時事問題
2007.07.27
29日は参院選、まずは投票所へ行きましょう
2007年7月29日は参議院選挙の投票日。今回は12年に1度の「亥年(いどし)選挙」。参院選と地方統一選挙が同じ年に実施されます。7月22日現在での期日前投票は約400万票で、前回比53.58%増と出足は好調な様子。このまま推移すれば1000万票に届くのではとの見方もでています。投票率が下回れば、組織票が有利に働くといわれる選挙戦。今回の参院選で、日本の政治に変化を求めるには55%以上の投票率が必要といわれています。
投票はより良い国づくりへの国民の責務
憲法学的にみれば、投票という行為は参政権の行使の一形態。 参政権は国民として国政に参加することが認められる権利です。
古代ギリシャでプラトンは、人間には理想国家を構築する力があるとし、また少なくともより良い国家を構築することができると示しています。
現代に解釈すれば、私たち(国民=有権者)は、投票行為を通して国民の代表を国政に送り、有権者はより良い社会の実現のために行動しなければならないのです。 私たちは、国政をつかさどる代表者を選出する選挙において、投票することでより良い国づくりへの責任と義務を負っているのです。つまり、投票することは国民としての責務。投票しないことは、社会の一員としての自らの責務を放棄することを意味します。
福田赳夫元首相(総理在職期間:1976‐78)は、日本国民のガバナビリィティ(被統治能力)の低さを嘆き、「政治家を生んでいるのは国民であり、政治のレベルは国民のレベルを投影している」といった主旨のことばを残しています。質の高い政治を確保するには国民の高い関心が不可欠。その関心度が端的に現れる数字が投票率です。
2005年に行われたドイツ連邦議会選挙における投票率は77.7%。今年6月のフランス国民議会(下院)選挙の投票率は約60%、今年4月に行われた大統領選挙の決選投票に至っては投票率85%以上を記録。このように成熟した国家では選挙民の意識の高さが見て取れます。
しかし日本における参院選での投票率は、過去10年間60%を超えたことはなく、低調なのが現状。国民の政治的無関心さを露呈しています。
1票の重み、発言力を行使する
日本の政治状況をみると、不祥事が相次いで発覚。国民は政治に対して嫌悪感や無力感を抱いています。これらは最近の選挙における投票率低下の原因となっています。この結果、投票しないことで国民を顧みない政治家を議会に送る結果を生み出しているのも事実。
投票行動をとらない場合、私達はその結果に対しても責任を持たなければなりません。現行の政治に不満や要求があるならば、まずは投票に行くこと。自ら行動を起こすことが大切なのです。
たとえ理想の候補者がいない場合でも、次善の策をとり投票すること。ここで諦めてしまっては、そのつけは将来必ず自分自身そして子孫の生活に跳ね返ってきます。
また「1票では、何も変えられない」と考えるのも誤り。100万人の有権者のうち30万人の人が何かを変えようと投票行動をとれば、それは想像を超える大きな力となりうるのです。そのときは単なる100万票分の1票ではないということです。
これまでメディアは、国民が「政治」を自律的に理解し、判断できる材料を情報発信する立場にありながら、これまで投票を喚起するような報道を積極的に展開してきませんでした。しかし今回の選挙では、メディアも読者・視聴者に投票に行くよう積極的に呼びかけています。国民の政治への関心と参加性を高めるため、より深みのあるパブック・リレーションズの手法の導入が求められているといえます。
バブル経済崩壊後の10数年、民間ではコスト削減やリストラなど血のにじむような努力が重ねられて経営の効率化が図られてきました。しかし政界や公的機関の分野ではその努力が適切に払われているとはいい難い状況です。現在日本の債務残高は1000兆円を超えています。この国を未来につなぐために、何か行動を起こさなければなりません。
イギリスの思想家エドマンド・バークは、「変革の手段を持たない国家は、自己保存の手段も持たない」といっています。日本政治の変革の第一歩として、国民が市民としての責務を果たす。つまり、国民の一人ひとりが参政権という責務を自覚し、投票に行くことから始めるべきではないでしょうか。
投票日は7月29日。期日前投票(不在者投票)も以前に比べれば非常に簡易となりました。皆さん、投票所に足を運び、日本の未来のために一票を投じましょう。