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2006.08.18
瀬戸内海のまんなかに浮かぶ癒しの空間 弓削島
瀬戸内海のほぼ中央に浮かぶ弓削島。弓削島は幼少時代に毎夏滞在し、心と体の基礎を築いてくれた私のふるさとです。今年もお盆休みを利用して、母が生れ育ったこの島に住む95才と91才の叔父・叔母に会うために訪れました。島から見る瀬戸内海は、夏霞に太陽をいっぱい浴びて幻想的に輝いていました。この癒し空間で4日間、つかの間の休暇を楽しみました。
松原海岸が日本の海水浴場の100選に
環境庁が今年初めて選定した日本の快適な「快水浴場百選」に、弓削島の松原海岸が愛媛県で唯一選ばれました。美しさはもちろんのこと安全性や環境への配慮が高く評価されての受賞。またNHKがその100箇所をくまなく歩き、最終的に3箇所の特色のある海水浴場を選びました。なんと松原海岸はその一つに入っているのです。
そして先日NHKで、弓削島の地元ボランティアにより行われている環境保全プロジェクトが紹介されました。「NPOゆげ夢ランドの会(代表:村瀬忍さん)」が3年ほど前から行っているEM菌(有用微生物群)を使った水質浄化プロジェクトです。島内の8箇所の砂浜にEM菌を使った土団子(テニスボール大)を投げ入れるもので、そのおかげもあってか島の水には透明感が戻ってきました。嬉しいことに、海岸にはいつもよりタコが採れるようになったり、10数年ぶりにカニが戻ってきたようです。
瀬戸内海は、年間平均気温が15度から16度と温暖でマイルドな気候に恵まれています。
海の波もおだやかで海水浴に最適の海岸が他にもたくさんあります。そして瀬戸内の島々の美しさは「魂にふれる」という言葉がぴったりくる、人の心を癒す神秘的なところにあります。
瀬戸内の歴史と文化が身近に
この豊かな自然のほかに、弓削島の周辺にはさまざまな史跡や瀬戸内文化を醸成したゆかりの場所があります。北の対岸に浮かぶ因島(広島県)は、室町時代から戦国時代に隆盛を誇った村上水軍の本拠地があった島で、1983年には因島水軍城が再建されました。そこには資料館が併設され、彼らの活躍の歴史を学ぶことができます。
その西隣の生口(いくち)島(広島県瀬戸田町)には、高来寺や地元瀬戸田出身の画家である平山郁夫の美術館があります。その洗練されたデザインの美術館では、「私の原点は瀬戸内の風土である」と語っている画伯の繊細で感性あふれる絵を存分に楽しむことができます。
さらに生口島の西隣にある大三島(愛媛県)には、推古天皇により摂津(現在の大阪府)から同地に移された(594年)大山祗(おおやまづみ)神社があります。「山の神」「海の神」「戦いの神」として朝廷や武将から崇められていたこの神社には、平安初期の日本最古の鎧や源頼朝、源義経(鎧もある)が使っていた名刀を初め日本の国宝・重要文化財の約6割を占める刀剣類や鎧が納められています。ちなみに、ここでご紹介した島々は弓削島を除いて、尾道市と今治市を10の橋で結ぶ自動車道「しまなみ海道」沿いにあります。
瀬戸内文化が生んだ多彩な歴史と美しい自然をもつ島々。しかし、これらの島にも過疎化や高齢化など、日本の地方が直面する問題を抱えています。私は、地元の歴史・文化に根ざした街づくりと、インターネットのインフラ整備によるIT企業、とりわけソフト企業の誘致に同時並行で取り組めば、瀬戸内の豊かな自然を維持しながらの経済的な繁栄の実現も可能であると、つい考えてしまいます。
ひょっとしたら、日本を代表する一大癒し空間になるのではないかと思ってしまうほど瀬戸内の島々には不思議な魅力があるのです。
今年も叔父・叔母そして従姉弟や、彼らの子供たちと共に釣りや会話を楽しみ、幼少のころと変わらない海草の香りのする潮風をたくさん受けて、心と体を癒しました。
東京に帰る日、叔父と叔母には来年また戻ってくることを約束しました。目に泪を浮かべ、船上の私の姿が見えなくなるまで、桟橋から両手を力いっぱい振って見送ってくれた叔母の姿が私の目に焼きついています。