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2008年07月12日

洞爺湖G8サミットに学ぶもの
 ~クリーン・エネルギーを今すぐ

こんにちは井之上喬です。
皆さんいかがお過ごしですか?

7月7日から3日間にわたって開催された、「北海道洞爺湖G8サミット」が閉幕しました。主要8カ国(G8)に、新興国などあわせた過去最多の22カ国の首脳が集まったサミットは、世界で頻発する異常気象や食料危機を受けた地球・環境サミットとなりました。G8の枠組みが、この様な地球規模の課題に十分に対応できるのかが問われたサミットでもあったといえます。

あぶりだされたのは先進国と途上国との間のギャップ。最終日の9日、G8に中国、インド、ブラジルなど新興国8カ国を加えた主要排出国会議(MEM)では、G8が掲げた「50年まで温室効果ガス排出量を半減」とする長期目標に賛同した国は、韓国、オーストラリア、インドネシアの3カ国。その他の新興国の多くの反応は、「現在の温暖化をもたらしたのは先進国」とこの提案を受け入れず、先進国の「過去責任」と自らの「成長する権利」を重ねて強調しました。

■脱石油と代替エネルギー、
地球温暖化の元凶は石油エネルギーに代表される化石燃料(石油、石炭、天然ガスなど)。石油価格の高騰と異常気象による食糧危機は、石油資源や外貨の乏しい、アフリカ、アジアの途上国へ計り知れない打撃を与えています。危機的状態は途上国に限らず、先進国にも、急激なコスト高によるインフレ不況が蔓延する恐れもはらんでいます。

人類がエネルギーを初めて利用するようになったのは、50万年前の「火」の発見に始まります。1万年前には農耕、牧畜による「牛馬」の利用、さらには「風力や水力」などの自然エネルギーが活用されます。16世紀には「石炭」が登場。やがて19世紀中ごろ、米国で石油採掘技術の開発による「石油」の大量生産が開始。1950年代、中東やアフリカでの相次ぐ大油田の発見とともに、エネルギーの主役は石炭から石油へと変わりました。大量生産による安価な石油はエネルギー革命をもたらし、あらゆる動力源となっていきます。

1970年代の2度にわたる石油ショックは、世界中にエネルギー不安をもたらし、当時石油依存度70%超の日本も、単一エネルギーである石油への依存を減らすために原子力や天然ガスなどの代替エネルギーの導入を始めます。最近では、太陽光エネルギー、風力エネルギー、エタノールに代表されるバイオ燃料などの利用も進んでいるものの、政策不在で民間ベースの開発スピードは決して速くないのが現状です。

一方、世界の人口増加はエネルギー問題にも深刻な問題を投げかけています。1830年の10億人から、1930年は倍の20億人。1980年には44億人、2003年には62億人。そして、今世紀半ばの世界人口は90億人以上に達すると予測されています。将来途上国が発展し、1人当たりのエネルギー消費量が先進国と並ぶようになったとき、世界のエネルギー消費量がどのくらいになるのか、考えるだけでも気が遠くなります。

現在、大気中への二酸化炭素(CO2)の放出は自然が吸収する量の2倍を超えているといわれています。化石燃料を燃やし続けた「つけ」は、北極海の氷の消滅や氷河崩落など、生態系にも深刻な影響を与え、石油・石炭に代わる代替エネルギーの開発はまさに、国際社会共通の喫急の課題となっているのです。

■日本にとって千載一隅のチャンス
現在日本の石油依存度は、前述の70%超から、46.5%(ちなみに石炭21.1、天然ガス14.9、原子力11.8、水力3.0、地熱0.1、新エネルギー等2.6各%:いずれもエネ庁2005年度速報値)とその比率を落としているものの、石油価格の上昇は投機の対象ともなりOPECのコントロールさえ不能にしかねない状況にあります。

1998 年末から1999 年初にかけて1バレル、10 ドルを割り込んでいた原油価格は、10年後の現在、1バレル150ドルにせまっています。世界中の投機資金は流入を続け、将来1バレル200ドルまで上昇するとさえいわれています。

石油価格高騰により、従来コスト高だったクリーンな代替エネルギー開発を加速させることができます。日本には、代替エネルギー開発では世界の最先端をいく技術があります。

まさに日本にとって千載一隅のチャンスがあるといえます。このチャンスを生かし、周到な戦略構築を行い、持てるリソースを統合的に投入することによって、将来とてつもない新エネルギー大国になることも夢ではありません。戦後日本の奇跡的な発展は、国民の意思が一丸となって一つの目的に向かって突き進んだからです。

これまで日本は数々の逆境を克服してきました。日本の公害技術や省エネ技術は世界一。GDP1人当たりの1次エネルギー供給におけるエネルギー効率は、日本を1.0とするとドイツは2.41、米国2.08、英国、フランスそれぞれ1.43、1.36とその省エネ率は極めて高い水準にあります(資源エネルギー庁エネルギー白書2006版)。

埋蔵資源に頼ることのない、クリーンな再生可能なエネルギーは最終的には太陽光、風力、バイオマス、水素エネルギーと絞り込まれてきます。多くの科学者は、この中でも将来最も有望なのが水素エネルギーだと考えています。

水素は水から電気分解して抽出する方法と、ガス(天然ガス、プロパンガスなど)からつくり出す方法があります。いずれもその生産において技術的には解決されているようです。酸素と化学反応してエネルギーを発生させる水素。私の関心は水素エネルギーの開発・実用化です。無尽蔵な海水から得る製法は大いに期待できるものです。

聖書に「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない」(ルカ5-38)とあるように、「新しいことを始める時には、新しい枠組み」が必要です。そして何事もそうですが、新しいことを行うにはパブリック・アクセプタンスが重要となります。国民の理解と受容なしに進めることは困難を極めます。それらを支援するのがパブリック・リレーションズ(PR)の役割でもあります。

以前このブログ(08年1月4日号「岐路に立つ世界」)でも、PRパーソンにできることがあることをお話ししました。あれからわずか6か月、情勢は悪化の一途をたどっています。私たちは、次の地球を生きる私たちの子孫のためになんとしても、2酸化炭素の元凶である化石燃料依存社会から脱却しなければなりません。いま日本には、コペルニクス的大転換が求められているのです。

投稿者 Inoue : 08:41 | トラックバック

2008年06月07日

食糧危機の元凶

こんにちは井之上喬です。
皆さんいかがお過ごしですか?

6月5日、世界的な食糧価格高騰の対応を協議する国連食糧農業機関(FAO)主催による「食糧サミット」がローマで閉幕しました。3日間にわたって約150か国の代表が参加したこのサミットでは、食糧価格高騰の主要因とされる輸出規制やバイオ燃料の開発、気候変動への対応などが協議されました。

世界40カ国以上の首脳に混じって日本からは福田首相が出席し、最終日に9項目からなる共同宣言を採択。朝日新聞(6月6日夕刊)によると、「焦点となっていたバイオ燃料の見直しは、『詳細な検討や、技術などに関する経験を交換することが望ましい』との表現にとどまった」とされ各国の思惑も異なり、会議がすんなりとはいかなかったことがうかがえます。

■ 輸入ストップで食卓は一汁一菜
先日、私の知人からこんな話を聞きました。それはNHKの「おはよう日本」(6月3日)の中の農水省まとめを引用したコメント。日本の食糧自給率は39%と40%を割り込んだようですが、もし海外からの輸入が一切ストップしたとすれば、私たちの毎日の食卓はほとんど一汁一菜で夕食に魚が一切れ添えられる程度で、なんとも質素なものになるという話でした。乳製品や肉類は数日に一度といった状態で、自称グルメ通のその知人は嘆いていました。

さて、世界の主要国の食糧自給率を見ると、なんといってもオーストラリアが237%で断然トップ。次いでカナダの145%、米国の128%、僅差でフランスが122%とここまでが自給率100%を越える国々で、第5番目となるのが、スペインの89%である(日本以外国についてはFAO 2003年“Food Balance Sheets”を基に農林水産省で試算)。この数字からも明白なように、近い将来、もし、深刻な食糧危機に陥った時、先進諸国で真っ先に打撃を受けるのは、日本ということになります。
日本の台所事情は劣悪で、現在の自給率を当面45%に高めようというのがこの国の施策で、なんともさびしい限りです。ちなみにここでいう食糧自給率とは、カロリーベース総合食糧自給率 のことで、国民1人1日当たりの国内生産カロリーを国民1人1日当たりの消費カロリーで除した数値のことです。

■ 元凶は地球温暖化と肉食
食糧危機の元凶は一体何なのでしょうか?根底にあるのは地球温暖化問題。そもそもバイオエネルギー開発のきっかけは、脱炭素社会への転換のために石油に代わるエネルギーとしてバイオ・エタノールが注目を浴びたことでした。

風が吹くと桶屋が儲かる話は以前このブログでも話しましたが、地球温暖化の原因は石油エネルギー問題。その解決のためにバイオ・エタノール開発へドライブがかかり、その結果、トウモロコシ、小麦など食料や飼料の需給のバランスが崩れます。一方では森林破壊が進み、炭素吸収能力の低下、温暖化などに誘発された異常気象により食料安定生産システムが崩壊などなど、まさに負のスパイラルに入っている状況があります。

