時事問題

2008.02.22

今、子供が危ない。〜人間らしく生きるための教育とは

今、中学進学競争が過熱しています。2月初旬、私は受験に向かう小学生を連れた親子連れをたくさん見かけました。人生の楽しさを全身で味わうべき子供たちがどうして受験という機械的な選別の枠組みの中に巻き込まれてしまうのか。私は彼らの姿を見て、この社会に異常事態が起きているとしか考えざるを得ませんでした。

聞こえてくる子供達の叫び

私立や公立の中高一貫校が出現した現在、中学受験の2007年志願者数は首都圏(1都3県)を例にとると約5万2,000人で受験率は17%と推計されています(四谷大塚進学教室調べ)。それに伴い受験準備のため塾に通う小学生の割合は41.3%(2004年度文部科学省調査)。こちらも年々増加傾向にあり、受験の加熱度がはっきりと伺え、分別のまだつかない子供達の心の叫びが聞こえてくるようです。

またこの数字は、良い学歴=一生安泰という図式は壊れつつあるものの、従来の詰め込み知識重視の学力観により学歴で他を制した者が人生を制するといった感覚が未だ日本社会に深く根を下ろしていることを示唆してもいます。

このような社会で鍛えられるのは、受験に必要な画一的な能力。つまり問題を制限時間以内に処理し、用意された答えを導き出す能力です。こうした訓練の繰り返しは、複数の解決法が適応できる生活上の問題においても絶対的な答えを1つだけ捜し求める傾向を強め、子供の多様性を奪ってしまう危険性があります。答えの用意されていない課題にどう対処するかといった問題解決能力は育たなくなります。

初等教育を受ける6歳から12歳までは、第2次成長期を迎える前で、自我が確立していない大切な時期。その子供たちが学ぶべきことは、人間として生きるための基礎的能力、人間力です。健康な体力はもとより、日々の生活の中で出会う問題を解決しながら生きていく力に他なりません。

では、どうすべきか。それには、地球の成り立ちや営みを子ども自身が見て触って5感で感じて考えられる機会を与えること。理科や算数、社会といった基礎知識を頭に入れる学習とともに、身体を動かしながら知識を実践に応用する機会を提供すること。頭と身体のコミュニケーションを双方向にする教育に重点を置くことではじめて、健全な精神を育む全人的な学習が可能になると考えます。

パブリックと私

また、人間力とは、周囲(パブリック)との関わりの中で自分の道を切り開いて生きていく力でもあります。人間は一人では生きられません。人は関係性の中で生かされており、人生は外界とのリレーションズ活動によって成り立っています。

その力を磨くには子供たちに豊かな関わりを持たせること。子供は、多様な他者との関わる体験を通して、友人と私、学校と私といったさまざまなパブリックと私の関係を感じるようになります。そこから対話や相互理解の大切さ、思いやり、倫理観など公私の精神も育っていきます。それをサポートするのが親や学校、そして地域社会。

私は小学校時代、6度も転校を繰り返しました。新しい環境へすばやく適応するには、子供たちや先生たちと積極的にコミュニケーションし、互いに受け入れあうことが大切であることを無意識に感じ取り、自然に実践していました。

また私の育った家庭は7人兄弟。6番目の子供である私は、自分より大きい兄弟たちとの関わりの中で社会の成り立ちや助け合う素晴らしさを学びました。自分の過去を振り返ってみると、多様な人々の関わりによる情操教育の重要性が再認識できます。

「第三の波」や「パワーシフト」の著者である未来学者、アルビン・トフラーはNHKのインタビュー(2006年)の中で日本の教育制度について、「現在の教育制度は、将来子供たちに必要とされる創造的能力の育成を阻んでいる」と述べています。

人が世界中を闊歩し、どこからでも情報を発信し受信できる時代に必要なのは自分の個性です。個性尊重の時代において学校は全てではありません。自分の道をもって生きることこそ、その人の人生を輝かせるのではないでしょうか。

世界が急激に変化し混沌とする中で、それぞれが与えられた天賦の個性をどう磨いていくのか。これは私たち大人に課せられた大きな課題です。私たちにできる第一歩は、自らが、多様な関係性を通して感性豊かな強い個を実践することかもしれません。

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