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2014.08.14

あれから69回目の夏〜文学者の「日記」に見る終戦

皆さんこんにちは、井之上 喬です。

8月15日は、69回目の終戦記念日。昭和57年(1982年)4月の閣議でこの日は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定められましたが、私にとっては、「終戦記念日」とか「敗戦の日」といった従来の表現のほうに馴染みがあります。

最近、ドナルド・キーン(Donald Keene)氏の『日本人の戦争?作家の日記を読む』(2011、文藝春秋:角地幸男翻訳)を読む機会がありました。

同氏は、2011年に日本国籍を取得しましたが、当時のメディアインタービューで国籍取得の理由を熱い思いで語っていたのを覚えておられる方も多いと思います。

キーン氏は、米国コロンビア大学教授時代から日本文学研究家として知られ、戦後京都大学でも学び、2008年には文化勲章を受章、そして日本国籍を取得後、現在は日本に永住されています。主な著書には『日本文学史』、『明治天皇』などがあります。

太平洋戦線では情報士官として米国海軍に属し、日本語の通訳官を務めた経歴をもつと著書のプロフィールに紹介されています。
『日本人の戦争〜作家の日記を読む』は、近代・現代日本文学を飾る多くの著名な作家や文化人(永井荷風、高見順、伊藤整、山田風太郎、吉田健一、徳富蘇峰、大佛次郎、平林たい子、内田百けん、石川達三、高村光太郎、徳川夢声や古川ロッパら)が開戦から終戦後のおよそ5年間につけた日記の抜粋によって構成されています。

「比較的短い期間につけられた日記にも、勝利と敗北の日々の作家たちの生活が見事に活写されている。」また、「極めて多彩な視点と方法で書かれた数々の日記は、日本の歴史の重大な時期における日本人の喜びと悲しみを暗に語っていると信じる。」とは序章における筆者のコメントです。

このブログでは、これらの日記の中から大佛二郎と高見順の日記を紹介します。

大佛次郎の『終戦日記』

往年の人気作家大佛次郎(1897- 1973年)が、太平洋戦争末期から終戦直後にかけての日々を綴った日記には、戦局の悪化に伴い、作家としての仕事は減り細々と書きつつも、ロシア文学を読みふけり、文士仲間と交友し酒も酌み交わす日常が描かれています。

時が進むに連れ、物価が高騰し、徐々に物が手に入らなくなっていく様が克明に記されており、当時の生活を知る史料としても価値のあるものだといわれています。

終戦前夜(8月14日)、大佛の日記には「蒸暑い日が続く。敵襲も依然としてやまず。夕刻、岡山東(三社聯盟)来る。いよいよ降伏と決まったので記事を書いてくれという。書けぬと答えたが遂に承知。(中略)9時のニュウス明日正午に重大発表があると報道す。」

8月15日。「晴。朝、正午に陛下自ら放送せられると予告。(中略)予告せられたる12時のニュウス、君ヶ代の吹奏あり主上親らの大詔放送、次いでポツダムの提議、カイロ会談の諸条件を公表す。台湾も満洲も朝鮮も奪われ、暫くなりとも敵軍の本土の支配を許すなり。覚悟しおりしことなるもそこまでの感切なるものあり。」

「夜の総理大臣(鈴木貫太郎)放送も大国民の襟度を保ち世界に信義を失わざるようと繰返す。その冷静な良識よりも現実は荒々しく、軍には未経験のことに属す。阿南陸相責を負い自刃と3時の報道あり。杉山元も白刃したと伝えられしが虚報らし。」

玉音放送は、世間の多くの人々にとっては全くの不意打的な出来事であり、これらの人々は全く反対の何か朗報が放送されることを期待していたといわれます。こうした背景もあり、大佛次郎の『終戦日記』には当時の混乱ぶりが綴られています。

高見順の『敗戦日記』

また高見順(1907-1965年)は、8月15日について次のように記しています。「警報。情報を聞こうとすると、ラジオが、正午重大発表があるという。天皇陛下御自ら御放送をなさるという。かかることは初めてだ。かつてなかったことだ。何事だろう。」

「12時、時報。君が代奏楽。詔書の御朗読。やはり戦争終結であった。君が代奏楽。つづいて内閣告諭。経過の発表。遂に敗けたのだ。戦いに破れたのだ。夏の太陽がカッカと燃えている。服に痛い光線。烈日の下に敗戦を知らされた。蝉がしきりと鳴いている。音はそれだけだ。静かだ。」

街の噂。「鈴木首相が少壮将校に襲われたという。首相官邸と自宅と、両方襲われたが、幸い鈴木首相はどちらにもいなかった。そして自宅に火を放たれ、焼かれたという。少壮将校団が放送局を朝、襲って、放送をしようとしたが、敵機来襲で電波管制中だったため、不可能だった。」

8月16日。「朝、警報。小田の小母さん来たり、その話では世田谷の方に日本の飛行機がビラを撒いていた、特攻隊は降伏せぬから国民よ安心せよと書いてあったという。——-勃然と怒りを覚えた。北鎌倉駅を兵隊が警備している。物々しい空気だ。円覚寺、明月院の前、建長寺にも、これは海軍の兵隊が銃を持って立っている。」

「新聞売場ではどこもえんえんたる行列だ。」、「黒い灰が空を舞っている。紙を焼いているにちがいない。」、「電気が切れた。どこかで電熱器を使っていてヒューズが飛ぶらしい。」など、高見順の『敗戦日記』にも大佛次郎と同様に当時の混乱ぶりが見えてきます。

ドナルド・キーン氏は、「あとがき」で次のように記しています。「当初、わたしは昭和20年(1945年)のことだけを書こうと考えていました。日本にとって正に歴史的な、この年には忘れがたい事件が続発し、国民には絶望と希望が交差します。」

「この一年を取り上げるだけで充分、一冊の本になり得る資料がありますが、ここに至る過程で起きた幾多の出来事を知らなければ、変化の大きさを把握することが難しいと判断して、あえて前5年も含めて書きました。日本という国が生れてから今日までの歴史の中で、もっとも劇的な5年間です。」(2009年5月)

キーン氏の著書や大佛次郎の『終戦日記』、高見順の『敗戦日記』を読むにつけ、読者に時代の大転換期の社会の有様や人間模様が鮮烈に伝わってきます。そして、終戦・敗戦を単に歴史上の出来事として風化させてはならないことを改めて痛感しました。

私がこのブログで記した内容は、いうまでもなく3人の著書のほんの一部を切り取って紹介したにすぎません。皆さんも夏休みの機会に終戦関連の本を何か一冊読んでみてはいかがでしょうか。

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