術を自分のものにするために最善を尽くし、自分を厳しく律した結果得られるものだからです。

鍛錬で己を知る

無双の剣客といわれた二刀流創始者、宮本武蔵の言葉に「千日の稽古を鍛として万日の稽古を練とす」という名言があります。

この言葉から、武蔵自身が剣の道を究めたいと厳しい鍛錬を課し一心に突き進む凄みと、全人生を投入し剣の技の研鑽にとどまらず、心と身体をも修養し続けた彼の真摯で一途な気持ちを感じとることができます。

鍛錬というと少し古いと思われる人もいるかもしれません。しかし、ある時期自分をストイックな極限状態に置き何かに挑戦する経験は、その後の人生を開花させる準備段階として必要なことだと思います。自分を極限状態に追い込むことで自分と対峙し己を知る。これが後に自分の心を自由に解き放つ礎となるからです。

しかし、ここでいう「ストイック」は自分の夢を追いかけるためのものであり、自虐的なストイックとは一線を画すものです。

私は高校時代を水泳に捧げました。ひたすら泳ぎに明け暮れた日々を振り返ると、そこに苦労の感はひとつもありません。むしろ周りの心配をよそに、自分の記録に挑む日々を充実感と刺激に溢れる時間として楽しんでいたように思います。

幼少のころから私が水泳が大好きで、自分の得心する練習を情熱をもって行なっていたからだと思います。

しかし状況は一転し、高校2年も終りの3月、先輩の紹介で東伏見にある早大水泳部〈稲泳会〉の合宿所に通い始めると、自分に合わない泳法に変えられてしまいます。そのような時の練習は私にとって地獄のようでした。そこには楽しさはなく、あったのは苦痛だけでした。

自分の納得のいかない泳法は、もはや自分の泳ぎではありません。そして自分の泳法が葬り去られた時、私は自分さえも見失ってしまったのです。

与えられた練習内容はこなすものの、内心は、やらされ感でいっぱいでした。心を失うと身体もついていきません。私はしばらくすると体調不良を起こし、志半ばで練習続行を諦めざるを得ない状況にまで至ってしまいました。

意に反して頑張らない

この経験から学んだことは、自分を厳しく律することは、自分の意志に反してまで頑張ることでは決してないこと。どちらかといえば、苦しさをも吹き飛ばす程の強い信念から湧き出てくるエネルギーで、自ら目標に対しポジティブに取り組むことです。

それを支えるのは高い志。そして自分の本当に欲する目標を掲げ、目標を達成すると決意すること。人は、自ら納得している目標に対しては主体的に取り組めるものです。その過程において心を自由に保ちながら、追い風にも逆風にも臨機応変に対処していくこと。日々の行動の中で意識的に、全てが目標達成に向かう状態を作り出すことです。

自分の目標が明確であり、決意に基づく目標意識と情熱があれば、厳しくあらねばならないとする義務感は喜びに変わります。

リーダーにカウンセリングを提供するパブリック・リレーションズの実務家や広報(PR)担当者は、時として、自分に対してだけでなく、クライアントに対してもそのようなきびしさを示さなくてはなりません。各人が経験を積む中で自己鍛錬によってきびしさを養っていかなくてはならないのです。

そしてきびしさの中からその人の力強さや安定感がうまれ、周囲から信頼されるカウンセラーとなることができると思うのです。

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