時事問題

2005.08.15

終戦60年、世界の持続的安定と平和のために〜もしあの時パブリック・リレーションズを知っていたら

60年前の8月15日の今日、日本の降伏により第二次世界大戦が終結しました。広島、長崎への原子爆弾投下を受けての無条件降伏でした。

日本が引き起こした太平洋戦争は、周辺諸国に甚大な被害と悲しみを与えました。明治維新以降、欧米列強からの支配をのがれ、彼らに追いつこうとした結果がもたらした大戦の結末でした。

アジア周辺諸国では約2000万人、日本では310万人といわれる犠牲者(軍人も含まれる)の数(http://www.asahi-net.or.jp/~pb6m-ogr/ans074.htmhttp://www.parc-jp.org/oda_watch/kisochishiki/baisyo.html)は戦争が如何に悲惨で、非生産的かを物語っています。兵士は無論のこと一般市民に異常な体験を強いた戦争の狂気と、指導者(リーダー)の責任の重大性を考えずにはいられません。

戦後新しい国家として再生のスタートを切った日本は、1952年のサンフランシスコ講和条約発効によって、戦後賠償による過去の清算を行い、国際社会に復帰しました。

しかしながら戦後60年を経た今なお、韓国、中国を初めとするアジアの国々には日本に対する不信感や警戒心が根強く横たわっています。いったいこれらは何処から来るのでしょか?

これにはいくつかの理由があると思われますが、最も大きな理由はこれら周辺諸国へのしっかりしたパブリック・リレーションズが不足していたことにあるといえます。相互理解による友好関係の醸成は、パブリック・リレーションズの基本ともいえますが、その不在が近隣諸国との真の和解を阻んでいるのではないでしょうか。

日本国民に対しても同様で、大戦の歴史的総括をあいまいにしていることが、国民の歴史認識の浅さにつながっているといえないでしょうか。先の大戦は他国が自分の国に攻めてきた戦争でなく、自分(日本)が相手領土で起こした戦争であるという認識に立ち、あの大戦が如何に周辺諸国に惨禍をもたらしたか、考える環境や情報を十分に得ていたでしょうか。

正確で客観的な歴史認識を持たない私たち日本人が、被害者意識を持つ周辺諸国の人たちの、被害を受けたもののみが抱く心の傷に、相手側の立場に立って、思いを馳せてきたでしょうか。これらの国々との感情的対立の根底に、双方向性コミュニケーションの不在を見ることができます。

先週、私の所属する日本広報学会で日中関係をテーマにした国際シンポジウム(http://www.edogawa-u.ac.jp/~hamada/expo/)が開催されました。パネルディスカッションで、中国のパネリストが今後の日中関係でもっとも重要なことは「心」であるとアドバイスしたことに強い印象を持ちました。

私たちが常に忘れてはならないのは、我々は太平洋戦争の加害者であるということです。謝罪と反省の「心」をベースに、その気持ちを形にし、パブリック・リレーションズの活用をとおしてきちんと相手に伝えていくことで、真の和解が成立するのではないでしょうか。

一方パブリック・リレーションズ不足に起因しているのか、日本の戦後賠償やODAにしても、国家としてアジア諸国に対し多大な資金を投じていることは、今の日本の若年層にはもちろんのことアジア諸国民にもあまり知られていません。日本がどのように取り組んできたのか、ただ一方的な情報発信で終わるのではなく、相手国家のレベルから一般社会レベルまで、発信された内容がターゲットとする相手にどう受け止められているかを知るためのフィードバック作業が重要となります。

そのフィードバックをもとに修正を加え最適化した情報を発信すれば、「心」は着実に形となって伝わっていくのではないでしょうか。

また、毎年8月は人類史上初めて広島・長崎へ原子爆弾が投下された月でもあります。原爆の投下は避けて通れなかったのでしょうか?

ここで太平洋戦争のきっかけとなった真珠湾攻撃について、パブリック・リレーションズの視点で考えてみたいと思います。

太平洋戦争のきっかけを作ったのは、44年12月8日の真珠湾に対する奇襲攻撃でした。94年11月21日付の朝日新聞の朝刊一面には、「真珠湾攻撃に先立って米国への開戦通告の遅れたのは、当時の在米日本大使館の情勢認識の甘さと職務怠慢からだったとする報告書を敗戦直後の46年外務省がまとめていたことが、20日付で公表された外交文書で明らかになった、しかし関係者の明確な責任追及や処分は行われなかった」ことを大きくスクープしています。つまり在米日本大使館内部の開戦通告の遅れにより、結果として、国際法を無視した米国への宣戦布告なしの奇襲攻撃となったのです。

日本政府は米政府への開戦通告の遅れが内部的ミスであったことが発覚した時点で、直ちにその事実を国際社会に明らかにすべきでした。しかし、現実にはオープンされることなく、それまで、ためらっていた米国に格好な口実を与え、米国の第二次世界大戦への参戦を決定づけました。しかも、戦後50年以上にわたり、日本のイメージは「卑怯でずるい日本(Sneaky Jap)」として、その後の日米関係において数々の経済摩擦と絡み、米国民の対日不信感の奥底に深く刻まれていったのです。

パブリック・リレーションズの基本ともいえるオープン性が、このような国家イメージを傷つけかねない危機的状況のなかでもまったくみられません。第一次、第二次世界大戦で米国が、戦費調達や民主主義を守るためにとったパブリック・リレーションズ手法を考えると、双方のあまりの違いに、悲しささえ禁じえません。

いつの時代も戦争は悲惨なものです。米国による原爆投下の背景にはいろいろあるようですが、真珠湾奇襲を受け、国論が沸騰した米国が、「Sneaky Jap」のレッテルが貼られた日本に対し、自分たちと同じ価値観や文化をもった人間でないとして、原爆投下に踏み切ったことを誰が否定できるでしょうか?

多くの尊い命が一瞬にして失われた広島や3日後に落とされた長崎への原爆投下は、もし真珠湾の卑怯な攻撃の真実が国際社会にオープンに発せられていたなら、起こりえなかったことかも知れません。少なくとも長崎への投下は避けられたかもしれません。また、66都市に対する、原爆投下を含めた無差別爆撃で40万人を超える犠牲者をもたらした日本焦土作戦も、これほど凄まじい結果にはならなかったのではないかと思います。

このように日本が被った精神的、経済的損失、またその後の日本民族のイメージに与えたダメージの大きさは計り知れません。戦前の軍国主義の日本では「オープン」で「フェア」「スピーディ」なパブリック・リレーションズの基本姿勢が、存在すべくもなかったことかもしれません。しかし、将来、日本で同じような過ちが起きない保障はどこにもありません。だからパブリック・リレーションズに真剣に取り組む必要があると思うのです。

20世紀は激変の時代でした。今世紀に再びあのような戦争が起きればこの地球はどうなってしまうのでしょうか。いま私たちが生きている地球は、ひょっとすると後100年も持たないのではないか、ふと感じることがあります。

相手を理解し、違いを受け入れあうことができれば、世の中は確実に変わっていきます。争いのない世界を築くには、パブリック・リレーションズ力を身につけ、ひとり一人が考え、勇気を持って平和を訴え、行動していかなければならないと思うのです。

2005年8月15日 終戦記念日に

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