加えて、人類の経済発展とグローバル化により、これまで地域の伝統的な食文化が欧米型の肉食生活に変化したことも問題を深刻にしています。

財団法人食品産業センターによると、1kgの牛肉を生産するのに必要な飼料は11kg、同重量の豚肉の生産には7kg、同じく鶏肉の生産には4kgの飼料が必要とされています(いずれもとうもろこし換算)。同様に、牛肉100グラムの生産に必要な水は2トン、豚肉は0.6トン、鶏肉0.4トン(2003年、東京大学生産技術研究所沖グループによる)。ちなみに山根式水耕栽培で、100グラムのトマト栽培に必要な水はわずか572ml(APJ調べ)。飼料だけではなく、水も環境資源として重要になっていることを考えると、肉食がその因果関係においていかに環境破壊をもたらすかが理解できます。

一般的に食糧には統合エネルギーがたくさん必要とされます。食べたら得るエネルギー(カロリー数)と異なり、牛肉の場合、統合エネルギーは、牛に食べさせるトウモロコシを耕作するトラクターの消費する石油エネルギーや牛を輸送し、屠殺後、肉を保存する冷蔵庫が消費する電力、そして料理に使うエネルギーなどの一切を指しています。

近年になって自動車や住宅用建材はもとより、食糧においても統合エネルギーは大いに増えています。地中海やアフリカでとれたマグロなど日本へ搬送する水産物や、南米、オーストラリアなど南半球から、北半球のヨーロッパやアメリカに運搬する新鮮な果物など経済性を追求する結果世界中いたるところで食料が輸送されています。

これらの問題の解決にはいろいろな施策が求められます。しかし問題解決のために、これらの施策が国民や消費者にとって分かりやすいものである必要があります。ここで私は3つの基本的な施策を提案したいと思います。

まず、食糧自給率を限りなく100%に近づけること。つまり作付面積を増やし企業でも農業生産に参入できるよう法改正を行い、地産地消への取り組みを真剣に考えることでしょう。そのためには私たち消費者が、少し高くても国産の農作物(安全性の高い)を買うことを考えねばなりません。

次いでなるべく肉食を控えることで、飼料が食糧に転換できる環境を作らなければなりません。メタボ人口が多い日本では格好のチャンスを捉えるべきでしょう。

3つ目は、国をあげて二酸化炭素規制を行うことが重要。明確な数値目標を掲げた取り組みが求められ、脱石油はまさにキーとなっています。代替エネルギーであるクリーン・エネルギーの開発を国家戦略として大規模に行う必要があります。

こうなってみると、生産・収穫された農産物は貴重品。何年か前に、牛乳が生産過剰に陥ったことで市場価格が下落したときに、酪農農家が価格維持のために牛乳を廃棄したり、キャベツなどの野菜生産者が過剰生産で生産物を廃棄処分をするなど社会的問題となっていましたが、このような対処は全く無駄。ODA予算で、チーズやドライキャベツなどにして保存し、日本の貧困者用、途上国の食糧危機や紛争・災害時のための緊急援助用に備蓄するなど、省庁の垣根を超えた統合的な政策が求められています。

そのために、広く生産者、消費者、行政、国際社会にメッセージを送らなければなりません。企業やPR会社のパブリック・リレーションズ(PR)の実務家にはこれらのことが強く求められているのです。

投稿者 Inoue : 10:54 | トラックバック

2008年05月03日

衆院山口補欠選挙が語るもの

こんにちは井之上喬です。
皆さん、新緑が目にまぶしいゴールデン・ウイーク、いかがお過ごしですか?

4月27日に福田政権発足後初の国政選挙となった、衆院山口2区補欠選挙では、民主党の前衆院議員で社民党推薦の平岡秀夫氏が、自民党新人で公明党推薦の前内閣官房地域活性化統合事務局長山本繁太郎氏を得票率20%以上の差で勝利。ガソリン税や4月からスタートした、後期高齢者医療制度への不満が民主党勝利の大きな要因となったとされています。

■ 総力戦の果て
今回の選挙では与野党とも今後の国政の行方を占う重要な選挙と位置づけ、それぞれの党幹部を選挙区に送り込み、総力戦を展開しました。自民、民主の代表も現地入りし、自民党福田総裁は、選挙の人気取りだけでガソリン税の切り下げを主張する民主党を非難する一方、民主党小沢代表は、長期政権の弊害を指摘し、国民の生活に目を向けた政治の必要性を説くなど、加熱したものとなりました。

選挙期間中、地方の活性化を訴える自民党とガソリン税や後期高齢者医療制度の廃止を訴える民主党との闘いは拮抗していたかにみえましたが、終盤での後期高齢者医療制度の不備が次々にメディアで取り上げられ露呈。自民党の敗北は、お年寄りにしわ寄せする制度への批判が有権者の間で急速に高まった結果といえます。高齢者の支持が多い自民党にとっては今後の政局運営を左右する大きな痛手となりました。

後期高齢者医療制度の実体について、理解している人はほとんどいないと考えた方が自然です。この制度は、新しく制定された高齢者医療確保法に基づく後期高齢者医療制度として、小泉政権時代の2006年6月に立法化されたもので、その施行が2008年4月1日から始まったものです。国会での批准後、制度の国民への周知徹底のための時間的猶予は2年近くあったはずでした。

■ 果たされない説明責任
田原総一郎さんは、BPnet mail 05/02朝刊の「なぜ自民は山口で惨敗したのか」の中で、後期高齢者医療制度の問題について、制度自体の良し悪し以前の問題として、この制度についての与党の説明責任の欠如が一番の問題であることを指摘しています。

そして、「本当にこの後期高齢者医療制度について書かれた自民党の説明書や厚生労働省の説明書などを読んでも、何を言わんとしているのか、何のためにやるのか、さっぱり分からなかった。何でこんなに分かりにくいのか。」と疑問を投げかけ、元大蔵官僚の榊原英資さんの現役時代の話を披露し、「『官僚の書く文章は、暗号だ。国民にはさっぱり分からないように書くのが官僚の文章なのだ。だいたい官僚の書くものは国民に理解されては困るものが大半なのだが、その中でも特に理解されて困るものは徹底的に分かりにくく書く。官僚仲間にだけわかる暗証番号がないと、その暗号は解けないのだ』。つまり、わざと分かりにくく書いてあるから分からないというのだ。」と官僚の作成する文章が説明責任を果たすことからほど遠いことを批判しています。

私も2001年に日本でのBSE問題に関わったことがあります。農水省のプレス向け資料を手にした時は、文章のあまりの難解さに愕然としたことがありました。当時の広報手法や広報体制についての問題点を指摘したことがありましたが、真の答えは田原さんの記事にある榊原さんの話のなかにあったのでしょうか。当時とはいえ、官僚が本当にそのような意識で行政に関わっているとしたらおぞましい限りです。こんな話はパブリック・リレーションズ以前の問題ですが、いずれにせよ日本の公的機関のシビル・サーバントとしての心構えや志が希薄なのには憂うべきものがあるといわざるを得ません。

山口の補選では、制度の適用を受ける多くの有権者が知らされないまま制度の発効を迎え、自らに降りかかって初めてことの重大さに声を上げ、投票行動に出たということになります。政権与党、自民党の敗北は、制度そのものに対する不満と共に、行政を把握できず、結果として説明責任を果たさなかったことへの有権者からの厳しい判定とみることができます。自らが掘った墓穴に落ち、民主党を利することになったのです。

そんな中で、ガソリン税の暫定税率を復活させる税制関連法案を与党が4月30日に衆院で再可決しました。

それにしてもこのところの政治は行なうことがチグハグして迷走状態。福田政権への支持率も20%を切りました。各種世論調査では、「衆議院を解散し、総選挙により民意を問うべき」とする声が高まっています。

パブリック・リレーションズは、明確な目標設定を行い、個人や組織体、国民や国家、地域や世界をよりよい方向へ導いていくための、関係構築(リレーションズ)活動です。混迷にあるときにこそ、倫理観双方向性コミュニケーション自己修正機能を持つパブリック・リレーションズが求められているのです。

5月3日は憲法記念日。国民の政治への関心は一段と高まっています。

投稿者 Inoue : 14:03 | トラックバック

2008年03月29日

ジャーナリストと社会
 ~ジャーナリズムが危ない

皆さんこんにちわ。いかがお過ごしですか?
毎年この時期は、学生達は卒業式、社会人は年度末であわただしい毎日を送っていることと思います。今日のテーマはジャーナリストと社会です。

ジャーナリストは社会にどう向き合えばいいのか。今、ジャーナリストのあり方が問われています。私は仕事柄よくジャーナリストのかたがたとお会いします。業界紙、雑誌や新聞社に所属するメディア・ジャーナリストからフリーランス・ジャーナリストで活躍する方まで、ジャーナリストにも立場や思想・信条はいろいろあります。

■ 発表ジャーナリズムの限界
日本新聞協会研究所で発行されている『いま新聞を考える』(1995)によれば、マスメディアを通して伝えられるニュース報道は、4つに分類されます。

1つ目は、「ストレート・ニュースあるいはスポット・ニュース」。記者の主観を入れない客観報道で、5W1Hを基本に事実をありのままに伝えることが重要となります。

2つ目は、「調査報道」。取材者の問題意識に基づいた視点で隠れた事実を掘り起こして報道するもの。 このスタイルでは記者個人の主観により切り口や主張点が決まります。したがって記者の姿勢が公正、誠実であることが報道に信頼性を与える鍵となります。

3つ目は、「キャンペーン報道」。暴力追放や公害防止など読者に広く受け入れられる目標を掲げその目標に沿う報道を意図的に続ける手法。そして4つ目は、「論評や解説を中心とする報道」です。

日本のメディア環境における大きな特色は、記者クラブ制度。日本のニュース・メディアはその数全国で100を超える記者クラブ発の情報に多くを依存。流される情報は前項で述べた、ストレート・ニュースで客観報道。これは「発表ジャーナリズム」とも呼ばれ、その結果、新聞紙面が他紙と同じような内容になりがちとなります。

