趣味
2006.01.20
「ディーガン」との出会い
こんにちは、井之上喬です。
皆さん、いかがお過ごしですか。
今日は少しリラックスした趣味の話しをしたいと思います。
皆さんはディーガンという楽器名を聞いたことがありますか?「ディーガン(Deagan)」は世界の名器といわれるヴァイブラフォン(ヴァイブ:ビブラホンともいう)のブランドです。ディーガンを製造するJC. Deagan社は、John Calhoun Deagan(1851?1934)によって1880年にシカゴで設立され、1978年までヴァイブ、マリンバ、チャイム、グロッケンなどの打楽器メーカーとして世界にその名を馳せた会社です。
私は2000年10月、米国PR協会(PRSA)と国際PR協会(IPRA)共催のワールド・コングレスに出席するためにシカゴを訪れました。シカゴ訪問のもう一つの目的は学生時代から憧れていたディーガンを購入することにありました。現在はもう製造されていないディーガンを、訪米前に偶然中古のインターネット・サイトでみつけたのを機に買いに行くことにしたのです。
コングレスの後にレンタカーで3時間かけシカゴ郊外の指定された場所を目指しました。道に迷いながらやっと目的地に着くと、なんと目の前には “Deagan Tower”の看板をビル屋上に掲げた赤レンガ造りの建物が立っていました。1920年代、シカゴのアルカポネの時代を彷彿とさせるデザインの小さな3階建ての建物は、外壁もボロボロでまるで小さな廃屋のようでした。
ビルの脇の雑草が茂る駐車場に車を止めて正面玄関の前に立つと、入り口は朽ちたシャッターが降りていて、半分開いた脇の木戸を開け恐る恐る中に入ってみると、一階は真っ暗。かすかに差し込む外光を手がかりに薄暗い狭い石段を登り2階までたどりつくと、突き当たりに小さなオフィスがありました。
にこやかに出てきたこのビルの住人(?)はDeagan専門の修理屋さんで、ディーガンが事業をたたんだ後、30年近くにわたって世界中のDeaganユーザーのために修理専門のサービスを提供している50代後半のおじさんでした。40年ほど前に南米から移住してDeagan社に入社したその主人は、名門Deagan社の閉鎖後もその場所に残り、いまなお世界中で使用している愛好者が困らないように修理業を始める決心をしたそうです。
その主人の案内で、がらんとした高い天井の土間が広がる部屋に入りました。そこには補修を終えて商品展示されているDeaganや新品のMusser(ムッサー:別の米国ブランド)などのヴァイブが無秩序に置かれていました。埃にまみれたうす汚れた壁には往年のミルト・ジャクソンの大きな白黒の写真パネルが昔のままの状態で掛けられていました。往時の栄光の時代に想いを馳せながら、目指すヴァイブの前に立ったとき、タイム・スリップしたような、言葉には表せない気持ちと共に体が震えてきました。
学生時代ハワイアンバンドでヴァイブを演奏していた私にとって、音色の全く違う黄金色をしたディーガンは、時々番組出演で訪問したNHKやTBSなどの放送局でしか使われていない崇高な楽器でした。当時(60年代)のプロのヴァイブ奏者でも殆んどはSaitoやKossといった国産のヴァイブを使い、高価なディーガンはまさに手の届かない名器だったのです。
ディーガンのヴァイブを楽器として世に広めたのはライオネル・ハンプトン(1908?2002)でした。10代でドラム奏者としてデビューしたハンプトンはルイ・アームストロングのアドバイスによってヴァイブ奏者に転向し、30年代に入りベニー・グッドマンやルイ・アームストロングと共にスイング・ジャズ全盛のアメリカで活躍しました。
その後、世界の新しいジャズ・シーンを切り拓いたモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)のミルト・ジャクソン(1923?99)がヴァイブ奏者としての地位を不動のものにしました。ライオネル・ハンプトンのヴァイブはどちらかというと野生的。それに対してミルト・ジャクソンのヴァイブの響きは軽妙にして知的で繊細。私が師と崇めるミルト・ジャクソンは、バラードでもブルースでも自在にその技を披露する誰もがあこがれるヴァイブ奏者でした。今も、ミルト・ジャクソンのヴァイブの音色は色あせることなく恒久の輝きを放っています。しかしあの繊細なタッチと芳醇な音も、この名器なしには生まれなかったことでしょう。
そんなことを考えながら、その場で目に入った一台のオーバーホールされたDeaganに目がとまりました。裏に製造番号の入った1925年製のその楽器は、鍵盤やパイプに使われていた金属素材が現在のヴァイブと比べ異なり、重量があり、マレット(先端に細い毛糸を丸く巻き上げたスティック棒)で鍵盤を叩くと音の深さや艶が往年のプレーヤーのレコードで聞く音そのものでした。
その楽器を選ぶのにそれほど時間はかかりませんでした。25年製Deaganを注文した後、主人から幸運にも当時(1920年代)の貴重なカタログをいただくことができました。ページをめくると、所々に紹介される専属アーテイストたちの写真はまるで音を奏でているようで、そこにアル・カポネ時代の華やいだシカゴを見出すことができました。
ディーガン社は1978年にチャイム(ベル)とグロッケン事業をヤマハに売却し親子三代にわたった栄光のときをきざみ終えたのです。
その晩はベッドの上で、いろいろなことを考えました。その日体験したことや学生時代の演奏旅行のこと、75年もの間いろいろな人の手に渡りさまざまな人生を眺めてきたであろう私の新しい楽器“Deagan”のこと。多くのことに想いを馳せ、心が躍り、興奮で眠れないほどの一夜を過ごしました。
パブリック・リレーションズの仕事はある意味ではタフで、ときにはストレスがたまる仕事です。誰にでもストレス解消法がありますが、私にとって、親しい仲間とヴァイブ演奏をするときは間違いなく、至福のときなのです。