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2008.01.19

心に残る本 淵田美津雄自叙伝〜戦争と平和、人生を2度生き切った男

真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝 こんにちは、井之上喬です。
皆さん、いかがお過ごしですか?

「トラトラトラ(我奇襲ニ成功セリ)」。1941年12月8日、日本軍による真珠湾奇襲攻撃の成功を機上から打電したのは淵田美津雄。真珠湾攻撃で斬新な戦略を構想し、空母艦隊による第1次攻撃隊を指揮した男です。
本書は第2次世界大戦における名指揮官と名を馳せた淵田が晩年に書き残した自叙伝「夏は近い」を中田整一氏の編纂で初めて活字化されたもの。そこに描き出されているのは、凛とした冴え渡る知性と卓越した行動力、そして人間として温かみを持ち合わせた男の生きた戦争と平和です。真珠湾攻撃から66年、その壮絶な一生が精緻に自らの言葉で明らかにされます。

全てを目撃した、ただ一人の男。

本書は6部からなり、淵田の生い立ち、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦の戦略の失敗と大敗、占領下での日本、キリスト教への回心という構成で展開します。

奈良県の山に囲まれた小さな村で幼少を過ごした淵田少年が、大海原を駆け巡る海軍兵に憧れ、大志を胸に軍人へと成長。1920年代から空軍の重要性に気づき飛行将校を志願。1941年には空戦隊参謀から2度目の空母赤城飛行隊長へと就任。真珠湾攻撃の戦略構想に関わることになります。

そして真珠湾攻撃における第1次攻撃隊を360機を率いて指揮します。その後マレー沖海戦勝利のあと、日本が大敗したミッドウェー海戦では、病に倒れ作戦に参加できなかったことを悔やみつつ、沈没する空母から九死に一生を得ました。史上名高いレイテ湾突入作戦を、連合艦隊参謀として構想。広島、長崎では原爆投下された翌日には爆心地入りし被害調査を実施。そして戦艦「ミズーリ」号での降伏調印式に出席し、戦争の終焉を見届けました。淵田は、戦争の始まりと終わりを目撃したただひとりの男となったのです。

淵田に一貫していたのは柔軟性のある合理的な戦略。具体的には母艦航空兵力の集団攻撃とその統一指揮や相手の意表をつく心理戦でした。

1930年ロンドン海軍軍縮条約で日本に許された大型巡洋艦や潜水艦の軍備制限は、対米69.7%。そこで日本は航空兵力増強と航空母艦数の拡充へ方針転換。開戦当初の空母保有は、日本が10隻、米国、英国共に8隻と、日本は米英を凌ぐ空母艦隊を保有していたのでした。

真珠湾攻撃の折、赤城を旗艦とした独立した6隻による空母艦隊(南雲艦隊)を編成したのは日本だけ。これまでの索敵偵察や戦艦部隊の補助的な攻撃力としてではなく世界に先んじて空母主力の発想を実現した淵田の構想による勝利でした。にも拘らず日露戦争以来の日本海軍の戦艦への執着や司令官の縄張り意識が原因で、南雲艦隊は2分割され、その後の戦いの中で、合理的かつ立体的に戦局全体を統一指揮する戦略構想ができぬまま時が経過していきます。一方で米軍は、マレー沖海戦で淵田の率いる航空攻撃隊(南雲艦隊)により戦艦が壊滅。空母の重要性を認識した米国は即座にその増強に注力し、正確な情報収集と空母を中心とする陸海空からの統合的な反撃でその後勝利を収めていきます。

戦略構想の場面や戦闘シーン、ミズーリ号上での調印式での憤りなど、淵田の心情と見た者にしか語れない情景が迫力を持って静かに、みずみずしく、そして率直に描き出されています。

信じて仕えるひたむきな姿勢

天皇の象徴化と公職失職。戦後淵田が体験したのは、精神的支柱を失った深い喪失感でした。裸一貫で戻った郷里で、山で木を切り出し独力で住み家を建設、孤独感と自己との対峙を強いられながら農業を始めるのでした。

そんな時、米国での日本人捕虜収容所の実態調査で耳にしたある米国人少女の話が彼の心を揺さぶります。それは、フィリピンで日本兵に殺された宣教師であった彼女の両親が、「父よ、彼らを許したまえ」と祈り殉教したことを知り、敵をも愛する心を実践する看護師として日本人に献身的に奉仕した事実でした。

後に淵田は聖書の中の1節に「父よ、彼らを許したまえ、その為す処を知らざればなり(ルカ23・34)」を見出し愕然とします。その場でキリスト教への回心を決意。その日1950年2月26日を自ら第2の誕生日とし、平和の伝道者として憎しみの連鎖を断ち切るための新しい道を突き進みます。

受洗後の52年から引退する67年まで、淵田は日米を中心に世界各地で伝道活動を精力的に展開します。日本への復讐を誓ったドゥーリトル爆撃隊(真珠湾攻撃の反撃のため1942年4月東京初空襲を敢行)捕虜兵や米太平洋艦隊司令長官であったニミッツ元帥とも友好の再開を果たします。

引退後は、自叙伝の執筆活動に取り組みますが、完成前の1976年5月30日、糖尿病の合併症により74歳でこの世を去りました。その膨大な資料には中田整一も圧倒されたといいます。

淵田はまた名文家と呼ばれていたようです。日本軍の敗戦色濃いレイテ作戦で、神風特攻隊編成に反対した連合艦隊淵田航空参謀が、上官から請われて書かれ特攻隊員に下達された感状(特攻隊員を送る言葉)があります。「・・・悠久の大儀に殉ず。忠烈萬性に燦たり」。漢学の素養が遺憾なく発揮されている彼のこの言葉は、参謀長の草加龍之介中将をうならせるほどでした。

その人生で、いつも何かを信じひたむきに仕える姿勢を貫いた淵田。戦後「地球上の人類は1つ」と信じ生きた淵田からの平和へのメッセージは、紛争の絶えない21世紀の私たちの住む地球へ警鐘を鳴らしています。
400ページの厚い本ですが、現代と違った漢字使いも面白く一気に読み進められます。20世紀を生きた偉大な戦略家の一生に触れてみてはいかがでしょうか。

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