日本はこの記者クラブ制度のために調査報道が少なく、事実を掘り起こして真実を追究する記事の割合が欧米対比で圧倒的に低いのが特徴といえます。また日常の取材活動に過度に追われ、発表ジャーナリズムの限界をみます。

■ ジャーナリストに責任を持つ
ジャーナリスト本来の役割は、社会に対し、今考えるべき問題を提示すること。そして疑問点を整理し、隠れた問題点を掘り起こし、真実をわかりやすく照らし出すことです。

その結果、反発を招くこともあります。記事を書いた企業から、広告出稿の不当な規制を受けたり、訴訟されることもあります。その場合にも真摯に立ち向かうこと。つまり批判に対しても恐れず、透明性のある正確な情報により十分な説明を行なっていくことが大切です。

批判的な記事の当事者が、スポンサー企業だからといって、その企業に不利益となる記事は書かない。ジャーナリズムにこのような行為は禁じ手ともいえます。

常にリスクが伴うジャーナリスト。リスクに向き合う強さを支えるのは、高い志とともにジャーナリスト精神ともいえる「公正・公明に、真実を報道する」強い使命感。

それゆえ、私達パブリック・リレーションズの実務家はメディアへ提供する情報に責任を持たねばなりません。ジャーナリストの社会に対して負う責任は大きいからです。私たちの役割は彼らに正確で透明性のある情報を提供することなのです。

ジャーナリストは、いわばオーディエンスに報道することで健全な民主主義を守る「防人」といえます。一方、PRパーソンは情報提供側に位置します。一線で働くジャーナリストとの良好な関係性を通し、倫理に外れることのない自由で闊達な対話ができる環境を醸成・維持する責任を持っています。時としてクライアントへの辛口のアドバイスも必要とされるかもしれません。

いま、メディアに携わる人に求められているのは、真実を社会に照らし出すこと。健全な民主主義を持続的に守る情熱と報道姿勢だといえます。

高校(都立立川高校)時代のクラスメート、田勢康弘君(早稲田大学院教授、日経新聞客員コラムニスト)の著わした『ジャーナリストの作法』(日本経済新聞社)の中に次のような一節があります。

「いかなる権力も必ず腐敗することは歴史が証明している。権力を監視し、不正を暴き、政治や社会の透明性を確保する。それができるのはジャーナリズムである。とくに、司法が健全に機能していない場合には、ジャーナリズムだけしか権力を告発するものはない。」(p.250)

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2008年03月01日

イージス艦衝突事故
 ~パブリック・リレーションズ不在の不祥事、再び

こんにちは、井之上喬です。
皆さん、いかがお過ごしですか。

千葉県・野島崎沖で起きた海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故。事故発生から8日後の2月27日、ようやくあたごの艦長が行方不明の父子の自宅を訪れ謝罪しました。

民間人が巻き込まれた今回の事故。自衛隊による謝罪までの時間は、あまりにも長すぎました。これは一般の国民には理解できない対応。しかしこの対応こそが今回の事故を象徴しているともいえます。

■ 許されぬミスの連鎖
これまでの調べで今回の衝突事故は、「あたご」による不十分な監視や連絡ミスなど、漁船を把握しながら状況に適切に対応しなかったため起きた人為的事故であることが明らかになってきました。

防衛省や自衛隊は国の安全を担うべきプロとして情報を迅速かつ的確に取り扱うべき組織。にもかかわらず防衛省・自衛隊の対応は表面的にみて、情報収集において緩慢、情報開示においては消極的。度重なる内部でのミスや対応の遅れが問題を巨大化させており、彼らの危機管理意識や能力に疑念を持たざるを得ない状況です。

乗組員による漁船の視認が2分でなく12分前であった事実や海上保安庁の事情聴取前に、石破茂防衛相を含む防衛省・自衛隊首脳が大臣室で航海長から聴取事情を行っていた事実など、発表が後手後手の状態。情報開示の遅れ。これらの不手際な対応を見ていると、防衛省・自衛隊が国民の方を向いて組織運営を行なっていないことの証しともいえます。ここにパブリック・リレーションズの不在が見て取れます。

もし防衛省・自衛隊に、目的達成のための対象となるパブリック(国民、漁民、地元民、あたごの乗組員、海上保安庁など)の視点があれば、情報を共有して事故を未然に防ぐことを可能にしたかもしれません。不幸に起こったとしても事故発生直後からの迅速な事実の究明、情報開示、謝罪など、素早い危機管理対応が可能となり、事故再発防止に向けた組織への信頼回復も高まっていったはずです。

しかし連日メディアの報道から垣間見られるのは、防衛省・自衛隊の情報収集能力や国民に対する情報開示能力の貧困。機密情報を取り扱う能力さえ疑われるほどのお粗末な対応ばかりです。そこには自己修正の片鱗も見えません。

■ 情報隠蔽は自滅の始まり
軍艦としてのイージス艦の性能など防衛省や自衛隊に機密事項が存在することは国民にも理解できること。しかし明らかにされるべき基本的な事項が知らされていないために、国民の不信感は募るばかりです。つまり、「いつ」、「どこで」、「誰が」、「何を」の5W1Hの極めて基本的な情報が国民へ知らされていないのです。

前にも述べているように、今回のケースではおかしなことに、事故発生日で行方不明者捜索の真っ只中、海上保安庁への事前連絡もなしに、あたごからヘリコプターで防衛相へ直接報告があったとされていることです。この事実もごく最近明るみにされました。組織ぐるみの隠蔽と疑われる行動を自らとっていることになります。

自衛隊存在の目的は、日本の平和と独立を守り、国民の生命と財産を守ること。今回の一連の自衛隊の行動で残念なことは、その目的が組織防衛となっている印象を内外に与えてしまったということです。組織内の広報がまったく機能していない証左となってしまいました。

どのような組織体にも当てはまることですが、インターネット時代では、何かの事故が起きた場合、事故後の対応において隠せるものは何もないということです。これを怠った場合、かえってパブリックの信用を失ってしまいます。特に防衛省にあっては、今回のような迷走によって国民は勿論のこと、国際社会までが日本の防衛に不信感を持ち、ひいては国家の安全を危険にさらすような事態に繋がらないとも限らないということです。

今回の事件は、パブリック=相手の視点を持たないために倫理観双方向のコミュニケーション自己修正機能がことごとく欠落したために起きた典型的な不祥事。このケースは、パブリックの視点の欠如がもたらすリスクの大きさを改めて私たちに教えています。

情報流通が多様性を極める21世紀においてパブリックの目は世界中に張り巡らされ、組織体に逃げ場はありません。最低限の情報開示もタイムリーにできない組織は、結果的に自滅への道を歩むほかありません。

一日も早く二人の行方不明者が発見され、海上保安庁などによる事故の原因究明と迅速な再発防止策が講じられることを願うばかりです。


投稿者 Inoue : 13:26 | トラックバック

2008年02月22日

今、子供が危ない。
 ~人間らしく生きるための教育とは

今、中学進学競争が過熱しています。2月初旬、私は受験に向かう小学生を連れた親子連れをたくさん見かけました。人生の楽しさを全身で味わうべき子供たちがどうして受験という機械的な選別の枠組みの中に巻き込まれてしまうのか。私は彼らの姿を見て、この社会に異常事態が起きているとしか考えざるを得ませんでした。

■ 聞こえてくる子供達の叫び
私立や公立の中高一貫校が出現した現在、中学受験の2007年志願者数は首都圏(1都3県)を例にとると約5万2,000人で受験率は17%と推計されています(四谷大塚進学教室調べ)。それに伴い受験準備のため塾に通う小学生の割合は41.3%(2004年度文部科学省調査)。こちらも年々増加傾向にあり、受験の加熱度がはっきりと伺え、分別のまだつかない子供達の心の叫びが聞こえてくるようです。

またこの数字は、良い学歴=一生安泰という図式は壊れつつあるものの、従来の詰め込み知識重視の学力観により学歴で他を制した者が人生を制するといった感覚が未だ日本社会に深く根を下ろしていることを示唆してもいます。

このような社会で鍛えられるのは、受験に必要な画一的な能力。つまり問題を制限時間以内に処理し、用意された答えを導き出す能力です。こうした訓練の繰り返しは、複数の解決法が適応できる生活上の問題においても絶対的な答えを1つだけ捜し求める傾向を強め、子供の多様性を奪ってしまう危険性があります。答えの用意されていない課題にどう対処するかといった問題解決能力は育たなくなります。

初等教育を受ける6歳から12歳までは、第2次成長期を迎える前で、自我が確立していない大切な時期。その子供たちが学ぶべきことは、人間として生きるための基礎的能力、人間力です。健康な体力はもとより、日々の生活の中で出会う問題を解決しながら生きていく力に他なりません。

では、どうすべきか。それには、地球の成り立ちや営みを子ども自身が見て触って5感で感じて考えられる機会を与えること。理科や算数、社会といった基礎知識を頭に入れる学習とともに、身体を動かしながら知識を実践に応用する機会を提供すること。頭と身体のコミュニケーションを双方向にする教育に重点を置くことではじめて、健全な精神を育む全人的な学習が可能になると考えます。

■ パブリックと私
また、人間力とは、周囲(パブリック)との関わりの中で自分の道を切り開いて生きていく力でもあります。人間は一人では生きられません。人は関係性の中で生かされており、人生はい外界とのリレーションズ活動によって成り立っています。

