趣味

2007.09.15

私の心に残る本10 『息子よ、ありがとう』

息子よ、ありがとう

こんにちわ井之上喬です。
皆さんいかがお過ごしですか?

先日ある本を手にとってふと、『千の風になって』を思いだしました。その素晴らしい言葉は『息子よ、ありがとう』という鄭 根謨さんが書いた本にありました。その本は次のような言葉で始まっています。

「私が死んでも涙を流さないでください。ただ祈ってください。私にとって、死は天国の学校に入学するのですから。」

著者の鄭 根謨(チョン・クンモ)さんと出会ったのは2年前。私の所属するある会が毎年8月、東京で開く国際親善会でのことです。鄭さんはそのなかの日韓友好懇談会に明知大学(ソウル)の総長として出席していました。今年も鄭さんはこの会合参加のために来日しました。初日の歓迎夕食会で、鄭さんはご自身が書かれた本の日本語訳が出版されたことを紹介しました。直筆で書かれたその本の題名は、『息子よ、ありがとう』(2007 イーグレープ)。

天才の名をほしいままに

いつも穏やかな笑みをたたえる鄭さん。それまで大学で総長をしている鄭さんとしか理解していなかった私は、本を読むまで殆んど彼がどのような人なのか知りませんでした。

彼は母国韓国ではもちろん、世界的に著名な物理学者だったのです。本の前半は、彼の少年・青年時代が生き生きと描かれています。
1939年ソウル市に生まれた鄭さんは幼少の頃から神童とよばれ、中学、高校ともに首席で入学。高校を飛び級でわずか4カ月で終え、首席でパスした検定試験のあと、ソウル大学物理学科に次席で合格。同大学院の修士課程を修了後、60年には当時の李承晩大統領の肝いりで国家代表留学生として国費でミシガン州立大学に留学。入学資格試験で最高点をとり修士課程を経ずに直ちに博士課程。半年で終了し、62年に同大学で理学工学博士号を取得。博論のテーマは『分子構造を量子力学で解くことに関する研究』で、この論文は10年後の70年代の宇宙探索時代の「地球以外の惑星に水は存在したか」という問いに対する理論的ベースを提供するもとになったといいます。

その後24才の若さでフロリダ大学の助教授に就任。あまりの若さに地元メディアが「少年教授がフロリダで誕生」と一斉に報道。しかし研究への情熱が強かった鄭博士はその後、プリンストン大学やMITで核融合の研究に没頭します。67年ニューヨーク工科大学で准教授に迎えられ、核融合研究所を創設し責任者になります(後に教授となる)。

やがて鄭さんは、韓国の科学技術強化のための韓国科学院(理工系大学院)設立構想を実現させるために10年振りに帰国。71年、同科学院開設に伴い若干31才で副院長に就任。その後同国で当時最年少の大臣、科学技術庁長官に就任します。93年には高等技術研究員を創設するなど、韓国の科学技術の発展の基盤を築きました。

また国際舞台では、89年にIAEA(国際原子力機関)の総会議長に選出され、世界の科学技術担当の責任者を一同に集めた世界科学技術長官懇談会を開催。現在も大学総長の傍ら、韓国科学技術アカデミー委員長や世界原子力アカデミー会員などの要職につき、物理学の第一人者として国際的に活躍しています。

自分の腎臓を愛する息子へ

「ある日、神は生きることに疲れはてた私の肩を軽く叩きながら言われた。『愛する子よ。小さな十字架を背負って行くお前の息子に感謝しなさい』」

数々の輝かしい経歴を持つ鄭根謨さん。順風満帆に見える彼の人生にも、様々な試練や困難が降りかかりました。小学6年生の時に母が他界。大学生のときには父を失うという悲劇に見舞われました。

しかし一番の苦難は、74年に慢性腎臓炎が判明した息子鎮厚くんとのことでした。難病のために80年にはご自身の左腎臓を息子に分け与えます。鎮厚くんは、父から移植された腎臓で一時的に健康を回復するものの、長い闘病生活を経て01年に36才でこの世を去ります。この本の後半はその四半世紀にわたる息子の闘病を通して、家族一人ひとりが苦難を乗り越え、成長していく姿が綴られています。

鄭さん一家は、クリスチャン家族です。家族一人ひとりが困難を神様からの恵みとして感謝し、試練を乗り越えるたびに神様への信仰を強めていきました。そのような経験を持つ鄭根謨さんは息子さんの死に向き合い、「鎮厚の死は『悲しみ』ではなく『恵み』何度と感じる瞬間だった。」と語っています。

この本のクライマックスは、父親である鄭さんが息子鎮厚くんの危篤の知らせを受け、ワシントンの病院に向かう飛行機の中で書かれた手紙です。息子の幼いときの話、不治の病にかかった息子とのやりとり、息子の結婚、信仰について…。家族のなかで起こったさまざまなことに思いを馳せながら書かれた鄭さんのことばと思いは私達を圧倒します。

「私が死んでも涙を流さないでください。ただ祈ってください。私にとって、死は天国の学校に入学するのですから。」息子の鎮厚くんは深い眠りにつきます。

息子鎮厚くんの葬儀にこんなシーンがあります。ワシントンでの葬儀に駆けつけてくれた彼の二人の親しい友人のことです。鄭さんは、この二人のアメリカ人の鄭さんへのお悔やみのことばの中で、二人とも同じように息子を不治の病で亡くしていたことを知ります。

この本を読み終わって、その題名「息子よ、ありがとう」は、息子の病と死をとおして、神をより深く知るようになった鄭さんの、ご子息への深い感謝のメッセージなのだと気づかされました。

いつも穏やかで謙遜に振る舞う鄭さんからは不思議なほど、このような体験をした悲壮感は感じられません。鄭根謨さんは何度も襲い来る試練を信仰というバックボーンを持つことで乗り越えてきました。彼の生き様は私達に、自分を委ねることができるバックボーンを持つことの意味を教えています。

254ページの本ですが、とても読みやすく編集され一気に読むことができます。皆さん是非一度手にしてみてはいかがでしょうか。

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