時事問題
2008.03.29
ジャーナリストと社会〜ジャーナリズムが危ない
皆さんこんにちわ。いかがお過ごしですか?
毎年この時期は、学生達は卒業式、社会人は年度末であわただしい毎日を送っていることと思います。今日のテーマはジャーナリストと社会です。
ジャーナリストは社会にどう向き合えばいいのか。今、ジャーナリストのあり方が問われています。私は仕事柄よくジャーナリストのかたがたとお会いします。業界紙、雑誌や新聞社に所属するメディア・ジャーナリストからフリーランス・ジャーナリストで活躍する方まで、ジャーナリストにも立場や思想・信条はいろいろあります。
発表ジャーナリズムの限界
日本新聞協会研究所で発行されている『いま新聞を考える』(1995)によれば、マスメディアを通して伝えられるニュース報道は、4つに分類されます。
1つ目は、「ストレート・ニュースあるいはスポット・ニュース」。記者の主観を入れない客観報道で、5W1Hを基本に事実をありのままに伝えることが重要となります。
2つ目は、「調査報道」。取材者の問題意識に基づいた視点で隠れた事実を掘り起こして報道するもの。 このスタイルでは記者個人の主観により切り口や主張点が決まります。したがって記者の姿勢が公正、誠実であることが報道に信頼性を与える鍵となります。
3つ目は、「キャンペーン報道」。暴力追放や公害防止など読者に広く受け入れられる目標を掲げその目標に沿う報道を意図的に続ける手法。そして4つ目は、「論評や解説を中心とする報道」です。
日本のメディア環境における大きな特色は、記者クラブ制度。日本のニュース・メディアはその数全国で100を超える記者クラブ発の情報に多くを依存。流される情報は前項で述べた、ストレート・ニュースで客観報道。これは「発表ジャーナリズム」とも呼ばれ、その結果、新聞紙面が他紙と同じような内容になりがちとなります。
日本はこの記者クラブ制度のために調査報道が少なく、事実を掘り起こして真実を追究する記事の割合が欧米対比で圧倒的に低いのが特徴といえます。また日常の取材活動に過度に追われ、発表ジャーナリズムの限界をみます。
ジャーナリストに責任を持つ
ジャーナリスト本来の役割は、社会に対し、今考えるべき問題を提示すること。そして疑問点を整理し、隠れた問題点を掘り起こし、真実をわかりやすく照らし出すことです。
その結果、反発を招くこともあります。記事を書いた企業から、広告出稿の不当な規制を受けたり、訴訟されることもあります。その場合にも真摯に立ち向かうこと。つまり批判に対しても恐れず、透明性のある正確な情報により十分な説明を行なっていくことが大切です。
批判的な記事の当事者が、スポンサー企業だからといって、その企業に不利益となる記事は書かない。ジャーナリズムにこのような行為は禁じ手ともいえます。
常にリスクが伴うジャーナリスト。リスクに向き合う強さを支えるのは、高い志とともにジャーナリスト精神ともいえる「公正・公明に、真実を報道する」強い使命感。
それゆえ、私達パブリック・リレーションズの実務家はメディアへ提供する情報に責任を持たねばなりません。ジャーナリストの社会に対して負う責任は大きいからです。私たちの役割は彼らに正確で透明性のある情報を提供することなのです。
ジャーナリストは、いわばオーディエンスに報道することで健全な民主主義を守る「防人」といえます。一方、PRパーソンは情報提供側に位置します。一線で働くジャーナリストとの良好な関係性を通し、倫理に外れることのない自由で闊達な対話ができる環境を醸成・維持する責任を持っています。時としてクライアントへの辛口のアドバイスも必要とされるかもしれません。
いま、メディアに携わる人に求められているのは、真実を社会に照らし出すこと。健全な民主主義を持続的に守る情熱と報道姿勢だといえます。
高校(都立立川高校)時代のクラスメート、田勢康弘君(早稲田大学院教授、日経新聞客員コラムニスト)の著わした『ジャーナリストの作法』(日本経済新聞社)の中に次のような一節があります。
「いかなる権力も必ず腐敗することは歴史が証明している。権力を監視し、不正を暴き、政治や社会の透明性を確保する。それができるのはジャーナリズムである。とくに、司法が健全に機能していない場合には、ジャーナリズムだけしか権力を告発するものはない。」(p.250)