生い立ち

2005.08.22

少年時代を豊かにはぐくんでくれた、弓削島。

毎年夏になると訪れる島があります。名前は「弓削(ゆげ)島」。美しい瀬戸内海に浮かぶこの島は、面積にして8,95km2、島を一周しても18kmという、人口4000人足らずの小さくてかわいらしい島です。

島に近づいていくと、小さな山が見えます。石灰石がむき出しになって、白いおにぎり状を山頂にかたどっている「石山」は弓削島のトレードマーク。その山からは、ふりそそぐ太陽の光で輝き映える小島が点在する、美しい瀬戸内海を眺望することができます。

多くの人にはふる里があります。私にとってのふる里は弓削島です。尾道駅で下りて、高速船で50分、広島県因島(市)の向かい側にある愛媛県の弓削島は、昨年96歳で他界した母の生まれた島で、今でも94歳と90歳の母のきょうだい(弟、妹)が健在です。二人とも90歳を過ぎていますが頭脳明晰で気丈なところは昔とあまり変わりません。今年は、お盆休みに訪れ、従弟や親戚の子供たちと小船で釣りをしたり、浜辺で泳いだり、童心に帰ったような気持ちで弓削島での3日間を過ごしました。

弓削島は奈良時代の女帝、孝謙天皇の寵愛を受けたといわれる「弓削道教」ゆかりの地として知られ、中世には、村上水軍や、三島水軍などが瀬戸内海を拠点に活躍していたことから、島の人たちは海賊の血を引くともいわれています。鎌倉時代には塩の産地として、近代には石山から切り出される石炭石で栄え、それらの生産物を運ぶための海運技術が発達しました。そのため、島の中心に商船学校(国立弓削商船高等専門学校)があり、昔から多くの船乗りをはぐくんできました。

瀬戸内海に浮かぶ小さな島なのですが、外洋船の船長や機関士など世界中をまわる人たちが多く住んでいたこともあり、常に意識は世界に向いていました。教育にも力を入れていてレベルも高く、とてもユニークな島です。

小さいころ、毎年夏休みになると、母親の実家があるこの弓削島で、叔父や叔母のお世話になりながら、兄弟とともに瀬戸内海の夏を思う存分楽しみました。戻るといつも寝泊りする叔母の家は庭続きに海があり、縁石から飛び込んだり、その深い海を器用に泳ぎまわったり、よってくる魚を銛でついたりして、豊かな自然の中で心ゆくまで遊びました。夜には絵描きをしていた伯父さんが、船ですき焼きパーティを開いてくれたり、尾道の風物詩だった海上の打ち上げ花火を船上から夜が更けるまで鑑賞したり、まだ貧しかった時代でしたが、この島からは楽しい思い出をたくさんもらいました。

毎夏、瀬戸内海で泳ぐことを楽しみにしていた私は、小さいころから泳ぐことが大好きでした。高校時代、水泳部に所属していた頃に記録が順調に伸びたのも、夏休みに流れの強い海で、遊びながら自然に鍛えられたことが大きかったかもしれません。

広島県、岡山県、愛媛県、徳島県などの瀬戸内海沿岸に広がる瀬戸内文化圏は、海に囲まれ、温暖な気候の下に育まれた地域で、そこに住む人々は平和的で、暖かく、朗らかな中にも芯を貫く強さがあります。
現在、井之上パブリック リレーションズの特別顧問として一緒に仕事をしている福田清介(元電通PR常務)さんとは20年以上前に国際PR協会 (IPRA)の活動を通して知り合いました。彼の出身が、弓削島から2つほど隣の生口(いくち)島(広島県瀬戸田町)だということで意気投合したのも、瀬戸内文化圏の気質を互いに共有していたからかもしれません。

パブリック・リレーションズの仕事は、インター・メディエイター(媒介者)としての役割を果たし、WIN-WINの形を実現していく仕事です。幼少のときに培われた開放的でポジティブな気質はこの仕事に大きくプラスに働いていると思います。
弓削は1999年5月に開通した、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」から逸れたために、一見不便に見えますが、島には癒しの空間とすばらしい昔ながらの風情が残っています。

近頃、この島でも高齢化が進み、活気のある若者の数が減ってきているのが残念です。また、汚れた海をきれいにし、島の中央部にある松原海岸や、あちこちにあるプライベート・ビーチのような海辺に白砂をいれて開発すれば、自然を生かしたリゾートとして生まれ変わるのではないかとつい考えてしまいます。瀬戸内の美しさは、言葉ではいい表すことのできないものがあり、夏のイメージを持った弓削島をもっと多くの人に知ってもらえたらといつも思っています。

東京に帰る最後の朝、叔母に「来年もまた来るから」といって肩を寄せ合うと、年を取った叔母は、これが最後の別れになるのではと、目に涙をいっぱいに浮かべ私にしがみついてきました。少年時代に心と体を豊かに育んでくれた叔父、叔母と弓削島に感謝して、この人たちが生きている限り、思い出いっぱいの弓削島に毎年かえってきたいと思っています。

尾道行きの船に乗り、船が桟橋から離れ、島から遠ざかって見えなくなるまで手を振って別れを惜しみました。叔父さん叔母さん来年もまた戻ってきます。

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