その力を磨くには子供たちに豊かな関わりを持たせること。子供は、多様な他者との関わる体験を通して、友人と私、学校と私といったさまざまなパブリックと私の関係を感じるようになります。そこから対話や相互理解の大切さ、思いやり、倫理観など公私の精神も育っていきます。それをサポートするのが親や学校、そして地域社会。

私は小学校時代、6度も転校を繰り返しました。新しい環境へすばやく適応するには、子供たちや先生たちと積極的にコミュニケーションし、互いに受け入れあうことが大切であることを無意識に感じ取り、自然に実践していました。

また私の育った家庭は7人兄弟。6番目の子供である私は、自分より大きい兄弟たちとの関わりの中で社会の成り立ちや助け合う素晴らしさを学びました。自分の過去を振り返ってみると、多様な人々の関わりによる情操教育の重要性が再認識できます。

「第三の波」や「パワーシフト」の著者である未来学者、アルビン・トフラーはNHKのインタビュー(2006年)の中で日本の教育制度について、「現在の教育制度は、将来子供たちに必要とされる創造的能力の育成を阻んでいる」と述べています。

人が世界中を闊歩し、どこからでも情報を発信し受信できる時代に必要なのは自分の個性です。個性尊重の時代において学校は全てではありません。自分の道をもって生きることこそ、その人の人生を輝かせるのではないでしょうか。

世界が急激に変化し混沌とする中で、それぞれが与えられた天賦の個性をどう磨いていくのか。これは私たち大人に課せられた大きな課題です。私たちにできる第一歩は、自らが、多様な関係性を通して感性豊かな強い個を実践することかもしれません。


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2008年02月15日

岐路に立つ米国 ― オバマの大統領選

「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、あるのはアメリカ合衆国だ。 黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン人のアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ…」

米大統領選の民主党の候補指名争いで快進撃を続けるバラック・オバマ氏。私は、ちょうど1年前の昨年2月、オバマ氏が初めて米国大統領選へ出馬表明をした時、ワシントンに滞在中でした。彼が一点を見つめ“…We are all Americans(みな同じアメリカ人なのだ)”と熱く聴衆に語りかける姿に、深い感動と衝撃をうけたのを今でも覚えています。

■ 多様性を秘めた異色の政治家
冒頭のスピーチ内容は、オバマ氏が2004年米国大統領選の折、民主党全国大会においてジョン・ケリー上院議員支援の場で披露されたもの。この夜、壇上でのオバマ氏は故ケネディ元米大統領(JFK)を彷佛とさせる優雅で説得力のあるスピーチで全米を一気に魅了しました。

人種や党派を超えて全米の人々を惹きつけるのは、その生い立ちと関係があります。オバマ氏は1961年ハワイ生まれ。ケニア出身の父親とスウェーデン系アメリカ人の母親を持ち、多感な時期を多様社会ハワイで過ごし、再婚した母と共にインドネシアに在住の経験もあります。

オバマ氏は東部のコロンビア大学卒業後、シカゴでNPO勤務を経てハーバード大学ロースクールに入学。アフリカ系として初の「Harvard Law Review」の編集長を務めました。その後、弁護士として活躍する傍ら貧困層を支援する社会活動に従事。

バランスの取れた思考力とパワフルな行動力で人権派弁護士として頭角を現し、36歳でイリノイ州議会議員に選出。43才初出場で対立候補を得票率70%対27%の大差で破りイリノイ州選出の上院議員に当選。

オバマ氏は多様な文化のせめぎ合いで壊れ行くアメリカ社会の底辺を見つめてきた人。その彼が、もう一度アメリカを理想的な民主主義国家へ再生させたいと考えるのは自然なこと。その思いを乗せた冒頭のスピーチは国民の心を目覚めさせ、アメリカをひとつにしたといえます。

■ スピーチライターはJFKの元側近 
オバマ氏は多民族国家アメリカを象徴する存在として人々の心をとらえるだけでなく、彼にはコミュニケーターとしての天性の力があります。誇りに満ちた外見と誠実さ溢れる声。自分の考えを押し付けるのではなく、聴衆の視点に立ち民衆にメッセージが伝わる言葉選び。

彼の演説は素晴らしく、その勇姿は故ケネディ元米大統領(JFK)の再来ともいわれています。そしてなんと彼のスピーチライターは、ケネディ政権の大統領特別顧問でケネディのスピーチライターを務めた今年80歳のテッド・ソレンセン氏。JFKの大統領就任演説を思わせる、明快に人々の心に訴えるスピーチの裏には、彼の存在があったのです。

先の5日に行なわれた予備選、スーパーチューズデー直前にJFKの弟エドワード・ケネディ上院議員やJFKの娘カロライン・ケネディがオバマ支持を表明したのもうなずけます。

政策面では、これまで放置されてきた年金制度や医療制度などの国内の諸問題に積極的に取り組み、外交的には、一貫してイラク戦争からの米軍撤退を掲げると共に国際的な核兵器禁止に向けて他国と協働する姿勢を貫いています。

その他には石油の依存度を低減させる環境問題にも真摯に取り組む意欲をみせており、軍事的な強さだけに頼らない、他者との協調による国づくりを行なう意向を明確に打ち出しています。オバマ氏のその堅実な、政策に取り組む控えめな姿勢は1968年大統領候補指名選キャンペーン中に銃弾に倒れたロバート・ケネディ(弟で司法長官)とも重ね合わせることができます。

混沌とする世界、インドや中国といった大国の台頭による世界秩序の大変化のなかで、地球はいま岐路に立っています。複数の大国が共生を迫られる時代に必要なのは緊張ではなく融和です。

オバマ氏はスーパーチューズデー後、勢いを増し、ヒラリー・クリントン上院議員を圧倒的な差で抑えワシントンDCを含む7州で連勝しています。代議員の獲得総数もオバマ氏1253人、クリントン氏1211人(CNNテレビ推計)と、オバマ氏が大幅に伸ばし、指名獲得に向けて大きく前進しています。

経済政策や外交政策など彼の実力は未知数ですが、彼が大統領に就任することでアメリカが変わることが期待されています。「傲慢なアメリカから謙遜で節度あるアメリカへ」。灯台の光のようなバラック・オバマ。彼の登場によりアメリカが世界に平和をもたらす新しい国家へと変容していくことを願うばかりです。

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2008年02月09日

21世紀の公務員誕生のために

こんにちは、井之上喬です。
皆さん、いかがお過ごしですか。

グローバル化の波が押し寄せる昨今、民間は血のにじむような努力により日々革新を図っています。それに比べ行政は、改革が叫ばれるなか政治不在もあり、官僚組織のシステム改革が大幅に後れを取っているのが現状。各省縦割りの硬直化したシステムが天下り体質や政官癒着を生み、結果的には巨大な国費の乱費をもたらす構造的な問題を抱えた状況が続いています。

■ 動き出した公務員制度改革
1月31日、国家公務員制度の抜本改革に向けた福田首相の私的懇談会「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」による最終報告書が、首相へ提出されました。

東芝の岡村正会長を座長とする同懇談会の報告書は、堺屋太一元経済企画庁長官を中心にまとめられ、現状の縦割り行政からの脱却を促すと共に、政官癒着の防止を求めています。

具体的には、「内閣人事庁」創設とキャリアの半数を公募で充当するなどのキャリア制度の抜本的な見直し。管理職以上の人事権を内閣人事庁に一元化させるシステムの導入。首相による一般公募の次官級の専門職「国家戦略スタッフ」の任用などです。

国家公務員の採用・配置や官民交流を一元管理することは、省庁や官民の枠組みを超えた人材配置を促し、人材の流動性を活発化させます。また採用時から幹部候補を決める制度の廃止は、より多くの職員に幹部になる機会を付与できることから、職員のモチベーション向上につながると期待されています。

また、めまぐるしく移り変わる世界にあって、グローバルな視野を持った民間人の積極的な登用は多様性のある思考の共存を可能とし、現状に対応できる柔軟な発想で組織運営が実現できます。加えて国民に発する情報が統合されることで、国家の政策が国民へわかりやすく伝わり、国民に密着した行政の実現につながります。

私は、1980年代の日米通信・半導体摩擦、90年代の日米自動車部品問題に米国サイドのPRコンサルタントとして関わりました。例えばクリントン政権時代に起きた自動車部品問題では、車輌の保安基準などを定めた道路運送車輌法による規制(当時の運輸省管轄)と重量税に関する問題(当時の大蔵省管轄)が複雑に絡み合い国産メーカーを保護し、外国製品を阻害する仕組みがみごとに出来上がっていたのです。国民や消費者の利益を全く無視した、縦割り行政が省庁間の調整を困難なものにしていました。

今回の改革案は、通気性の良い柔軟で無駄のない組織の実現への大きな一歩となるものですが、具現化するには越えなければいけないハードルが多々あるように見受けます。

特に人事評価の問題。設置や運営においては人事のプロフェッショナルを積極的に採用することはもちろんですが、暗黙知のない第三者に公務員の業務評価は多難です。形式化させないためにも、行政がどれだけオープンに情報開示して官民協働を実現させていくかが重要となります。

また、国家戦略スタッフの導入も政が官を主導するシステム構築という意味合いがあるものの、逆に政治の力量が問われる場面にもなってきます。どのような基準でどんな人材を揃えるのかが重要な鍵を握ります。

■ ターゲットを常に意識する
民間にとってターゲットとは、顧客やマーケットなどを意味しますが、国家にとってのターゲットは国民であり納税者。つまり政府や行政は、国民のために何がベストかを常に考え、短期的、長期的な戦略立案を行ない実施することが求められます。

しかし、現在の行政と国民との間にはサービスを提供するための礎となる相互理解や相互理解のインフラとなる双方向性コミュニケーションの環境が実現しているとはいい難い状況です。

