交遊録
2007.05.04
私の心のふるさと、都立立川高等学校
五月の輝く陽光と新緑の美しいこの季節。私は毎年この時期になると想いだす場所があります。
それは私の母校、都立立川高等学校。中央線立川駅から南に歩いて5分ほどの距離にある、この学校の当時のシンボルマークは豊かな緑に包まれた広い校庭と、3階建ての校舎の上にある天文台でした。
新宿区の中学校(西戸山中学)を卒業した私は、実家が三鷹に引越したことを契機に高校進学では立川高校を選びました。多摩川の清流と緑に囲まれた自然の中のこの学校は、知り合いが誰もいない不安な15才の少年を明るく迎え入れてくれました。
立川高校は、1901年創立の府立二中を前身とする都立高校。多摩地区に位置するこの高校は、地元では親しみを込めて「立高」と呼ばれています。 また、現在に至るまで東京都知事(鈴木俊一さん)を始め、とりわけ多摩地区の多くの自治体の首長を輩出してきたことから「市町村長学校」とも呼ばれているようです。
校風は「文武両道」、「質実剛健」
当時の校風といえば、「文武両道」、「質実剛健」。そこには、自由で闊達な風土をもち、勉強を強制されることなく、自分が目指したい道を一心に突き進める環境がありました。
水泳に青春をかけていた私の思いだす母校の風景は、豊かな緑とまぶしい太陽にきらめくプールの水しぶきです。水泳部の屋外練習は3月20日ごろからが始まりますが、本格的に水のなかで練習がスタートするのは5月の初旬。新緑に映えた水面はキラキラ輝いていました。
そこで過ごした3年間、たくさんの友人と巡り合い、共に青春時代を過ごしました。その関係はさながら兄弟のようなもの。全国から集まった大学の友人とはまた違った人間関係がそこにはありました。特に公立の高校は地域性が強く、その地域の持つ風土や文化を共有する仲間とは、ふるさとを同じくする特別な関係にあるといえます。
友情で、人生はより輝く
4月のある日、立川のホテルで、3年ぶりに学年同窓会が開かれました。そこに集まったのは150人ほどの同期の卒業生と、当時の担当教師。いまや70代後半から80代となった先生方もその年を感じさせることなく元気な顔を見せてくれました。
数年ごとに開かれる同窓会とは別に、同窓生が2ヶ月に一度スナックバーに集まります。現在は新宿のとあるバー。最近はリタイアした人も出てきて、仕事から解放され益々自由に語り合えるようになりました。そこは会った瞬間、時空を超えて45年前の青春時代にタイムスリップしてしまう。そんな空間。
スナックバーには、自由豪快な校風を反映して個性豊かな友人たちが集います。インテリアデザイン界で今や大御所となったスーパーポテトを主宰する杉本貴志君、大蔵省時代審議官として活躍した中井省君(現ロッテ製菓役員)、唯一3年間同じクラス仲間で日本経済新聞時代コラムニストとして活躍、いまでも時事問題に健筆を振るう田勢康弘君(現在早稲田大学院教授)、同じバスケット部仲間の青梅市長の竹内俊夫君と日野市長の馬場弘融君、最近同窓会にあまり顔を出さなくなったNTTドコモ社長の中村維夫君、手作りのケフィアヨーグルトを広めているケフィア倶楽部代表の佐藤ゆき子さん、そして高校入試で当時の東京都のアチーブメント・テストに900満点中895点のトップで立高に入学した、水泳部仲間でカメラマンの小川智夫君など、活躍する分野も色とりどり。
高校の友人は、同じ土地から卒業後それぞれの道に巣立っていきます。将来への希望と夢を共有する仲間ともいえます。私にとって様々な分野に羽ばたいた仲間たちとのふれあいは、パブリック・リレーションズの実務家としての信念と夢を大いに刺激してくれました。
パブリック・リレーションズを政治の世界に持ち込んだといわれる、第3代米国大統領トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson,1743-1826)は言っています。
「友情は、試練の時だけでなく、人生の輝ける時にも大切なものです。そして、慈悲に溢れた友情を授かることで、人生はより輝くのです」
互いによく笑い、よく語り合う、いつまでも変わらない友情、その豊かな実りに感謝して。