趣味

2007.03.09

映画『ボビー』ロバート・F・ケネディ、混沌のなかで希望を与えた一人の男

こんにちわ、井之上喬です。皆さんいかがお過ごしですか?

“ボビー”の愛称で米国民に愛されたロバート・F・ケネディ(1925-1968)。私は先日、映画『ボビー』を観に映画館へ足を運びました。『ボビー』は1968年6月5日、アメリカ最後の希望といわれた男ロバート・F・ケネディ司法長官が凶弾に倒れるまでの一日を、彼に希望を託した22人の人生を通して描いた作品です。

対立が衝突を生んだ60年代

ボビーは、アイルランド系移民4世。成功した実業家でアイルランド系カトリックの指導者でもあるジョセフ・P・ケネディ(Joseph P. Kennedy, Sr.)の7人目の子供です。48年にハーバード大学卒業後、ヴァージニア大学ロー・スクールで学位を取得。60年兄ジョン・F・ケネディ(1917-1963)の第35代米大統領就任に伴い司法長官に就任。キューバへのソ連のミサイル配備に対し、米国が海上封鎖で応じたキューバ危機では、その決着に大きく貢献したとされています。

60年代の米国は、対外的にはキューバ危機やベトナム戦争など共産圏との対立を軸に混迷を極めた時期。また国内では公民権運動が活発化し、人種差別や性差別など多くの軋轢に苦しんだ時代でした。加えて、兄のジョン、マルコムX(1925-1965)、マーティン・ルーサー・キングJr.(1929-1968)と、次世代を担うべきリーダーが次々に暗殺され、国民に大きな悲しみと喪失感をもたらしました。

そんな中の68年3月17日、ロバート・F・ケネディは暗殺された兄ジョン・F・ケネディの遺志を継ぎ、非暴力を掲げて米国大統領選に出馬を決意します。

ケネディ大統領暗殺の翌年64年、ニューヨーク州上院議員に当選。続いて68年、ボビーは民主党から次期大統領選へ立候補しました。彼はリベラルな理想主義を貫きベトナム戦争からの離脱を選挙公約に掲げ、民主党の予備選挙へ臨みます。

68年6月5日、ボビーはカリフォルニア州の予備選に勝利。運命の地となる、ロサンゼルスの「アンバサダー・ホテル」で勝利演説を行い、そこに集った人々から大絶賛を浴びました。しかし彼はその直後、同ホテルの調理場を抜けて帰る途中、パレスチナ人の若者に至近距離から狙撃されてしまうのです。一度は救急車で病院に収容されますが、翌日、42歳でその短すぎる生涯を閉じました。

「私たちは、皆、幸せを希求する同胞である」

映画『ボビー』は、暗殺事件の現場となった「アンバサダー・ホテル」を舞台に、そこに居合わせた22人の日常生活や心の葛藤を描いたドラマ。22ものキャラクターが交錯し、複雑な部分もあります。しかしクライマックスで、全ての登場人物が、ボビーの死の場面に関係していることを知り、その死がアメリカに何をもたらしたのか気付かせてくれます。アメリカは、彼の死と共に「未来への希望の光」を失ったのです。

脚本と監督はエミリオ・エステベス。彼は『地獄の黙示録』で有名な俳優マーティン・シーンを父に、チャーリー・シーンを弟にもつ俳優一家の出身。エステベスは83年の『アウトサイダー』や85年の『セントエルモスファイアー』で俳優として頭角を現しました。その後彼は、脚本、監督、制作の世界に進出し、数々の作品を手がけています。

眼を見張るのは、その豪華な俳優陣。『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンスやデミ・ムーアはこの作品のテーマに即座に賛同し、低い出演料で契約したといいます。他にもシャロン・ストーン、イライジャ・ウッドやリンジー・ローハンなどベテランや今をときめく若手俳優が数多く出演。これらの豪華キャストは、当時の混迷する米国の社会背景と二重写しの現在の米国社会の「紛争解決への模索」が彼らの自らの出演を促した結果といえなくはありません。

当ブログで2月にご紹介したボビーの息子、ロバート・ケネディJr。私は98年、彼が「日米アースアクセス委員会1998第一回環境セッション」出席のために来日した際、コミティ・メンバーの一人としてお世話する機会を得ました。

滞在中、父の日本での足跡を確かめるように、父ロバートの講演した早稲田大学を訪問したり、ケネディの影響を受け政治の世界に入った小渕恵三(当時外務大臣)元首相と面会するなど、父親と見間違えるほどの風貌で知的かつ精力的に振舞っていました。父親からは、その風貌だけではなく、社会奉仕を重んずる精神も受け継いだようです。

写真:外務省に、小渕恵三外務大臣(当時)を訪ねて。ロバート・F・ケネディJrと夫人のメアリー・リチャードソン。左端は筆者。

父と同じくハーバード大学を卒業した、弁護士でもある彼は、環境保護運動の指導者としてハドソン川の環境保全で活躍。その後も大学で教鞭をとる傍ら、様々な市民運動に参加しています。

ベトナム反戦運動の高まりの中で、国内外で衝突が繰り返された60年代。当時の世相は、イラク侵攻問題で迷走する現在の米国の状況と酷似しています。今年2月10日、民主党のバラク・オバマ上院議員が、2008年次期米大統領選へ出馬表明しました。彼が出馬表明演説で、アメリカは様々な違いをのり超えてアメリカ合衆国であると語った姿は、リーダー不在の米国で、対立を批判し、心を一つに和解を求めたボビーの姿と重なり、とても印象的でした。

インターメディエーターとして当事者の間に立ち、根気強く対話を促し、相互理解を醸成することは、パブリック・リレーションズの実務家に課せられた役割です。この映画を観て、対話を通した平和的解決手法が世界的に求められていること実感すると共に、私たち実務家が果たすべき責務の大きさを痛感しました。

映画の最後、ボビーとその周辺の人々が狙撃を受けたシーンのバックに流れたボビーのスピーチが、いまでも私の耳に残っています。それは彼の死の2ヶ月前、68年4月5日にボビーがクリーブランド(オハイオ州)で行った演説です。

「アブラハム・リンカーンがいうように、自由な国では、不満を武力に訴えても成功しません。そのような手段はやがて大義を失いつけが回ってきます。....中略 ....(幸せを希求する)共通の絆によって、私たちは、皆、同胞であることに気付きます。私たちは、自らの傷を癒し、もう一度、真の兄弟になるための努力を始めることができるのです。」
(“On the Mindless Menace of Violence”より抜粋 井之上喬訳)

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