相互理解は、情報開示や国民の声を聞くことに積極的でオープンな環境が整ってはじめて得られます。21世紀の公務員にとって、決め細やかなサービスの実現にはオープン性と創造性が要求されます。こうした新しい公務員としての意識は、パブリック・リレーションズの意識そのものといえます。

私たちPRパーソンは、様々な形で行政と仕事をすることがあります。行政から制約が課せられるケースも多く、ともすれば役所のほうを向いて仕事をしがちになってしまうこともあります。

しかし、憲法が「国民を幸せにする」国家運営のための最高法規だとすれば、その思想を支える形で、公務員は公僕(シビル・サーバント)として国民納税者への利益に貢献すべく行動しなければなりません。それは、行政と協働するPRパーソンにも当てはまること。国民の視点に立って行動することが求められているのです。

公務員改革が叫ばれて実に長い年月が経っています。いまや制度改革は国民にとっても喫急の問題。政府は報告書に基づいて今国会に基本法案を提出し、5年以内に改革を実現していく予定ですが、今回の公務員制度改革が、公務員の意識変革に寄与し、近い将来、国民の手に届く行政が実現することを願っています。

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2008年01月04日

岐路に立つ世界

新年あけましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

皆さんはお正月をどのように過ごされましたか?私は自宅でTVをみたり、友人に久しぶりに会ったり、ゆっくりした正月を過ごしました。

■ 壊れ行く地球
この数年、日本を始め世界中を襲う集中豪雨、ハリケーン、干ばつ、高温化、氷河崩落など異常気象が起きています。原因は二酸化炭素(CO2)など、温室効果ガスによるものとされ、その削減に向けて数々の国際会議で真剣に討議されています。特に、ブラジル、ロシア、インド、中国などBRICSでの開発の勢いは森林伐採、CO2排出に更なる勢いをつけています。

いま誰もが地球が危険な状態あることを知っています。地球が支えうる限界をすでに超えたとする学者もこの危機的状態に強い警鐘を鳴らしています。

朝日新聞の新年3日の社説には、「地球の温暖化は今、核兵器と同じように人類の脅威となっている….」と断じていますが、核は人間がコントロール可能。でも環境は恐らく一度壊れたら人間の手で回復できるのかどうか誰も予測できません。

異常気象で、東京に集中豪雨が襲い地盤が緩みきっているとき、関東大地震規模の震災が起きたことを想像するだけでぞーっとします。

人間は不思議です。痛さを感じ、初めて怖さを知るようです。地球温暖化問題が政治課題として国際社会で取り上げられたのは20年前の1988年、カナダのトロントで開かれた国際会議。当時は、将来環境破壊が起こることを誰もが頭では理解していましたが、有効な対策はとられませんでした。現実的なものとなったいま、これまで問題解決に消極的であった米国、カナダ、オーストラリア、そして日本までもが目の色を変え本気で対処しようとしています。

問題解決法はあるのでしょうか?多くの原因は石油化学依存から来ています。電気や動力の多くが石油エネルギーでまかなわれています。一刻も早く脱石油を目指さなければなりません。

そのための代替エネルギーの開発も急がれます。原油価格が1バレル100ドル時代にあって環境は熟しています。日本の省エネ技術のレベルは世界で最高水準。風力、太陽光、バイオガス、燃料電池、水素燃料、潮力発電などなど、地域や国、そして民間企業や自治体、大学を始めとする各種研究機関などが力をあわせて問題解決に当たれば、その成果を世界がエンジョイすることは夢ではありません。

ある意味で、逆境の中で日本の技術と知恵が発揮でき、世界を新しい科学技術でリードできるかもしれません。

■ PRパーソンにできること
さてこうした事態に、PRパーソンはどのような行動をとるべきなのでしょうか? 
企業の広報担当者やPR実務家は、自らの企業やクライアントに対し少しでもこれらの問題を解決しうる環境技術の有無についてチェックし、リスト化します。次いでそれらの技術・ノウハウが他社の技術と比べ、どのレベルにあるのか内外の知恵を駆使し分析します。

そしてその技術が本業の延長線上にあるのかどうかを知り、本業であれば社内での注意を喚起しドライブをかけます。眠っている技術であれば製品化への再検討を促し、現在顧客によって利用されているものであればそれらの技術・製品に光を当て内外にきめ細かくPRすることも重要です。

自社は全く関係がなければ、他社のこれらの新技術(新製品)を積極的に導入・利用し、企業の環境問題に対する真剣な取り組を内外に示すことも大切なことだと思います。

いま地球が壊れている。待ったなしの状態です。私達は環境問題を解決し、子孫のためにも地球を蘇らせ、再び青く美しい地球として後世に引き継いでいかなければなりません。

混沌とした時代、PR実務家の役割は今後ますます拡がることでしょう。
私達専門家には、自分たちの帰属する職場やクライアントに対して、世の中をより良い方向に持っていくための役割がきっとあるはずです。たとえ小さなことでも、その考え方が周りを刺激し大きなうねりを作り出すことができます。

もちろん、日々の業務を着実に遂行することは大切なことですが、そうした思いを常に意識し持ち続けることによって少しずつ車輪が動き出していくことに気づくはずです。

今年も皆さんと一緒にパブリック・リレーションズを考えていきたいと思います。

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2007年09月21日

次期首相に願うこと

突然の安倍晋三首相の辞意表明。これを受け9月23日、次期首相を選ぶ自民党総裁選が行われます。

安倍内閣は、教育基本法改正、国民投票法、米軍再編法、国家公務員法改正など重要な法案をいくつも通しながら、発足直後から社会保険庁の不祥事や政治とカネ問題、閣僚のスキャンダルや失言などが相次いで発覚。長期政権とも目された安倍政権は、今の日本政治を象徴するような問題に翻弄されるかのように1年足らずで幕を閉じようとしています。

■ 具体的メッセージの欠如
任期中、表面化した社保庁問題や相次ぐ大臣辞任など、不運に見舞われたこともありますが、政策面における最大の敗因は、内閣として国の将来像を具体的に示せなかったことにあったのではないかと考えています。内閣には、国民の利益に資する政策を国民に分かりやすく説明し実施する責務があります。しかし安倍内閣は昨年9月の発足以来「美しい国づくり」という大儀を掲げながら、その具体的な方策については明示できませんでした。

美しい国とはどのような国を指すのか? 国民にとって、家族にとって、地域にとって、そして若者やお年寄りにとって、どのような国が美しい国なのか、それぞれの視点で具体的に語られることはありませんでした。

加えて、理解が困難な「戦後レジームからの脱却」の提唱によって、公共の精神、伝統や文化の尊重など観念的なメッセージばかり上滑りし、多くの国民は安倍政権の目指す具体的な国づくりのイメージを抱くことも共有することもできませんでした。

国民へ明確なイメージを伝え、それらを具体的な政策に反映させる。広報担当補佐官が新任されたにもかかわらずパブリック・リレーションズが機能しなかったことは残念としか言いようがありません。

また危機管理体制の不備により、不祥事がダメージを拡大させたことも大きな痛手となりました。閣僚の不祥事発覚時、首相は即座にこれら関係閣僚を辞任させ心機一転を図るといった、素早い対応をとりませんでした。相次ぐ閣僚辞任でこれ以上の辞任者を出したくないとする思惑があったかもしれませんが、国民が安倍内閣にどんな政治を求めているのかを理解していれば、即断実行しか選択肢はなかったはずです。民間企業であれば、相次ぐ役員の不祥事への対応の遅れは、即座に不買運動、株価暴落につながり企業崩壊は明白。ここでもパブリック・リレーションズが機能していませんでした。

年金問題で国中がゆれる中、与党自民党は7月の参院選で、「国民の生活が第一」を掲げた民主党に大敗しました。

■ 国民を幸せにする政治を
9月15日に出揃った自民党総裁候補は福田康夫元官房長官と麻生太郎幹事長。福田氏は「自立と共生の社会」を掲げ、「若い人が希望を持ち、お年寄りが安心できる社会」にしたいと強調しました。一方麻生氏は、「活力ある高齢化社会」を真っ先に挙げました。

誰が次期首相に選出されるにせよ、一国のリーダーにはどのような場合においても、「国民を幸せにする」という国民の視点に立った政治が求められています。

その上で、経済的には、国際競争力のある国力を強化するための技術力育成や企業の直接投資、優秀な人材の確保など、市場における競争力を重視した経済政策を推進。外交的には、環境問題や持続可能な世界経済の実現など国際的な役割を積極的に果たし、日本の存在感を示す。それらを実現するために、教育面においても、強い個を発揮できる思考力のある有能な人材育成のため、初等教育から高等教育まで教育内容の抜本的な見直しも考えなくてはなりません。

選出される次のリーダーには、これら全ての要素を統合して鳥瞰し、細部に注意を払いながらも、時には大胆な決断をし「国民を幸せにする政治」を推し進めていかなければなりません。日本社会はいまきわめて不安定な状態にあるといえます。

そのためには、常に多様な国民の視点を持つこと。そして様々な分野において具体的なメッセージや方策について自らの言葉ではっきりと国民に説明する努力をすること。そして、対称性の双方向性コミュニケーションで国民との対話を深め、良好な関係を構築・維持していかなければなりません。国家運営においてもパブリック・リレーションズ的なアプローチと実践が求められているといえます。
  
データ上では「景気回復」とこれまでの改革の成果が強調されていますが、地方ではその実感は乏しく、地方経済は一層疲弊しているように見えます。経済格差の拡大や社会の高齢化を受け、病気になっても治療を受けられないお年寄りなど弱者の救済をどうするのか、問題は山積しています。

