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2012.09.10
高倉健の『あなたへ』〜妻が夫に伝えたかったものとは
こんにちは井之上喬です。
先日、前評判の高い高倉健主演映画「あなたへ」を観に映画館に足を運びました。
この映画の企画は、2008年に亡くなった市古聖智が遺した原案を映画化したもので、監督は今作品で20本目のタッグとなる降旗康雄監督。
「あなたへ」( http://www.anatae.jp/ )は高倉健にとって6年ぶりの映画で、降旗監督が、市古さんの原案を脚本家・青島武とともに再構築し練り上げたオリジナルストーリー。
今年で81歳になる高倉健の俳優としての集大成ともいえるこの作品は、富山から長崎平戸までの1200キロの旅を、そこで出会うさまざまな人々とのふれあいをワンカットワンカット精緻にそして慈しむように撮影し夫婦の愛の深さを表現しています。
手紙に秘めた妻の想い
ある日、富山にある刑務所の指導技官・倉島英二(高倉健)のもとに、亡き妻洋子(田中裕子)が残した1枚の手紙が届きます。
そこには1羽のスズメの絵と共に「故郷の海を訪れ、散骨してほしい」と妻の言葉が記されていました。
その手紙の中で洋子は、もう1通は「局留め郵便」として、彼女の故郷・長崎県平戸市の郵便局で受け取れることを記していました。受け取り期限まであと10日しかありません。
「妻はなぜ生前自分に伝えてくれなかったのか?」。
長く連れ添った妻とは、お互いを理解していたと思っていたのに、なぜ妻は生前にその思いを伝えてくれなかったのか。長年の同僚の塚本夫婦(長塚京二・原田美枝子)の心配をよそに、英二は妻の遺言を果たすために、そして妻の遺言の真意を知るために、妻洋子の故郷に行くことを決心するのでした。
生前洋子と一緒に旅をするために自作したキャンピングカーで、富山を発った英二は旅の途中で、同じようにキャンピングカーで旅をする元中学教師杉野(ビートたけし)や各地を転々としながらイカ飯の実演販売をしている田宮(草彅 剛)と南原(佐藤浩市)らと出会います。
杉野とは彼が影響を受ける山頭火について旅や放浪を語り合い、田宮達とは彼らの家族への想いや悩みなどを語り合うのでした。
富山からはるばる目的の地平戸にやってきた英二は郵便局で2枚目の絵手紙を受け取ります。そして洋子が子供のときに過ごした町並みを歩き、静かに想いを巡らせるのでした。
人生一期一会。さまざまな人の人生とさまざまな想いを胸に、英二は「自分の骨を故郷の海に散骨して欲しい」と言い残した妻洋子の遺言の意味を理解します。
そして、地元薄香の漁港で船頭をしている吾郎(大滝秀治)の協力を得て、粉々に砕いた洋子の骨を自ら海中に手を入れて葬るのでした。
その完成された映画作り
この映画は、200本を超える作品に出演した高倉健の「大人の映画を作りたい」という映画への熱い想いと降旗監督の想いが一つになった作品といわれています。
高倉健は寡黙な役者です。映画では間を大切にし、内面を表すための沈黙がある一方、観客に時間の経過を感じさせないテンポがあります。間合いと速いテンポ、この2つを両立させるのは極めて難しいと思われるからです。
その映画作りはワンカットワンカットが計算されつくしていて、撮影技術だけではなく編集技術の秀逸性も加わり、かつてある映画プロジェクトに関わっていた私にとっては完璧な作品でした。
車で旅をするシーンでは風光明媚な自然を味わうことができます。新緑の季節を選ばず、秋の季節の抑制のきいた自然が画面いっぱいに描かれています。
なかでも兵庫県朝来市和田山にある竹田城址でのシーンは圧巻。とりわけ雲の上にある山城を見事に遠景で捉え、雲海に浮かんだ天空の城として幻想的に描かれています。
また、映画の中でアクセントとなっているのが「星めぐりの歌」です。童話作家で詩人の宮沢賢治(1896?1933)が作詞・作曲したもので、洋子が刑務所や竹田城址で歌い、哀愁を帯びて演奏されています。
映画ではビートたけし演じる話好きの杉野と寡黙な英二の対比を面白く見せています。
この映画は多くの名場面を残していますが、私の心に一番触れた情景は目的地の平戸で英二がひなびた写真館の前にたたずむ場面です。
そこで妻洋子の幼い頃の写真と思われる色あせた写真をみて「ありがとう」とつぶやくシーンに、私は思わず涙しました。この写真に洋子の手紙の答えがあるように感じたからです。
人生一期一会。さまざまな人たちの人生とさまざまな想いを描きながら最後の目的地で散骨する英二の姿。その時、彼の心に届いた洋子の本当の想いとは何だったのでしょうか?
寡黙な俳優高倉健の存在感に圧倒されます。体全体からにじみ出るオーラは、この映画のテーマと重なり、ただそこにいるだけで特別な空間を作っています。
私はこれまで映画鑑賞で続けて2回同じ映画を見たことはありませんでした。
しかし今回、休日の朝一番の映画館が混み合い、本編5分遅れで入場する羽目になり、終演後、最初の5分を観るために再度切符を購入。5分で退席するつもりが、そのまま画面に釘付けになり2本目も最後まで観ることになってしまったのです。この映画の空間にもっと浸っていたいという思いがそうさせたのでした。
これまで高倉健主演の映画はせいぜい10本ぐらい。健さんの熱狂的なファンではない私が、これほど熱心に語れるのは、作品、キャスト、スタッフと、観客を魅了させるさまざまな要素をこの映画が持ち合わせているからに違いありません。
早くもカナダのモントリオール世界映画祭で審査員特別賞「エキュメリカル賞」を受賞したようですが、この夫婦愛を描いたロードムービーは、人種、宗教、言語を超えて世界中の人々を魅了することでしょう。カンヌやベルリンなどの国際映画祭にも積極的に出品して欲しいものです。
皆さんには是非、時間を作ってでもこの映画を観に行くことをお勧めします。