趣味

2007.08.17

私の心に残る本9 『ビジョナリー・ピープル』〜200人の成功者が示す成功への道とは?

ビジョナリー・ピープルこんにちは井之上喬です。
皆さんは夏休みをどのようにお過ごしですか?

今年の夏休みを私は瀬戸内海に浮かぶ愛媛県弓削島で過ごしました。島のトレードマークである石山、そして松原海岸とその入り江が見渡せる弓削ロッジでのんびり読書。手にした本は、『ビジョナリー・ピープル(原題:Success Built to Last-Creating a Life that Matters)』(2007、英治出版)。

時代を超えて成功する「企業」の条件を示した『ビジョナリー・カンパニー』(1995、日経BP出版センター)を知る人は多いはず。その共著者の一人、ジェリー・ポラスがスチュワート・エメリーとマーク・トンプソンと共に10年にわたり世界各国の200人以上の成功者にインタビュー。成功の原則を明らかにした本です。

自分の愛することに集中する

本書に登場する人物はガンジーやグーグルの会長兼CEOエリック・シュミット、ヨーヨー・マなど幅広い分野で継続的に成功している人たち。著者はこのような人を「ビジョナリーな人」と呼んでいます。

そこに浮かび上がる共通点は、自分の愛することを生きがいとして全神経を集中し、どんな逆境にも挫けず自分の信じる道を突き進んでいること。成功という世間的な評価を手にした後も、自分の生きがいに情熱とエネルギーを注ぎ続け、継続的な目標達成をしていることです。

ネルソン・マンデラもその一人。彼は、南アフリカ共和国の反アパルトヘイト運動に参加し、1964年反逆罪で逮捕され有罪となり、終身刑の判決を受けました。収容所で彼を待っていたのは重労働や思想改造などの壮絶な圧力。マンデラはそのような逆境にも、人種差別のない祖国再建の夢を捨てませんでした。

27年の投獄生活を経て釈放されたのは1990年。なんとマンデラが71歳のときでした。彼は耐え難い苦痛を与えた政府に対し報復活動は一切せず、非暴力革命の指導者として、和解の道を選択しました。憎しみをも乗り越え、自分の夢の実現に邁進したのです。

当時の大統領デクラークと協力し、全人種代表が参加した民主南アフリカ会議を2度開催。そして暫定政府、暫定憲法を作成しました。93年にはその功績を称えられノーベル平和賞を受賞。翌年には黒人として初めて、南アフリカ共和国大統領に就任する快挙を成し遂げました。

弱点と向き合い受け入れる

「永続的な成功をおさめている人は、自分の人生の目的に対する答えが、情熱的な愛情、あるいは苦痛のどちらか一方ではなく、 奇妙な調和を保って両方と向き合おうとする苦労の中に埋もれている、と気付いている」

成功者はその栄光が語られがちですが、その裏には多くの苦難を乗り越えたストーリーがあるものです。どうして苦痛に耐えられるのか。それは、彼らが自らの選択や決断によって人生を築いていると自覚し、自分の人生に責任を持って生きているから。

読書障害を乗り越え成功者となったシスコ・システムズCEOのジョン・チェンバースやヴァージン航空CEOのリチャード・ブランソンなどを例に挙げて、弱点と向き合い受け入れる苦痛の中から成功への道が開かれることを示しています。

日本人はとかく自分の弱点に蓋をし、見ないふりをしてしまうことが多く、弱点を受け入れることがうまいとは言えません。しかし、それを乗り越えたところに成功があるのなら、弱点を受け入れる価値はあるはずです。

「自分にとっての生きがいとは何か」

あなただったら何と答えるでしょうか。本書は「今それがある人は実にラッキー。それがない人も、生きがいを見つけられるまで果敢に挑戦を繰り返すことが幸運への早道なのだ」と読者に訴えかけているようです。生きがいを見つけるには、自分を見つめ、全てを受け入れること。この本は、自分の追求したい仕事や人生がどのようなものなのかを見つめ直す良い機会を与えてくれると思います。

私は、パブリック・リレーションズを通して少しでも「より良い社会を築く」という目標を掲げてこれまで生きてきました。35年のキャリアの中で他の職業選択のチャンスも多くありました。しかしどうしてもこの道に戻ってしまいます。

多様なクライアントと企業トップの意識を共有して問題解決を試みる過程は、まるで様々な役柄を演じる役者のようです。実務家として様々な角度から世の中をより良い方向に変えていけることへの可能性に、大きなと刺激と喜びを感じているからかもしれません。
今年の4月、弓削島に住む私の叔父が96歳の誕生日を迎える前に他界しました。入院する直前まで、一人で自炊し、自転車で島中を駆け巡り、日経新聞に目を通し、毎日日記を書くほど元気快活に生きていた叔父。

叔父は私が島に帰るといつも励ましの言葉をかけてくれました。そんな叔父の姿が見られないのはとても寂しいことでした。

どこまでも澄み渡る青い空の下、92歳の叔母と別れを惜しみ、今年も私の弓削島での夏が終わりました。

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