日本が抱える深刻な問題。そして急速に進展するグローバル化に対応し日本再生を図るには、改革の手綱を緩めるわけにはいきません。

国民、そして世界にどのようなメッセージを発信し具現化していくのか。この不安定な時代にあって、国家運営の最高責任者は、浮ついたポピュリズムに陥ることなく日本の国益に利する政策を明確に打ち出し実施していく、強力なリーダーシップが熱望されています。

大正・昭和にかけて「憲政の神様」と呼ばれ、真の民主政治と世界平和の実現にその一生を捧げた清廉潔白な政治家尾崎行雄は、議会の本質を示すものとして以下のような言葉を残しています。
「一般人民から選ばれた代表が一堂に会して会議を開くのは、何のためであるか。いうまでもなく、それらの代表が、どうすることが最大多数の最大幸福であるか、どうすれば国家の安全と繁栄が期せられるかという立場にたって、思う存分に意見をたたかわし、これを緊張した各代表が、何者にも縛られない完全に自由な良心を持って、議案の是非善悪を判断した結果、多数の賛成を得た意見を取り上げて、民意を政治に反映させるためである。」

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2007年07月27日

29日は参院選、まずは投票所へ行きましょう

2007年7月29日は参議院選挙の投票日。今回は12年に1度の「亥年(いどし)選挙」。参院選と地方統一選挙が同じ年に実施されます。7月22日現在での期日前投票は約400万票で、前回比53.58%増と出足は好調な様子。このまま推移すれば1000万票に届くのではとの見方もでています。投票率が下回れば、組織票が有利に働くといわれる選挙戦。今回の参院選で、日本の政治に変化を求めるには55%以上の投票率が必要といわれています。

■ 投票はより良い国づくりへの国民の責務
憲法学的にみれば、投票という行為は参政権の行使の一形態。 参政権は国民として国政に参加することが認められる権利です。

古代ギリシャでプラトンは、人間には理想国家を構築する力があるとし、また少なくともより良い国家を構築することができると示しています。

現代に解釈すれば、私たち(国民=有権者)は、投票行為を通して国民の代表を国政に送り、有権者はより良い社会の実現のために行動しなければならないのです。 私たちは、国政をつかさどる代表者を選出する選挙において、投票することでより良い国づくりへの責任と義務を負っているのです。つまり、投票することは国民としての責務。投票しないことは、社会の一員としての自らの責務を放棄することを意味します。

福田赳夫元首相(総理在職期間:1976‐78)は、日本国民のガバナビリィティ(被統治能力)の低さを嘆き、「政治家を生んでいるのは国民であり、政治のレベルは国民のレベルを投影している」といった主旨のことばを残しています。質の高い政治を確保するには国民の高い関心が不可欠。その関心度が端的に現れる数字が投票率です。

2005年に行われたドイツ連邦議会選挙における投票率は77.7%。今年6月のフランス国民議会(下院)選挙の投票率は約60%、今年4月に行われた大統領選挙の決選投票に至っては投票率85%以上を記録。このように成熟した国家では選挙民の意識の高さが見て取れます。

しかし日本における参院選での投票率は、過去10年間60%を超えたことはなく、低調なのが現状。国民の政治的無関心さを露呈しています。

■ 1票の重み、発言力を行使する
日本の政治状況をみると、不祥事が相次いで発覚。国民は政治に対して嫌悪感や無力感を抱いています。これらは最近の選挙における投票率低下の原因となっています。この結果、投票しないことで国民を顧みない政治家を議会に送る結果を生み出しているのも事実。

投票行動をとらない場合、私達はその結果に対しても責任を持たなければなりません。現行の政治に不満や要求があるならば、まずは投票に行くこと。自ら行動を起こすことが大切なのです。

たとえ理想の候補者がいない場合でも、次善の策をとり投票すること。ここで諦めてしまっては、そのつけは将来必ず自分自身そして子孫の生活に跳ね返ってきます。

また「1票では、何も変えられない」と考えるのも誤り。100万人の有権者のうち30万人の人が何かを変えようと投票行動をとれば、それは想像を超える大きな力となりうるのです。そのときは単なる100万票分の1票ではないということです。

これまでメディアは、国民が「政治」を自律的に理解し、判断できる材料を情報発信する立場にありながら、これまで投票を喚起するような報道を積極的に展開してきませんでした。しかし今回の選挙では、メディアも読者・視聴者に投票に行くよう積極的に呼びかけています。国民の政治への関心と参加性を高めるため、より深みのあるパブック・リレーションズの手法の導入が求められているといえます。

バブル経済崩壊後の10数年、民間ではコスト削減やリストラなど血のにじむような努力が重ねられて経営の効率化が図られてきました。しかし政界や公的機関の分野ではその努力が適切に払われているとはいい難い状況です。現在日本の債務残高は1000兆円を超えています。この国を未来につなぐために、何か行動を起こさなければなりません。

イギリスの思想家エドマンド・バークは、「変革の手段を持たない国家は、自己保存の手段も持たない」といっています。日本政治の変革の第一歩として、国民が市民としての責務を果たす。つまり、国民の一人ひとりが参政権という責務を自覚し、投票に行くことから始めるべきではないでしょうか。

投票日は7月29日。期日前投票(不在者投票)も以前に比べれば非常に簡易となりました。皆さん、投票所に足を運び、日本の未来のために一票を投じましょう。

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2006年01月27日

地震大国日本における耐震強度偽装問題が日本社会に提示するもの

こんにちは、井之上喬です。早いもので1月も最後の週になりました。

今週は、ライブドアの堀江前社長の逮捕劇から始まり、今朝のニュースのトップを飾った「東横イン」の偽装建築問題など、不祥事のニュースでメディアが埋め尽くされた週となりました。

どうしてこのような不祥事が際限なく噴出するのでしょうか。私にはこの状況が、例えていうならば、人間(とくにバックボーンのない)が内的変化を起こすときに見せる混乱や錯乱が、構造転換をはかる日本社会にも起きているように見えてなりません。

今日は、パブリック・リレーションズの視点で耐震強度偽装問題について考察し、「何が日本に欠けているのか?そして混沌とした日本社会に秩序をもたらす処方箋はあるのか?」皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

1995年1月17日、震度7の地震により6,434人もの尊い命を奪った阪神大震災の悲劇の教訓もむなしく日本を震撼させているこの偽装事件は、昨年11月に国土交通省が耐震強度偽装問題を公表したことで発覚しました。偽装工作は、建築物の構造設計専門家である姉歯秀次元一級建築士が、地震時の圧力を低く入力するなどの方法で構造計算書を偽造した98年にさかのぼります。

偽装隠蔽ルートは設計・施工から販売にいたるまで整えられており、民間の確認検査機関や地方自治体の安易なチェックシステムにより建築確認が出されていたようです。この結果、各地で耐震強度不足のマンション、ホテルが建設・販売されました。今年1月20日までに確認されている偽装物件は18都府県にわたり計95棟とされ、中には震度5弱で倒壊しかねないものもあるとされています。

この事件をとおして、近年日本で続出する様々な不祥事に共通する根本的問題点が浮かび上がってきます。それは、倫理観の不在、自己修正能力の欠如、相手視点の欠落からくる危機管理に対する甘さです。パブリック・リレーションズの生命ともいえるこれらの要素が日本社会で希薄なために、同じ過ちが繰り返されているのではないでしょうか。

本来、建築設計や建設・施工の仕事は、利用者の安全・生命を守る専門家として、自覚と責任を持って従事すべき職業です。しかも日本は世界有数の地震大国。耐震強度不足の建物は人の命を奪うことに直結しかねません。それを認識しながら目先の利益を優先し、問題さえ発覚しなければ不正も良しとする彼らの行動には、倫理観の片鱗も見ることができません。

問題発覚後も、関係者の情報開示に対する消極的な姿勢や度重なるその場しのぎの発言など、彼らはどの程度この問題の重大性を認識しているのでしょうか。また発覚後の関係者による一連の行動は、責任の所在を明らかにして問題解決に向き合うために必要な自己修正能力の欠落をも露呈させています。

それを象徴するのが1月17日に衆院で行われた証人喚問でした。建築主ヒューザーの小嶋進社長は「刑事訴追の恐れがある」として問題の核心部分について証言拒否を繰り返しました。証言した答弁でも問題をはぐらかすなど、自身の保身に終始し、自分の過ちを認めて全貌解明に協力する姿勢は見受けられません。

ひるがえって、この問題は行政側の危機管理の甘さをも露呈しています。このことは行政が国民(相手)の視点に立って行われていないことに起因していると考えています。パブリック・リレーションズの視点で考えると、情報発信者は同時に受容者にもなり、行政従事者は消費者や顧客でもあることが理解できます。相手の視点を持つことにより、節穴だらけの管理体制は容易に排除され、真の国民の求める安心して暮らせる住環境の実現が可能となるのです。

パブリック・リレーションズの視点で見るまでもなく、住宅のような専門的知識が要求される買い物の場合には、顧客が商品の欠陥、それも目に見えない構造的な欠陥を見いだすことは極めて困難といえます。他の自動車(事故を誘発する)や電気製品(感電や火災を誘発)と同様に、欠陥が原因での事故が災害をもたらす場合の製造者責任は極めて重大とみるのが自然です。

