時事問題

2011.02.21

ロシアとの領土問題をどう捉えるか? 〜平和条約なければいまだ「敵国」

こんにちは井之上 喬です。
前原外相がロシアを訪問しました。11日のラブロフ外相との会談は予定の倍近い時間で行われたものの話し合いは平行線に終わったようです。

翌12日の日本の主要紙の朝刊一面には、「『北方領』日露譲らず」(読売)、「暴言発言を批判:ロシア外相日ロ会談で」(朝日)、同じ朝日国際面には『日ロ険悪 厳冬期』と北方領土問題が暗礁に乗り上げていることを報じています。
今回の一連のロシアとの問題は、メドベージェフ大統領の北方領土訪問に端を発したとされていますが、はたしてそうでしょうか?

一方、政府は今回の外相のロシア訪問にあたり、どのような戦略で臨んだのでしょうか?報道を通してみる限り、残念ながら明確に日本の意思が入った交渉が行われているようには思えません。

何故ロシアは強気になったのか?

北方領土は、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の4島。北方領土返還については、1980年代終わりのソ連ゴルバチョフ政権下の民主化の流れの中で具体的な問題として浮上してきました。

当時日本は強力な経済力を背景に交渉を行ってきましたが、ソ連崩壊後、領土問題を引き継ぐことになったロシアとの交渉においても、両国間で戦後の象徴として締結されるべき「平和条約」は未だに棚上げの状態。経済主導の交流は維持されてはいるものの、島の返還問題は未解決のまま今日に至っています。

交渉の争点として両国の主張は異なり、大きく日本は4島一括返還を要求し、ロシアは歯舞、色丹の2島返還を主張。
今に至った経緯をみると、これまでの日本の主張には明確な戦略がなく、相手に対し4島一括返還を主張することに終始し、双方平行線のままずるずると20年の無為な歳月が経っている感すらします。

しかし、何故ロシアは強硬姿勢に転じたのでしょうか?見逃してならないのはこの10年間のロシア政治の世代交代と経済環境の変化です。

政治面では、ロシアの初代大統領(1991-2000)エリツインを引き継いだプーチン大統領が就任したのは2000年。その後2008年にメドベージェフ大統領が就任しています。

つまり世代交代により、ロシアにも新人類的な対応がみられるようになったということもできます。

いまや世界一の石油生産国

経済環境の変化では、その最大の要因は地球温暖化でツンドラの永久凍土が融けだし、それによりシベリアでの油田発掘が容易になったこと。これによりロシア経済が著しい成長をみせたことです。

BP「Statistical Review of World Energy 2010」によると、ロシアの世界に占める石油生産量の割合は2000年の9%から2009年には13%と跳ね上がり、過去9年間の生産量は実に50%を上回っています。

2009年にはサウジアラビアを抜き、生産量(4億9千4百万トン)で世界最大の産油国になっています。
加えて、シベリア開発に必要な経済協力の交渉相手の選択支が日本以外にも広がったこと。目覚ましい経済成長を遂げる韓国や中国が有力なパートナーとして浮上するなど、東アジア周辺国の状勢の変化がみられることです。

こうしてみると日本はこの20年、絶好な交渉のタイミングにありながら、北方領土で4島一括返還を目指すのか、或いは2島返還で行くのか、交渉過程で相手の変化を見極めることを怠たり、戦略的な目的設定を曖昧にしたまま今日に至ったものと断定することができます。

ソ連崩壊後のロシア共和国は、1991年からの20年間でエリチン、プーチン、メドベージェフの3人の大統領が国家運営を行っているのに対し、日本は宮沢首相を皮切りに現在の菅首相まで実に13人の首相が交代するありさまです。
この失われた20年は、自虐的にいうならば、まさに「漫画的」。

日本は国内の政治抗争に明け暮れた結果、経済や外交に空白をつくり、いまそのツケがボディブローのように効いてきています。

北方領土問題を考えるときに、故末次一郎さん(1922-2001)との会話を思い出します。

末次さんは真の民族主義者。1972年の沖縄返還の陰の立役者といわれ、当時人生最後の仕上げとして北方領土返還運動を起こし、領土問題では歴代首相の指南役もつとめた方です。

1990年頃、当時ソ連との関わりを持っていた関係で、親しくさせていただいていた私は末次さんから初めて、「日ソ平和条約が締結されていない日ソ関係はいまだ交戦状態にある」という言葉を聞いたとき強い衝撃を受けました。

末次さんは口癖のように、ソ連は1941年の日ソ中立条約を一方的に破り、終戦直前に対日参戦し、北方領土占拠は無論のこと、70万人を超えるシベリアへの強制収容所への連行、そして6万人とも10万人ともいわれる抑留者を凍死、餓死、病死させた国であることを忘れてはならない、と話をしておられました。

その意味でソ連はいまだ日本にとって許し難い「敵国」であると私に熱く語りかけてくれました。志半ばで倒れた末次さんの思いが伝わってきます。

北方領土問題の解決には、双方による粘り強い信頼関係作りが必要となることは疑う余地もありませんが、世代交代が進む中でこの問題の解決には、まず両国の歴史認識から再スタートするのも有効な方法かもしれません。

こうした問題は、パブリック・リレーションズ(PR)抜きに考えることはできません。

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