趣味

2010.11.11

ひとつの書

こんにちは、井之上 喬です。
秋の気配も強まり、東京はようやく紅葉の季節を迎えています。

今日はそんな秋にふさわしい一遍の詩を皆さんにご紹介したいと思います。 オリジナルは墨書き(写真)。ある母と娘の心温まる関係を独特の筆使いで書き表した作品です。

写真

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ある秋の朝

いそがしいのに
来てくれたの
ありがとう

元氣でしたよ
ありがとう

あゝ
おいしかった

ありがとう

お散歩
きもち
よかった

ありがと

楽しかった
うれしかった
ありがとう
ご苦労さま
ありがと

秋の朝たくさんの 
ありがとうの
ことばをのこし
母は逝った

りつ子

この詩から、秋の日の朝に亡くなった年老いた母を思慕する娘の姿が目に浮かんできます。

そして、すべてをわかりあっている親子の心の交流を感じとることができます。

 

母と娘

この作品との出会いは、ある偶然がもたらしたものでした。

日頃お世話になっている、麹町にある、古川貞二郎(東京都社会福祉協議会会長:元内閣官房副長官)さんのオフィスにお邪魔した時のこと。

あるとき古川さんの部屋の壁際のサイドボードの上に、さりげなく置かれていたこの書に、暫くのあいだ目がくぎづけになりました。その独特な筆使いと、書かれた詩の内容に心を打たれたのです。

「作者は誰だろう?」と思い、文末に署名されている「りつ子」さんのことを古川さんに尋ねました。古川さんから、「私の家内です」と答えが返ってきました。この作品の作者は古川夫人の古川理津子さん。

理津子夫人の母親の名前は森下ナイ子さん。5人きょうだいの末っ子理津子さんは幼少のころ父を失います。フイリッピンで民間企業の工場の責任者であったお父様は、日本軍の敗走とともにルソン島の山の中に社員とその家族を連れて逃げるものの、重い足の風土病で動くことができず、終戦直前に自決したそうです。

お母様は、戦後郷里の千葉で5人の子供を女手ひとつで育て上げ、2005年11月に95才でその生涯を終えます。

夫人はそんな母親との交流を一遍の詩にし、自らの筆で書に残したのでした。2007年秋、銀座のある書展に出品されたこの作品はいま、夫の貞二郎さんのオフィスに飾られています。

この書から、苦労を重ねた年老いた母への想いと、最後まで娘を気遣う母の深い愛情を感じとることができます。

そして、子供たちのために生涯を生きた母への娘からの「ありがとう」のことばが込められているように感じます。人生の苦しみや喜び、強い「きずな」で結ばれた、母と娘だけがわかりあっているであろう美しいひと時を感じさせてくれます。

人生最後のしずかな出来事をさりげなく語りつくした素晴らしい詩(うた)です。 

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