補償問題に関して、小嶋社長個人や会社の被害者への補償能力がほとんど期待できないなか、自治体、政府、検査機関が今後どのように対応すべきか国民が注視しています。

現在、耐震偽装や危険な建物の建設・販売に対する罰則は、建築基準法第99条に示される50万円以下の罰金のみです。罰則規定の甘さへの批判が強まり、国土交通省は1月14日、罰金の強化と最大「3年以下」を軸にした懲役刑導入の検討を発表しました。しかし地震大国日本において、住居は住人の生命を預かるものと考えれば、この種の違反には「殺人未遂罪」と、より厳しい罰則が適用されてもおかしくありません。抑止力として機能させるには、より厳しい罰が必要です。

この事件の真相はいまだ明らかになっていません。閉鎖に追い込まれたホテル。すでに解体工事が始まっている建物。そして倒壊の恐怖におびえながら将来の展望も見えず暮らす人々。まったく気の毒としか言いようがありません。被害者のためにも、そして今後同様の事件が繰り返されないためにも、国や行政は徹底的に真相を究明して責任の所在を明らかにし、早急に対応策を講じなければなりません。

先にも述べたとおり、今回の不祥事もパブリック・リレーションズの概念がことごとく欠落していたため起きてしまった事件であったといえます。パブリック・リレーションズの手法が日本社会に根付いていれば、業界活性化への試みが逆に手抜きの温床にならずに済んだのではないかと考えると非常に残念です。

再生後の日本の進むべき方向を明確なものとするには、社会において核となるバックボーンが不可欠となります。そのバックボーンとは倫理観にほかなりません。そして、どのような変化にもリアルタイムで対応できるパブリック・リレーションズこそ一連の不祥事の処方箋といえます。パブリック・リレーションズを日本社会に導入することにより、希望のある未来へ確実に近づけるのではないかと確信しています。

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2005年08月15日

終戦60年、世界の持続的安定と平和のために
 ~もしあの時パブリック・リレーションズを知っていたら

60年前の8月15日の今日、日本の降伏により第二次世界大戦が終結しました。広島、長崎への原子爆弾投下を受けての無条件降伏でした。

日本が引き起こした太平洋戦争は、周辺諸国に甚大な被害と悲しみを与えました。明治維新以降、欧米列強からの支配をのがれ、彼らに追いつこうとした結果がもたらした大戦の結末でした。

アジア周辺諸国では約2000万人、日本では310万人といわれる犠牲者(軍人も含まれる)の数(http://www.asahi-net.or.jp/~pb6m-ogr/ans074.htmhttp://www.parc-jp.org/oda_watch/kisochishiki/baisyo.html)は戦争が如何に悲惨で、非生産的かを物語っています。兵士は無論のこと一般市民に異常な体験を強いた戦争の狂気と、指導者(リーダー)の責任の重大性を考えずにはいられません。

戦後新しい国家として再生のスタートを切った日本は、1952年のサンフランシスコ講和条約発効によって、戦後賠償による過去の清算を行い、国際社会に復帰しました。

しかしながら戦後60年を経た今なお、韓国、中国を初めとするアジアの国々には日本に対する不信感や警戒心が根強く横たわっています。いったいこれらは何処から来るのでしょか?

これにはいくつかの理由があると思われますが、最も大きな理由はこれら周辺諸国へのしっかりしたパブリック・リレーションズが不足していたことにあるといえます。相互理解による友好関係の醸成は、パブリック・リレーションズの基本ともいえますが、その不在が近隣諸国との真の和解を阻んでいるのではないでしょうか。

日本国民に対しても同様で、大戦の歴史的総括をあいまいにしていることが、国民の歴史認識の浅さにつながっているといえないでしょうか。先の大戦は他国が自分の国に攻めてきた戦争でなく、自分(日本)が相手領土で起こした戦争であるという認識に立ち、あの大戦が如何に周辺諸国に惨禍をもたらしたか、考える環境や情報を十分に得ていたでしょうか。

正確で客観的な歴史認識を持たない私たち日本人が、被害者意識を持つ周辺諸国の人たちの、被害を受けたもののみが抱く心の傷に、相手側の立場に立って、思いを馳せてきたでしょうか。これらの国々との感情的対立の根底に、双方向性コミュニケーションの不在を見ることができます。

先週、私の所属する日本広報学会で日中関係をテーマにした国際シンポジウム(http://www.edogawa-u.ac.jp/~hamada/expo/)が開催されました。パネルディスカッションで、中国のパネリストが今後の日中関係でもっとも重要なことは「心」であるとアドバイスしたことに強い印象を持ちました。

私たちが常に忘れてはならないのは、我々は太平洋戦争の加害者であるということです。謝罪と反省の「心」をベースに、その気持ちを形にし、パブリック・リレーションズの活用をとおしてきちんと相手に伝えていくことで、真の和解が成立するのではないでしょうか。

一方パブリック・リレーションズ不足に起因しているのか、日本の戦後賠償やODAにしても、国家としてアジア諸国に対し多大な資金を投じていることは、今の日本の若年層にはもちろんのことアジア諸国民にもあまり知られていません。日本がどのように取り組んできたのか、ただ一方的な情報発信で終わるのではなく、相手国家のレベルから一般社会レベルまで、発信された内容がターゲットとする相手にどう受け止められているかを知るためのフィードバック作業が重要となります。

そのフィードバックをもとに修正を加え最適化した情報を発信すれば、「心」は着実に形となって伝わっていくのではないでしょうか。

また、毎年8月は人類史上初めて広島・長崎へ原子爆弾が投下された月でもあります。原爆の投下は避けて通れなかったのでしょうか?

ここで太平洋戦争のきっかけとなった真珠湾攻撃について、パブリック・リレーションズの視点で考えてみたいと思います。

太平洋戦争のきっかけを作ったのは、44年12月8日の真珠湾に対する奇襲攻撃でした。94年11月21日付の朝日新聞の朝刊一面には、「真珠湾攻撃に先立って米国への開戦通告の遅れたのは、当時の在米日本大使館の情勢認識の甘さと職務怠慢からだったとする報告書を敗戦直後の46年外務省がまとめていたことが、20日付で公表された外交文書で明らかになった、しかし関係者の明確な責任追及や処分は行われなかった」ことを大きくスクープしています。つまり在米日本大使館内部の開戦通告の遅れにより、結果として、国際法を無視した米国への宣戦布告なしの奇襲攻撃となったのです。

日本政府は米政府への開戦通告の遅れが内部的ミスであったことが発覚した時点で、直ちにその事実を国際社会に明らかにすべきでした。しかし、現実にはオープンされることなく、それまで、ためらっていた米国に格好な口実を与え、米国の第二次世界大戦への参戦を決定づけました。しかも、戦後50年以上にわたり、日本のイメージは「卑怯でずるい日本(Sneaky Jap)」として、その後の日米関係において数々の経済摩擦と絡み、米国民の対日不信感の奥底に深く刻まれていったのです。

パブリック・リレーションズの基本ともいえるオープン性が、このような国家イメージを傷つけかねない危機的状況のなかでもまったくみられません。第一次、第二次世界大戦で米国が、戦費調達や民主主義を守るためにとったパブリック・リレーションズ手法を考えると、双方のあまりの違いに、悲しささえ禁じえません。
 
いつの時代も戦争は悲惨なものです。米国による原爆投下の背景にはいろいろあるようですが、真珠湾奇襲を受け、国論が沸騰した米国が、「Sneaky Jap」のレッテルが貼られた日本に対し、自分たちと同じ価値観や文化をもった人間でないとして、原爆投下に踏み切ったことを誰が否定できるでしょうか?
 
多くの尊い命が一瞬にして失われた広島や3日後に落とされた長崎への原爆投下は、もし真珠湾の卑怯な攻撃の真実が国際社会にオープンに発せられていたなら、起こりえなかったことかも知れません。少なくとも長崎への投下は避けられたかもしれません。また、66都市に対する、原爆投下を含めた無差別爆撃で40万人を超える犠牲者をもたらした日本焦土作戦も、これほど凄まじい結果にはならなかったのではないかと思います。

このように日本が被った精神的、経済的損失、またその後の日本民族のイメージに与えたダメージの大きさは計り知れません。戦前の軍国主義の日本では「オープン」で「フェア」「スピーディ」なパブリック・リレーションズの基本姿勢が、存在すべくもなかったことかもしれません。しかし、将来、日本で同じような過ちが起きない保障はどこにもありません。だからパブリック・リレーションズに真剣に取り組む必要があると思うのです。
  
20世紀は激変の時代でした。今世紀に再びあのような戦争が起きればこの地球はどうなってしまうのでしょうか。いま私たちが生きている地球は、ひょっとすると後100年も持たないのではないか、ふと感じることがあります。

相手を理解し、違いを受け入れあうことができれば、世の中は確実に変わっていきます。争いのない世界を築くには、パブリック・リレーションズ力を身につけ、ひとり一人が考え、勇気を持って平和を訴え、行動していかなければならないと思うのです。


2005年8月15日 終戦記念日に

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2005年06月20日

日中関係をPRの視点で捉えてみる

小泉純一郎首相の靖国神社参拝をめぐって日中関係が急速に冷え込んできています。双方とも改善への糸口を模索していますが予断を許さない状態にあります。ことの発端は、小泉首相による参拝継続に関連する問題で、今年4月参拝の意向を示唆した国会答弁がきっかけとなり、それまで抑制されていた中国側の対応が一転して強硬路線に変わってきたことです。現体制下で、中国国内で起きた反日運動をどう捉えるか議論があるところですが、世論の感情的な高まりは表面的に収まっているようには見えるものの、一触即発といった見方をすることもできます。

パブリック・リレーションズ(PR)は最短距離で目的を達成するリレーションズ活動です。今日は、膠着状態にある両国の関係を打破するためにどうすべきかを、パブリック・リレーションズのベースとなる「倫理観」 「双方向性コミュニケーション」 「自己修正」の視点で考えてみたいと思います。


