皆さんこんにちは、井之上 喬です。
3月11日に起きた東日本大震災はきょうで10日を迎えます。 震災後の被災状況が時間の経過とともに判明し、その被害の甚大さに改めて驚かされます。
頻発する余震、被災地における水、食糧、油などのライフライン機能の停止や福島第1原子力発電所の爆発事故をはじめ原油高騰、東証暴落、急激な円高、そして計画停電など被災地だけでなく日本全土を不安と混乱に巻き込んでいます。
明るいニュースは、原発への放水や電源復旧作業が自衛隊、東京消防庁、警視庁、電力会社などの方々による生命を賭した作業で少しずつ解決の方向へ向かっていることです。日本の将来はまさにこれらの方々にかかっています。
東日本大震災については、昼夜をわかずテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、そしてネットニュースやツイッターなどさまざまなメディアから大量の情報が流れ、外国メディアからも大きな関心がもたれています。
こうした情報の渦の中で、情報の精度や解釈の差、またそれぞれのメディアのスタンスの違いを強く感じることがあります。
メディア報道の違い
例えば同じ事象に対してTVや全国新聞はそれぞれの媒体によって、また解説者やゲストの識者、専門家によって意見の異なりはあるものの押しなべて同じような論調ですが、新聞でも全国紙と夕刊紙では論調が大きく異なります。
日刊ゲンダイ(3月18日付)では、今回の震災における政府や電力会社の対応が不十分だとして、ある全国紙社会部記者の次のようなコメントを掲載しています。
「(前略)水蒸気爆発や再臨海、放射能漏れの可能性など多々あるはず。そろって『安心、安全』という姿勢は、まるで東電の広報マンです」としています。また全国紙が原発事故を正しく報道していないと批判しています。広告主の影響を受けづらいことも、夕刊紙がはっきり主張する背景にあるのでしょうか。
クライシス状態の場合に、事実を知らせることで結果的にパニックを煽るのか、或いは事実をおさえることでパニックが起きないようにするのか、その対応は簡単ではありません。
また視点の異なる外国メディアのとり上げ方は国内メディアとは違ってきますが、今回の報道ではその違いをはっきりわからせてくれました。それは福島発電所の事故評価についてです。
経済産業省原子力安全・保安院は、3月18日夕方の記者会見で、福島第1原子力発電所の事故が国際原子力事象評価尺度(INES:International Nuclear Event Scale)でレベル5、つまり「所外へのリスクを伴う事故」に相当する、という暫定評価を発表しました。それまでのレベル4を5に引き上げたわけですが、日本のメディアはこれを報道。
INESとは、原子力発電所の事故・故障の事象報告の標準化を行うため、国際原子力機関 (IAEA) と経済協力開発機構原子力機関 (OECD/NEA) が策定した尺度で、レベル0から7まで8段階。
ちなみに最も深刻なケースがレベル7で、史上最悪の原発事故、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(1986年)はレベル7とされています。レベル5は、原子炉が炉心溶融を起こし周辺に放射性物質が放出された米スリーマイルアイランド原発事故(1979年)と同レベル。
これに対し、原子力安全・保安院の発表に先立つ15日(現地時間)、BBCニュースは米国のシンクタンク、科学国際安全保障研究所(ISIS)が福島第1原発の事故について、前述のINESで深刻な状態である「レベル6に近づきつつあり、場合によってはレベル7に達する可能性がある」ことを報じ、保安院発表以前の仏原子力安全局発表数字とISIS発表の数字がほぼ同じであることを報じています。
これらのニュースにより、ニューヨークタイムスやワシントンポスト、ファイナンシャルタイムなど欧米のメディアがこの高い数字を一斉にとり上げることになります。
メディアによっては「放射能が福島から約7日間で米国にもとどくはず」と報道するネット・メディアもあらわれるなど全体的に原発事故に対して悲観的で厳しい報道がみられます。
楽観論と悲観論
