交遊録
2005.06.13
個性豊かな人生を自らの選択でかたち作ってきた、宮川秀之さんを囲んで
先週金曜日の夜、イタリアから戻ってきていた宮川秀之さんのために、知人の小河原正己さんの呼びかけで「宮川さんを囲む会」が開かれました。芝の大門にある焼肉屋さんでの会は私にとって半年振りの再会でした。
宮川さんは、世界的なカー・デザイナーであるジウジアーロと共に、イタリア・カーデザインの世界で新しい道を切り拓き、日伊の産業交流に長く貢献された人です。
今回の来日は、宮川さんが経営するスポーツ・マネージメント会社コンパクト社が手がけるイタリアの名門サッカー・チームで今季のセリエ・Aで優勝した「ユベントス」の日本での親善試合開催のためで、2人の息子さんと総勢40名を超えるチームの責任者として東京に滞在されました。
宮川さんと初めてお会したのは昨年12月で、今回の囲む会の世話役で元NHKプロデューサーの小河原正己さんにご紹介いただいたのがきっかけでした。
最初に小河原さんから、「ジウジアーロと長くパートナーを組んできた人」として紹介されたとき、70年代の日本のスーパーカー・ブームを思い出しました。なぜなら、ジウジアーロはその時代日本で大流行した、ランボルギーニ、フェラーリ、マセラッティ、ポルシェなどのスーパーカー・ブームの中心にいた著名なカー・デザイナーだったからです。そしてそのパートナーがなんと日本人の宮川さんであったことを知りとても驚きました。車好きだった私にとって、そんな宮川さんに個人的に興味を持ちました。
宮川さんの歩んだ人生は大変興味深いもので、早稲田大学在学中の1960年、中学時代から好きだったオートバイで世界一周旅行へ飛び出し、途中立ち寄ったイタリア、トリノでマリーザさんという女性と恋に落ち、そのままイタリアに住みついてしまいました。
運命的な出会いをしたマリーザさんとの結婚後、1965年にカー・デザイナーであったジウジアーロと知り合い意気投合。宮川さんは、1967年にはイタルデザイン社の前身となるイタル・スタイリング社を設立し、それ以来、ランボルギーニ、マセラーティやアルファロメオ、また日本車では当時話題を呼んだいすゞ117クーペなど数々の名車を世に出しました。
その後、前にも紹介したように、2人の息子さんと一緒にスポーツ選手を中心としたマネージメント会社コンパクト社を設立し、サッカー・チームや選手のマネージメントを行っています。今回来日のユベントスやキャプテンのデル・ピエロ、F1ドライバーのジャン・アレジなどのマネージメントを、総勢90人を超える社員が手がけています。
福祉活動にも積極的で、2003年の暮れに急逝された奥様のマリーザさんとともに、カトリック精神にもとづき、愛のある大家族をめざして、数々のすばらしい活動をされてきました。4人の実のお子供さんの他に、韓国やインドなどから4人の子どもを養子、里子として受入れ育て上げたことや、ザンビアのハンセン病患者の子供4人を里子にして養育費を送ることなどもその考えに基づくものです。
1994年からは、毎年、日本の不登校やひきこもりの子供たちを自分たちの農園に40日間預かり、自然の中で、仲間たちと共に働き、学び、生きる喜びを知ることで個々の自立を促すプログラム「ニュー・スタート・プロジェクト」を提供していました。
20年前、トスカーナの10万坪の水辺のある土地に、ワイン農園(ブリケッラ農園)を開き、有機農法による最高品質のワイン作りにも力を注いでおられます。一昨年の秋から娘さんの志づ子さんが日本に常駐し、自分たちが作ったイタリア・ワインの日本での紹介に努めています。
宮川さんの家族の間で一番大切にしているのは、お互いのコミュニケーション。毎日一度は家族同士で電話しあい、互いの所在や状態を確認する。問題が起こったときにはお互いが率直に対話して結論をだす。このようなオープンで双方向のコミュニケーションを通して、家族の絆がより深まっていくのだといいます。
この信頼関係が基盤にあるからこそ、「古い世代の親が自分の考えを子に押し付けるのではなく、新しい世代の子供が自分なりのアンテナで考え、最終的に自己責任により自らの行動をとる」といった人間教育が成り立つのかもしれません。
こうした宮川さんの、個としての人間の素晴らしさを深く理解し、個の中に既にある豊かな人間性を引き出すことに情熱を持って取り組む姿勢に深く感銘を覚えます。
宮川さんの生き方には共感する部分が多くあります。私が、現在大学で教鞭をとっているのも、健全な社会の発展には、個がしっかりしたバックボーンとパワーを持つことが極めて重要ですし、そのための教育が不可欠だと信じているからです。
宮川さんのこれまでの長い人生をとおして出来上がった確固としたモットーは、「プロセスを楽しむ(process-enjoying)こと」。つまり、「人生は山あり谷あり。けれども、志を持って臨めば、深い谷にいるときにもそれを受け入れることでプロセスそのものを楽しむことができるようになる。そしていつか必ず山に登ることができる」。
これからも、宮川ファミリーの日本とイタリアを繋ぐ橋渡し役としての活躍を楽しみにしています。