「倫理観」に支えられた行動を
両国にまたがる問題は、尖閣諸島の領有権問題、東シナ海のエネルギー開発問題などいろいろありますが、その根底にあるのは歴史認識の問題だと思います。

その意味では、4月22日ジャカルタで開催された、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)50周年記念首脳会議における小泉首相のスピーチは、1995年(戦後50年)の当時の村山富一首相談話に基づく歴史認識を改めて強調し、植民地支配と侵略によって多大な損害や苦痛を与えたアジアの周辺諸国に、「痛切な反省と心からのおわび」を公式に表明し、日本が今後も「平和国家」として歩んでいく姿勢を強調しました。

戦後生まれが大多数を占める日本社会がよく理解しておくべきことは1930、1940年代に多くのアジア諸国を巻き込んだ戦争は、その舞台(戦場)が日本国内ではなく相手国内であったということです。善悪の基準を表す「倫理観」に照らし合わせてみれば、先の第二次大戦は、誤った戦争であったとの認識を持つことが極めて健全です。そうであれば、フォルカー・フルート弘前大助教授の「一歩踏み出すのは加害者から」(2005年6月18日朝日新聞朝刊17面)という言葉どおり、日本側から歩み寄りの姿勢を示すことが和解の第一歩になると考えます。

一方中国には、その体制の特異性ゆえ、民主主義社会に住む私たちにとっては理解できない事柄が多く存在しているのも否めません。倫理観の視点で捉えた場合、中国側のこれまでの行き過ぎた反日教育に問題が無かったと考えることには無理があります。中国政府はこれまで、どのくらい、戦後の日本の歩みを自国民に伝えてきたのでしょうか。つまり、日本が戦争を放棄し、平和憲法の下でその道を歩み、中国をも含めた途上国へのODA援助をたゆまず行ってきことを伝えてきたのかどうか、多くの日本人にとっては不透明に感じる部分も少なくありません。中国には、あくまでも事実に基づいた歴史教育の実施が求められているのです。

同じように、日本の中等教育における近現代史(明治維新以降)の不十分な学習上の問題は、21世紀を生きる日本人にとって憂慮されるべき問題です。アジアの世紀といわれる時代を生きぬく子供たちにとって、自国の歴史についての理解は尊敬される国際人としての要件であり、とりわけ周辺諸国と関わりのある近現代史への正しい歴史認識は極めて重要とされるからです。


「双方向性コミュニケーション」を通して両国のリレーションズづくりに努める
日本と中国の関係を修復し、友好関係を維持する目的を達成するには、双方向性コミュニケーションつまり相互の交流・対話を、リレーションズ活動として、政府間レベルはもちろんのこと、ビジネス、民間、草の根など、あらゆるレベルで活発に行われなければなりません。中国の特異性を考えたときには極めて必要になってくると考えます。

中でも客観的な視点を持つ学者の交流は非常に重要です。学者の目線で、歴史に関する事実を調査・検証し、その上で、双方が事実に基づいた歴史をしっかりと受け入れ、そこから互いに何が必要で、何ができるのかを見据えて対話を進めていくことに大きな意義があるのだと思います。

日韓問題を例にとると、小泉首相が2001年訪韓し金大中大統領と首脳会談した際、歴史教科書問題の日韓共同研究について合意しました。翌年5月、日韓歴史共同研究委員会(日韓各11人の研究者で構成)が発足し、今月10日、第一期の報告書が公表されました。歴史認識をめぐる見解は割れたものの、共同作業は、「双方の違いと共通点を確認し」溝を埋める第一歩になったと、その成果が大きく評価されています。インターネット上で報告書を公開し、日韓両国民ひとり一人が研究成果に直接アクセスできるように考慮されています。

日中間には、2000年以上にわたる交流を通して、漢字文化や仏教、儒教思想など多くの共通の文化が存在します。近年では、ポップ・カルチャーなど民間レベルでの文化交流も活発に行われています。特にここ数年の日本企業の中国進出は目覚しく、進出企業数は2003年12月時点で18,136社(中国対外経済統計年鑑2004年版)を数えていますが、政府の明確な対中政策を基盤としたリーダー・シップなしには、多様なレベルでの交流や対話を両国の友好関係に十分に活かすことはできません。被害を受けた側の苦しみや悲しみに思いを馳せ、つまり相手の視点に立ち、過去に対する態度と決別し、和解に向けたビィジョンに基づく一貫したメッセージを積極的かつ継続的に打ち出していくことが求められていると思います。

「自己修正」
1985年、終戦記念日に公式参拝した中曽根首相(当時)が、国内世論や野党からの批判だけでなく、中国からの非難を受けて、翌年の86年に「公式参拝は行わない」との政府発表を行いました。国内外からの批判をフィードバックとして捉え、「国益」を優先し、中国をはじめとした近隣諸国への気遣いを表すことにより修正を加えたとみることができます。端的に言い表すならば、日本の繁栄と国民の幸福のために、国益を守ることを目的とする一国の宰相として、その遂行のために必要な決断をしたといえます。

2001年、小泉首相は首相就任前の自民党総裁選で、日本遺族会に対し首相になれば靖国神社を参拝する意向を示し、その後の「公約」にしてきましたが、今回の問題を巨視的に捉えるならば、遺族会に対する「義」を取るのか、アジア全体の平和と繁栄を考えた上での「国益」を取るのか、GDP世界第二位の日本国最高責任者として、とるべき行動は自ずと見えてくるのではないでしょうか。


今回の問題はある意味で、PRの実務家にとって専門家としてのとるべき行動がどのようなものであるかを考えるいい機会であったと思います。

この問題における相手国側の過剰ともいえる反応は、基本的なところでの相互信頼関係が未だ構築されていないことを露呈しています。何故相手国がこのような強い疑心を持っているのか、その大半は、PR不足からきていると見ることができます。私たちは、戦後、どのくらい日本が変わったのか自らPRしてきたのでしょうか、相手の国民は現在の日本について殆ど情報を持っていなかったと考えたほうが自然かもしれません。勿論、体制の異なる国への広報活動には難しい問題が横たわっていますが、互いを知らないまま、不信感だけで相手となじり合うことほど不幸なことはありません。

企業体が行うパブリック・リレーションズの場合は、ひとつの情報発信者(企業体:本社、事業部)が複数のターゲットに対して様々なリレーションズ活動を行います。一方、国家間で行うリレーションズ活動は、時として政府間交渉に止まらず、民間やNPO、草の根個人など、幅広い複数の情報発信者が複数のターゲットに対し行動をとり、向かうべき流れを明確にし全体を加速させます。近年、中国、韓国の10代の若者層に親日家が増えてきていることを見ても、国家間のリレーションズ活動においても文化的(ソフトパワー)交流が如何に重要かを示しています。

昨年中国(香港を含む)は、日本の対外貿易相手国として始めて米国を抜き第一位になりました。21世紀の日中関係が相互依存型で不可欠の存在になっていることを再確認させてくれたといえます。だからこそ、日中間の交流を妨げる要因があれば、双方が叡智を結集して問題解決に向かって協動することが大切なのではないでしょうか。

国内に多くの問題を抱えた中国が、価値観の異なる国であることを十分にわきまえて対話を進めなければなりません。

時として、反省や謝罪にはそれに見合った行動が求められます。首相の靖国参拝問題は私たちに、日本が他のアジア諸国と今後どのように関わっていくべきか、より明確で戦略的な国家ビィジョンの策定の必要性を提示しているといえます。

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2005年05月23日

JR電車脱線事故をPRの視点で捉えてみる。

あさって、5月25日、兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)の電車脱線事故から、ちょうど1ヶ月を迎えます。人的ミスによる事故で、107名もの尊い命が奪われました。

事故の主因は、速度超過と考えられていますが、その経緯をたどってみると、日本で多発する一連の不祥事の中に浮かび上がる、一つのパターンが見えてきます。そこに共通しているのは、「倫理観」「双方向性コミュニケーション」そして「自己修正機能」といったPRのベースとなる3つの要素の不在にあります。

倫理観の欠如
新聞報道によると、JR西日本の大阪支社長は、今年度4月初めに、収益性を最優先に掲げ、安全輸送を第2の目標に置く文書を全社員に送っていたといいます。私鉄との激しい競争の中、収益性を意識するあまり、高速化や超過密ダイヤなど、JR西日本は、輸送力の拡大に固執してきました。その結果、安全対策がおろそかになり、このような大惨事を引き起こしたといえます。脱線電車に乗り合わせた運転士が救済活動せずに現場を立ち去ったり、事故発生当日に社員が宴会を開くなど、厳しい見方をすれば、倫理観の片鱗も窺うことができません。

双方向性コミュニケーションの欠落
一般的に、顧客からのフィードバックには2種類あり、顧客が声を上げて要請してくるものと、サービス提供者側が、顧客の要望を察知し、吸い上げるものとがあります。

今回の事故の場合、JR西日本は財務経営にはしりすぎ、安全第一という、お客様の基本的で真の要望を認識できませんでした。その認識の甘さが、ずさんな危機管理につながったのでしょう。新型自動列車停止装置(ATS)の導入や脱線防止ガードの設置に積極的でなかったことからも、安全管理に対する不備は明らかです。

また、社内のコミュニケーションも双方向とは言いがたい状況です。全て一方向のトップダウン形式で、トラブルが起きれば、その原因追求よりも個人責任を追及する企業体質が明らかになりつつありますが、そのような環境の中、社員一人ひとりが自己防衛に走り、利用者の視点