パブリック・リレーションズ

2005.11.11

パブリック・リレーションズの巨星たち2.PRを体系化した先駆者 エドワード・バーネイズ(1891-1995)、「社会や組織体に与えた影響 その2.」

こんにちは、井之上喬です。

皆さんいかがお過ごしですか。先週に続いてバーネイズのお話です。

エドワード・バーネイズは、「パブリックリレーションズ・カウンセラー(実務家)はクライアントのパブリックに対するコミュニケーターにとどまらずアドバイスを行うカウンセラーの役割を担うべきである」と考えていました。さまざまな組織体に対するカウンセリングを通して組織体にも大きな影響を与えました。

そこで今日は、パブリック・リレーションズを理論体系化した先駆者バーネイズの組織体に与えた影響を考えたいと思います。

彼のかかわった企業はP&G社、GE社、GM社など多数あり、その全てを紹介することはできませんが、代表的な例として現在米国の巨大放送ネットワークのひとつであるColombia Broadcasting System(CBS)とバンク・オブ・アメリカの例を紹介します。

1920年のアメリカ初のラジオ放送開始を皮切りに、20年代は商業的利益を見込んだ多くの企業がラジオ放送事業に参入した時期でした。CBS 創業期の29年、バーネイズは創業者、ウィリアム・ペイリーのカウンセリングを行いました。彼はペイリーにラジオを新しいコミュニケーション手段として重視し、その速報性やパブリックへの影響力を考えて公共性の高いニュースに力を入れるべきだとアドバイスしたのです。

当時のラジオ局の制作方針はあいまいなものが多くありました。そこでバーネイズは、一貫した制作方針に基づく正確な情報配信を行うことを提案。4つの地域でそれぞれ異なった時差が存在する米国内で使用する番組表を統一し、それまで長かったプレス・リリースを一段落にまとめることで、一目ですぐ番組内容がわかるリリース作成を実施しました。

ペイリーははじめ、ニュースの制作方針が厳しすぎると考えていましたが、バーネイズの説得により彼の提案が採用されました。その他にも著名な女性コメンテーターを積極的に起用したり、海外からのニュース配信やローマ法王による放送の実現など、「CBSニュース」のイメージ確立のためにニュース番組や公共番組に力を入れました。

また建築家と組んで、利用者の屋根に受信アンテナを設置するなど、放送内容とインフラ構築の両面からラジオ放送の普及に取り組みました。

かくして、それまでニュース部門でNBCに後塵を拝していたCBSが、31年にはNBCを抜きトップの座を獲得したのです。

一方、29年から45年は、株価大暴落による大恐慌と第2次世界大戦という二つの大事件の影響で、パブリック・リレーションズの実務が発展した時期です。この時期の米国大統領フランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt, 1882-1945)はニュー・ディール政策を推進する中、産業界の指導者に対し「自己利益を国民の福祉に優先させている」と非難を強めました。そのために国民の大企業への感情は急速に悪化。存在意義として企業の社会的役割が問われる時代を迎え、大企業は防衛のためのキャンペーンを強いられることになりました。

米国が大変化の真っ只中にあった38年、バーネイズはバンク・オブ・アメリカの当時の会長であるA.P.ジアニーニに請われ、カウンセラーを務めることになりました。

当時カルフォルニア州を拠点に順調に拡大路線を歩んでいたバンク・オブ・アメリカは、地元の小さな銀行を買収し、複数の州で支店を展開する銀行経営(ブランチ・バンキング)を行っていました。複数州にまたがる銀行経営が米国商法に抵触する可能性があるとの理由で、証券取引委員会による調査を受けたのです。

公聴会では、大企業の安定性や大きなプロジェクトへの貢献度合いなど、大企業の社会的役割を明確に打ち出しました。また成功事例として、ブランチ・バンキングがイギリスやオーストラリアで成果を上げ、社会にも容認されている事実を強調。さらに、ブランチ・バンキングを推進するコロンビア大学のチャップマン教授とその賛同者で構成される委員会へ専門家としての協力要請を行いました。

その他にもパンレットの配布やニュース・リリースなどを通してブランチ・バンキングの認知度を高める活動を広く展開。また、委員会により執筆された本を出版し広く配布しました。それらの活動が功を奏し、アメリカでのブランチ・バンキングへの否定的意識の払拭に成功したのです。

また、支店が置かれている地元民の評定調査も行いました。その結果、顧客や地域住民、その他パブリックからの評価が低いことが判明。バーネイズは、その改善には、基本的な経営方針策定から日常業務にいたる活動にパブリック・リレーションズを導入する必要性を説き、人と人との積極的な交流の促進をアドバイスしたのです。まさに双方向性を実践していたといえます。

具体的には、対外的なニュース・リリースや政府への対応(ガバメント・リレーションズ)と平行して、大企業に対する嫌悪感の払拭のためにコミュニティ・リレーションズの強化をはかりました。行員の積極的なコミュニティ活動への参加を促したり、地域の人々に大企業の利点を理解してもらう活動を行ったのです。今で言うCSR(企業の社会的責任)的な活動がこの頃すでにバーネイズによって実践されていたことになります。

このように彼の手がけたプロジェクトはビジネスの手法だけでなく組織体の在り方そのものにまで影響を与えました。プロジェクト成功の要因は、社会科学に裏打ちされた綿密な調査と分析、一見関連性のない複数のファクターを組み合わせて新しいものを作り出す発想力。そして、ターゲットにメッセージが的確に到達するために、誰にどのような情報を発信すれば届くのかを心得ていたことなどにあったといえます。

以上、ここで紹介したどの手法も現代のパブリック・リレーションズで用いられていることを考えると、当時の彼のアイディアや活動が如何に革新的なものであったかが容易に理解できます。そして彼が実行した数々の新しい試みは、その後の米国のパブリック・リレーションズの進展に深く結びついていたともいえます。

彼の活躍は財界にとどまらず広く政界にも及んでいました。というわけで、次のテーマは「米国大統領とバーネイズ」を取り上げたいと思います。次回をお楽しみに。

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