趣味

2008.08.16

夏、癒しの空間「弓削島」

こんにちは井之上喬です。
お盆も終わり、朝晩ほんのすこし涼しさが感じられるようになりました。
皆さんいかがお過ごしですか?

今年もお盆休みを利用して母のふる里、弓削島(愛媛県上島町)を訪問しました。瀬戸内海に浮かぶこの島は、面積にして8,95km2、島を一周しても18kmという、人口4,000人足らずの小さくてかわいらしい島(写真上:弓削ロッジから松原海岸と石山を望む)。この10数年間、毎年訪れる私にとっては帰郷とおなじ。

今年は尾道から高速船を利用せず、1時間に1本の割合で「のぞみ」が停車する福山駅からバスで1時間ほどすると終点の因島の土生港。そこから小型フェリー「青丸」で15分。太陽に光り輝く弓削島に到着します。「瀬戸内しまなみ海道」(広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ)からはずれた弓削島には昔ながらの自然が沢山あります。

以前にも述べましたが、パブリック・リレーションズ(PR)の仕事は、インター・メディエイターとしての役割を果たし、WIN-WINを実現させる仕事。弓削島の自然の中で培われた開放的でポジティブ気質は現在の仕事に大いに生かされていると思います。

都会で忘れられた「ぬくもり」

今年も94歳の母の妹やいとこたちが温かく迎えてくれました。昨年96歳で亡くなった叔父の姿が見られないのは残念でしたが、その子供たちにも何十年ぶりかで会うことができました。叔父のお墓は、道鏡禅師(弓削道鏡)を祀っている島の中央にある「海江山自性寺」にあり、海を見渡せる白い砂と松の木のすぐ下にある明るい場所。

戦後、満州の大連から引き揚げてきた私たち家族は、役人をしていた父の赴任先が決まるまでの間、何ヵ月かを弓削の母の実家に身を寄せていたことがあります。以来、高校の途中まで毎年夏には弓削島に戻っていました。今年もいとこ達やその家族、子供たちと松原海水浴場で泳いだり、隣島の佐島(さしま)(写真右:プライベート・ビーチ風の砂浜)で釣りをしたりして4日間をのんびり満喫。

弓削には小さい頃からの想い出がたくさん詰まっています。毎年夏に尾道祭りで行われた海上花火大会もその中の一つ。小学校5-6年生の頃、当時因島にあった日立造船に勤めていた叔父(叔母の夫)が、親戚のために貸し切った小型遊覧船の中で用意された氷で冷やした空の酒樽に入っているビールを5,6本ひとりで飲み、大人が花火を楽しむのをよそに、兄弟やいとこ達と存分に騒ぎ楽しんだこと。また、弓削島の反対側にあった小さな入り江の段々畑で、スイカを好きなだけ採りリヤカーに乗せて運び、叔母の家の井戸で冷やした後、みんなで舌鼓をうったことなどです。

いまは、大型タンカーを建造していた因島の日立造船も立ち退き、弓削小学校も1学年で200名近くいた児童が20名に満たない数に減少し、過疎化が進んでいます。

そんな弓削島にも最近新しい動きを感じます。それは幼い子供をつれた家族が弓削に帰ってきていることです。休みを利用して新しい配偶者とともにこの島に連れ戻っていることです。弓削に生まれ育った祖父母が都会に出て子供をもうけ、さらにかれらの孫が弓削に戻ってきているといった感じです。

注目を浴びる弓削商船

弓削には多くの外洋航路の船長や一等機関士を輩出した弓削商船(国立弓削商船高等専門学校)があります。最近、海運業界の環境の変化に伴い船乗り志願者は激減。電子機械工学や情報工学などのIT系の学生が主流になりつつあるようです。

そんな弓削商船に関する記事が偶然、日経ビジネス8月18日発売号に掲載されています。日本のこれまでの「6・3・3・4制」の枠組みから離れた高等専門学校に焦点を当てた特集。「鉄は熱いうちに打て‐12歳からの英才教育」(36?37頁)の中で全国高専(61校)対象に毎年開催されている「プログラミングコンテスト(プロコン)」で昨年も優勝した同校が開発したプログラムに「マイクロソフトが熱視線」と弓削商船のソフトウエア技術開発力について紹介されています。弓削の持つ豊かな自然環境に創造性が育まれ、こうした成果が生まれているのかも知れません。

行政改革の流れの中で将来、全国5か所にある高等商船専門学校の統廃合で、広島商船、大島商船、弓削商船の3校が1校に統合される話を聞き、弓削商船の将来が心配されています。日経ビジネスの記事は、こうした心配を吹き飛ばしてくれる明るいニュースでした。

今回島で初めて、2人のフランス人観光客に会いました。瀬戸内海に浮かぶ小さな島、弓削島。弓削島やその周辺の島々には史跡も多くみられます。人は瀬戸内海が抱合する、多彩な歴史と文化に魅せられて弓削島に惹きつけられるのでしょうか。

94歳の叔母は最近、歩くときに杖を使うようになりました。あまりに暑いので桟橋での見送りをひかえてもらい彼女の自宅で別れを惜しみました。「来年まで元気にしていてください。また戻ってきます」。桟橋から遠ざかる船から、遠方に見える叔母の自宅へ向かって最後の別れを惜しみました。

書籍

注目のキーワード
                 
カテゴリ
最新記事
アーカイブ
Links

ページ上部へ