趣味
2007.05.26
私の心に残る本 その6橋本明の『美智子さまの恋文』
天皇陛下にあてて皇后さまがお書きになったとされる2通の手紙。この手紙を通して皇城の時の移ろいが記された著書『美智子さまの恋文』。昭和の世紀から平成にかけた皇室の変貌を、民間初の皇妃となった女性の心中を軸に描かれ、天皇のご学友が見た宮中裏面史ともいうべき内容です。
著者は、共同通信社記者として活躍し、学習院初等科から今上天皇のクラスメートとして交遊を深め、現在も親しい関係にある橋本明さん。2007年3月20日の発売から1か月少しで第5版を数えるなどベストセラー本になっています。今回のこのシリーズでは、私の友人でもある橋本明さんの『美智子さまの恋文』(新潮社)をお届けします。
手紙を通して描かれる決意と懊悩
皇后美智子さまがご成婚前と、皇太子さまをご懐妊中に天皇陛下に出された2通の手紙。これらの手紙の公開は今回が初めて。ここには皇后陛下の静かで深い決意と揺れるお気持ちが、みずみずしいまで美しい日本語で語られています。
橋本明さんは、1940年に学習院初等科入学から1956年、学習院大学政経学部政治学科を卒業するまでご学友として天皇陛下と共に長い時間を過しました。橋本龍太郎さんは、父方の従弟でした。大学卒業後は共同通信社に入社し、ジュネーブ支局長、国際局次長を歴任。現在は、企業の顧問などを務めながらフリージャーナリストとして著書出版・講演活動を行っています。
収録された手紙の一つは、皇后さまがご成婚前の59年3月ごろに書かれたもの。 初めて民間から皇室に入る皇后さまの静かで固い決意が滲む一方、「殿下のお望みに沿いつつ、皇室の中に波紋をたてぬために、私はどうしたら良いのでございましょう」や「“伝統と進歩”というむずかしい課題の前で、いつも私は引き止められ立ち止まって考えてしまいます」とそのひたむきさと懊悩が伝わってきます。
もう1通は、皇太子殿下をご懐妊中の60年1月に書かれた手紙。「私はさしあたって赤ちゃんのことが心がかりでなりません。 手元で育てさせていただくとすれば、それはもう皇后さまのお時代と違う形をとることになってしまいますし…」と出産前の揺れるお気持ちを吐露される一方、「私自身は、心のどこかで、犠牲という言葉は、むしろある意味において幸福につながるニュアンスを持つのではないかと考えてまいりました」と深い省察が綴られています。
この手紙が明らかにされた背景
この手紙を写した文書(200字詰め原稿用紙62枚)を橋本さんが入手したのは73年のこと。 女性週刊誌に「皇城の人びと」を連載していた作家の北條誠さんが、天皇陛下のご学友でジャーナリストの橋本さんに、本人所有の「美智子さまの手紙」と称する文書の写しを委ねたのがきっかけ。
北条さんは橋本さんに、この手紙の写しは、本物であるか確認できません。将来この写しが本物であるかどうかはあなたにしか証明できないでしょう。どうぞ活用してください、と手紙の写しを橋本さんに託したようです。
その後この手紙は、30年以上も橋本さんの自宅の箪笥にしまわれていました。今回橋本さんは「美智子さまの手紙」を現在の皇室の原点がうかがえる文書として世の中に出す必要性を感じ、手紙公開に踏み切ったといいます。その確認には3ヶ月を要したようです。最終的に御所から、これこそ本物と返事があり出版が実現したのです。
橋本さんが強い思いで取り組んだこの本からは、天皇陛下とご学友でなければ知りえない皇城の中の様子が垣間見られると共に、橋本さんの天皇家に対する深い畏敬の念が感じられます。そして皇室事情に明るい橋本さんが、2通の手紙をもとに戦後の昭和から平成にかけての天皇家の歴史、日本の時代の移り変わりを物語っています。
私が橋本さんと初めてお会いしたのは、ジャパン・バッシングが激しかった80年代後半。私が日本パブリックリレーションズ協会の国際委員長をつとめていた頃のことです。橋本さんも同じ委員会の仲間で、一緒にお仕事をさせて頂きました。以来公私にわたりお付き合いさせていただいています。
橋本さんは多感で多彩な人。何事にも愛でる気持ちを大切にしています。音楽や文化交流にも積極的で、東京室内合唱団団長をつとめたり、私も理事をしている北東亜細亜研究院の理事長(ソウル)。そして日韓談話室の代表世話人など、その活動は多方面にわたっています。
このブログのために、橋本さんは執筆にあたっての自分の熱い思いを語ってくれました。
「戦後の皇室史は日本の近代史そのもので重要な部分。いまの天皇が戦後どのようにたどってきたのか、空白の近代史を読者に伝えたかった」。また、次の時代を担う後輩ジャーナリストに対しては「皇室を理解するための手引書として読んでもらいたい」。最後に橋本さんは、「結婚という最大の出来事を通して、現在の皇太子ご夫妻に問いかけをしたかった」と語りました。
ジャーナリストとしての鋭い視点と自由奔放に生きてきた橋本さんらしい率直な語り口と趣ある豊かな日本語。橋本さんの美しく伝統的で切れ味のいい文章は十分満喫できるものでした。