今回の政府の対策は一本化されておらず後手後手に回っている感があります。その理由として、指揮系統と情報が一元化されていないことが考えられますが、官邸からの発表を見ている限り「出来るだけ国民を心配させないように」との思いが強く伝わってきます。
保安院は18日夕方の記者会見で、福島第1原子力発電所の事故にともない政府が設定した半径30キロメートルの退避圏について「現在の屋内退避は政府としてリスクを考え余裕をみて設定している。」との楽観的な見解を示していました。
一方、ISISなど外国機関の発表により事態を深刻に受け止めた各国在日大使館は、在日自国民に対し、その保護のために被災地からの帰国支援や一時的な出国を検討するよう促しています。
その結果、半径80キロの外へ出るよう避難勧告する外国政府と、半径30キロメートルの退避圏で問題ないとする日本政府との対応の違いが浮き彫りにされています。
外国人にとっては、生活環境や言葉の問題などもあり、慎重にならざるをえないことについては、理解できるものの、この違いはどこからきているのか気になるところです。
前回の私のブログでも紹介したように、気象庁は東日本大地震の規模を災害発生時のマグニチュード8.8から最終的に9.0へと修正しましたが、日本がM8.8の発表をしていた時に、CNNはM8.9を主張し、「この数字はまだ上がるはず」と気象庁とは異なる独自の情報収集による発表を行っていました。
こうした外国メディアの確かな実態の捉え方の実例もあり、日本が行った「INESでの評価は、いくら暫定的なものであっても本当にレベル5なのだろうか?」という疑問がわいてきます。
これらの日本側の一連の言動は、当事者である政府、東電、関係機関そしてメディアをも巻き込んで、国民に心配させることなくまたパニックに陥れることなく配慮しているようにもみえます。しかしもしそうであれば答えは「NO」です。
インターネット時代を生きる現代においては、事実を明らかにし、将来起こりうる危機に備えることが重要となり、国民への情報開示と説明責任が求められます。
さもないとネット上であらゆる流言飛語が飛び交い、不確実な情報によって社会を混乱に陥れることになるからです。その意味において、楽観的な記事も悲観的な記事も共通すべきものは、正確な情報の開示であり透明性ということになります。
日本メディアも外国メディアも同じように扱ったのが、16日の天皇陛下による初の日本国民へのビデオ映像メッセージ。このメッセージは全世界に流れ、米国でも、ウオールストリートジャーナルやNYタイムズ、CBSニュースなどが紹介し多くの日系人を勇気づけたようです。
またAFP通信は15日、米ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授のコメントとして、今回の地震が日本の「ソフトパワー」にとって良い方向に働くと指摘していることを紹介。
その中で、計り知れない悲劇の中で日本が持つ極めて魅力的な面が、この悲しい出来事を通して明らかになり、それが日本のソフトパワーを促進するとしています。
続けて同教授は、このような災害に対して日本が「冷静に秩序正しく反応し、近代国家にふさわしい安定した、礼儀正しい社会であることを示している」と語っています。
今回の件で、TVニュースなどを通して海外の多くの友人やビジネス・パートナーから安否確認や励ましのためのメールをいただいています。
その中で、必ず書かれていることは、このような大災害のなかでも、お互いを信頼し、相手を思いやる日本人の誠実さとその精神に感動したと記されていることです。
日本人の忍耐強さや互いを思いやる精神などは長い間、この島の中で仲間と共に生き抜いてきた日本人の持つDNAなのかもしれません。
このような苦難の中でパブリック・リレーションズ(PR)の専門家にできることは山ほどあります。これからの日本をどのように作り上げていくのか、さまざまな人たちと共に考え行動することです。
日本はこれから、歴史上類を見ない先進国日本で起こった大災害の経験を世界に語り続けていかなければなりません。それが、この災害で亡くなっていった人たちに対する私たちの責任だからです。