時事問題
2010.08.16
終戦記念日に思う 〜戦争には終わりはない
こんにちは、井之上 喬です。
私は毎年夏のこの時期に、亡き母のふるさと愛媛県弓削島を訪ねます。真っ青な空に、光り輝く太陽、エメラルド色の海。そんな弓削島で今年も8月15日の終戦記念日を迎えています。
米軍による、日本全土を襲った大空襲や広島・長崎の原爆、そして圧倒的な敵の物量の前になすすべもない日本軍。敗走する日本軍が降伏のチャンスを見誤る中、「生きて、虜囚の辱めを受けるな」とする過酷な戦陣訓は、丸腰状態の「万歳攻撃」により多くの若者の命を奪いました。
遅すぎる国家賠償
戦後65年経ったいま、新たに民間人被害者による国家賠償請求の動きが出てきています。
8月15日付けの朝日新聞は、大戦末期の空襲の被害者(本人および遺族)で構成された、初の全国組織である「全国空襲被害者連絡協議会」(全空襲連)が14日に結成されたことを報じています。
同紙はまた、これまで、旧軍人・軍属とその遺族には国家補償理念に基づいて総額約50兆円の恩給や年金が支給されてきたが、民間人の空襲被害者については、これまでの訴訟などで戦争で受けた損害を国民は等しく受忍しなければならないと援護措置が講じられるべきことを論じています。
そして同紙は、世界大戦で同じように被害を受けた欧州各国が被害者保障制度を整備していることにもふれ、被害を我慢させる、差別的な日本の戦後保障政策は真の民主主義国家とはいえないとしています。
しかしこれら戦争犠牲者に対する賠償は、完全に賠償し得るものではありません。
憎しみの連鎖
戦争によるあらゆる犠牲者に終戦はあるのでしょうか?
南方のジャングルで凄惨な体験をし、シベリアの強制収用所から生還した兵士。また、太平洋戦争に巻き込まれ、2000万人が犠牲になったといわれるアジアの国々の人たち。この人たちの心の傷は癒えているのでしょうか?
そして、戦争の悲惨さを終戦記念日のたびに見聞きする私たちにも終戦があるのでしょうか?戦争は、誰もが傷つく非人間的な行為。
戦争体験が、風化しないように、メディアは毎年さまざまな報道をしています。私たちすべての日本人には、戦争の、そして原爆の悲惨さを後世に伝え、2度とおろかな失敗を繰り返さないために「戦争」と戦い、いかなる「戦争」をも排除しなければなりません。
パブリック・リレーションズ(PR)の実務家として、この問題が過去の日本の問題としてだけではなく、現在の世界が抱える問題や社会の問題、組織体の問題、そして個人の問題として捉えていくべきだと強く感じています。
日本が真のコミュニケーションを通して、自らの意思や望みを相手に伝え、互いに修正し合い、相互理解により成熟した国家になることを希望してやみません。また、そう実現できることを信じたいと思います。