趣味
2009.01.10
私の心に残る本22 松下幸之助の『道をひらく』
20世紀を代表する経営者、松下幸之助(1894-1989)。松下さんは一代で松下電器産業(去年2008年には創業90周年を迎え、パナソニックへと改名)を世界的企業に仕立て上げた経営の神様的存在。松下さんは、経営者としてだけでなく、人としての使命、社会人としての使命まで深く考察し、一人ひとりがそれらを自覚することで社会の明るい未来を築くことができると説きました。
その信念は、逆境にあっても未来を信じて一歩一歩進んでいけば、必ず道は開けるというものでした。今回は、そんな彼の哲学がぎっしりと詰った彼の著書『道をひらく』(1987年166刷、PHP研究所)をご紹介します。同書は、PHP研究所の機関紙「PHP」の裏表紙に連載した短文121篇を、「運命を切りひらくために」「日々を新鮮な心で迎えるために」「困難にぶつかったときに」「国の道をひらくために」などの11のテーマに別け一冊の本にまとめたものです。
松下幸之助の道
「自分には 自分に与えられた道がある
天与の尊い道がある
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。…..
たとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは
必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも 生まれてくる。」
これは本書の最初のテーマ「運命を切りひらくために」の中にある「道」という文章の一節です。松下幸之助は1894年和歌山県の裕福な農家に生まれました。しかし父親の米相場の失敗により家運が暗転。その後結核により兄弟3人を失い、末っ子である松下さんは跡取りとして教育を受けるため、わずか9歳で丁稚奉公に出されます。
しかし状況は好転せず、数年後には姉二人が病没。さらに父親までも他界。母親は生活のために再婚してしまいます。帰る家を失った松下さんは、商人として身を立て、その道を極めることを決意したのです。
数年の船場奉公でビジネスの基本を学んだ松下さんは、電機に目をつけ、1910年 大阪電燈会社に入社します。その8年後ソケットの改良をきっかけに松下電器器具製作所を創立。後に松下電器の経営理念となる「お客様第一」「日に新た」「企業は社会の公器」というビジネスの理を徹底的に考え続け、知恵を使って理を形にすることで松下電器を世界的大企業に育て上げました。
素直な心で日に新た
「人間もまたこの(刻一刻と変化する宇宙の)大原理の中に生かされている。 きょうの姿はきょうはない。刻々に移り変わって、刻々に新たな姿が生み出されてくる。….一転二転は進歩の姿、さらに日に三転よし、四転よし、そこにこそ生成発展があると観ずるのも1つの見方ではなかろうか」(「日々是新」より)
先に紹介した経営理念以外は常に刷新するのが松下流。松下さんは今でいうイノベーションに果敢に取り組み続けました。1932年に松下さんは「水道の水のように社会に安価な電気製品を供給することで社会を豊かにする」という水道哲学を提唱し、企業の社会貢献を明らかにしました。また1933年大阪府門真市に本店を移転する時に、事業を3分割し、日本で初の事業部制を誕生させました。
一方、家電メーカーとして成功しても重電には参入することはありませんでした。また松下通信工業によるコンピュータ事業撤退にみられるように、松下さんは事業の将来性が描けない分野に関しては潔く撤退。彼は企業の選択と集中を実践していました。
このように松下さんは、イノベーション、CSR(企業の社会的責任)、コーポレート・ガバナンスなど、現在の企業が直面している課題に90年前から真摯に取り組んでいたのです。パブリック・リレーションズ(PR)の視点でみると、松下さん自身から発せられる強力なメッセージは、経営トップとしての見事なストーリー・テリングになっています。松下電器の90年に渡る繁栄はまさに、松下さんが自らの哲学を実践した日々の努力の賜物であるといえます。
100年に一度の大不況、環境破壊など、さまざまな不安や恐れが暗雲のように私たちの世界を覆っています。しかし、このような時だからこそ本質をつく松下幸之助さんの言葉が私たちの心に深く響くのではないでしょうか。
「志を立てよう。本気になって、真剣に志を立てよう。命をかけるほどの思いで志を立てよう。志を立てれば、事はもはや半ばは達せられたといってよい。
志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ずひらけるのである。」(「志を立てよう」より)
松下さんが混沌とした今の時代を生きていたら、どのような行動をとったでしょうか?